山本は少々天然で運動能力が高くてその辺りの男なんかよりずっと爽やかでかっこいい女の子だ。今まで結構淡白な方だと思っていたけど、意外と情熱的で直情的だと最近わかった。わかりたくなかったけど。
それがわかったのは、3日前の涙の男子生徒暴行未遂事件にまで遡ることになる。
秋とはいえまだまだ暑い中、真昼間の公衆の面前、というか、よく運動部がランニングに使う道の真ん中で、男子生徒が女生徒に襲われた。男が女にだ。逆じゃない。
女生徒はかなりの興奮状態で「俺の子を孕んでください」と叫びながら押し倒し男子生徒の服を脱がそうとしたらしい。男子はいきなりの行動と言葉に恐慌状態で泣き叫んで女子のアゴに自慢のアッパーをヒットさせ事なきを得たらしい。
そのことはセンセーショナルな事件として一気に学校中を駆け巡った。
もちろん、犯人は山本だ。
アゴに大きなシップを張っていつもどおり笑って。
「失敗失敗」
と照れていたので間違いない。
恋は人を狂わせるというが、狂わせすぎだ。正直俺もその話を聞いて怖かった。風の噂で山本が犯人と聞いたやつらが「女の子殴るなんてサテー」「山本だったらいいかも」とか言っていたけれど、俺なら絶対泣く。怖い。だって、そんな、飢えた肉食獣にいきなり飛び掛られたら誰でも怖いし抵抗するだろう。
そして、山本は正しくまさしく恋する乙女という名の飢えた肉食獣だ。
たまに俺も山本がある人を見る視線だけで怖くなる。ギラギラとどう食ってやろうか考えている顔だ。俺が見ていることに気づくとびっくりするくらいかわいく恥らうけど、俺からしてみれば血まみれで微笑まれたようなもので、薄ら寒い。
そんな山本は、今日も今日とて恋に来るっていた。
具体的に言うと、俺の目の前で、屋上のフェンスの向こうで。
「山本ー」
「なんだー、ツナー」
ニコニコ笑いながら山本は下を見下ろしている。
そして、フェンスに手をかけているものの、全体重をその手だけに預けてぶらぶらしていた。一歩、山本は前に進めば落ちる。そんな状況で。
まあ、ぶっちゃけ自殺直前だ。
「下着見えちゃうから、こっちこない?」
「スパッツはいてるから平気なのなー」
「じゃあさ、こっちでジュース飲もう」
「今、乾いてねーよー」
ニコニコ笑いながら山本はツナもくるかーとか聞いてきたので、全力でお断り、後ろを見れば、先生たちがもっと話を引き伸ばせ、説得しろっと叫んだり、変なカンペ見せたり、ジェスチャーしてくる。
現実逃避したい。
「山本ー、もうすぐ笹川先輩くるから落ちちゃだめだよー?」
「おーう」
笹川先輩という単語に、山本は嬉しそうに笑った。名前を聞くだけで嬉しいらしい。ああ、そういうところは少しは素直にかわいいと思う。自殺直前でなければ。
しばらくすると、状況のわかってないような顔の笹川先輩がやってきた。
俺をみていつもの熱い挨拶と勧誘をしてくるのでやんわり断った。
とにかく、山本の話を聞いてやってくださいと促せば、先輩は自分を襲った相手なのにほがらかに笑いかけて手振った。もしかしたら覚えてないのかもしれない。よっぽど怖かったらしいから。
山本もそれに片手を離してぶんぶん激しく手を振る。うわ、危ない危ない危ない!!
「やっやまもと!! ほら、先輩来たよ、いうことあるんだろ!!」
慌てる叫びに山本は少し考えて、決心したように口を開いた。
「俺の子どもを生んでください!!」
世界が、凍った。
「断る!!」
訂正、先輩以外の世界が凍った。
「今、俺は極限にボクシングことしか考えられん。だから無理だ」
ものすごくズレてると思うのは俺だけでせうか。
ちらりと見た山本はしょんぼりしている。慰めの言葉も出ない。俺はもう、混乱しすぎてどうしようもない。山本の変わりに俺が走って落ちたい気分だ。
「後、そっちは落ちると危ないからこっちにた方がいいぞ」
一瞬だった。
一瞬で山本の顔が輝いた。
すごい変わり身だ。
「はい!! 先輩が心配してくれるなら!!」
そう言ってスプリンターも真っ青の速度で山本はフェンスを飛び越えこっちに走ってきた。後ろで先生たちがカンペを投げて拍手大喝采。
うわあい、はっぴーえんどー。めでたしめでたし。
俺は肩を落として屋上を去る。
もうすごく疲れた。疲れすぎた。午後は授業をサボろうと思う。
俺の人生ってこんなに疲れるものだっただろうか。
少なくとも夏前にはもっと平凡で穏やかでだるくて地味な日常を送っていたはずなんだけど……。
「ツナ、ツナ俺どうしよう!!」
次の日、山本は顔を真っ赤にして困ったように言ってきた。
嫌な予感がひしひしする。というか、嫌な予感しかしない。
ギブミー平穏な日常。
Copyright(c) 2008 all rights reserved.