俺が生まれたのは、海の近くの小さな港町だった。
町の住民の半分以上が漁師で、俺の親父もまた、当然のごとく漁師だった。
ただし、ただの漁師ではなく、元、殺し屋の漁師だ。
そんな親父に、俺は魚のとりかたと、魚の掻っ捌き方、ついでに人間の掻っ捌き方を教えられた。
それ以外は俺の息子なんだから特に必要ないだろうとか言われて腹が経ったのを今でも覚えている。
顔はまったく俺に似ていない親父だった。
顔だけじゃなくて、髪の色も、瞳の色も、親父は日に焼けて真っ黒だというのに、俺は焼けても赤くなるだけだとか、親父は腕が鍛えるだけ太くなるっていうのに俺は太くならないところだとか体質的なところまで似ていない。
だからと言って血が繋がっていない訳でもなく、ただ俺が母親似だったというだけだ。
それは、何も無い部屋の中でただ一つだけキレイで大事そうにおかれた写真を見ればわかることだった。
若い時の親父と、自分にそっくりな、それでも、俺よりも数倍美人な母親。
写真でしか知らない母親に、親父は毎日挨拶していた。
ちなみに、俺の名前はスクアーロというのだが、このネーミングセンスがまたおかしい。
どうも、親父は漁に出てでっかい凶暴な鮫と格闘してぶっ殺して帰ってきたら俺が生まれていたらしい。
その俺の目つきを見て、ぶっ殺した鮫に似てたもんだから、これは鮫が生まれ変わって自分に復讐しにきたのだろうと思ってスクアーロとつけたといいやがる。
どこのアホが息子にそんな逸話の名前をつけるのだと叫びたくなった。
まあ、このアホ親父なので仕方ないといえば仕方ない。諦めるしかないだろう。
親父ははっきり言えば漁の腕前はピカ一だったけど、基本的に家でのんだくれているか、漁に出ているか、漁に出てのんだくれているかというろくでなしっぷり。
しかも、決して虐待という訳じゃなかったが、機嫌がよくなりすぎると俺を小突く癖があった。
親父にとっては軽い力だったかもしれねえけど、何度やられても頭をコンボウで殴られたみたいにぐわあんっとなるひどい一撃だった。
そんな親父が元殺し屋だと知ったのは、親父と母親の友人と名乗る奴がなんだか母親そっくりな俺を見つけて、話し掛けてきたせいだ。
また殺し屋にならないかという誘いだったらしいが、親父は追い返したらしい。
それから、親父になんで殺し屋をやめたのか聞いたら、酔った勢いで物凄い嘘をつかれた。
いわく、自分はなんだかでっかいファミリーの幹部(この親父が幹部ということで嘘くさい)だったらしいのだが、殺さなければいけない標的(これがまた美人でめちゃくちゃ強かったとか)に一目ぼれ、駆け落ちしたら同じ幹部の仲間に追っかけ回されたけど返り討ちにして、もう二度と人を殺さないという約束をでっかいファミリーのボスとやらとして漁師になったらしい。その、標的だった女が俺の母親だとか言われても信じられない。そんな三流ピカレスク小説じゃあるまいし。
俺はそれを笑い飛ばすと、親父も笑い飛ばした。
話はそれでお終い。
それからの俺はというと、どこの港町にもありふれた悪がきで、親父の手伝いしたり、悪戯して町を走り回ったり、家事を一切しねえ親父の変わりに飯作ったり、人間の掻っ捌き方を教えられたりした。
親父が、伸ばせって言うから髪を伸ばしてみたけど、手入れなんかする筈なくていつもぼさぼさで本当は銀なのに荒れて白くなってた。
子供ながら、ぼんやりと、たぶん俺はずっとこの町で生きて死ぬんだろうなっとか思ってた。
適当に、親父のめんどう見て、親父みたいに魚でもとって、嫁さんもらって、ガキでも作って、親父みたいなのんだくれになるだろう。
そう、あの日まで。
親父が、いきなり荷物まとめろ、旅行に行くぞって言った時までぼんやり思ってた。
元々がらんどうの家はあっという間に荷物がトランクに詰め込まれて、俺を小脇に抱えて親父は家を飛び出した。
なんとなく、遠ざかっていく家を見て、俺はあの家に帰れないんだろう。
いや、この町に、二度と帰ってこないんだろうなっという確信があった。
俺が10年ほど生まれて育った町が遠くなる。
寂しくないと言ったら嘘だった。
でも、親父がいるし、まあいいかとかどうでもいいことを考えていた。
飛行機に乗った時、俺は初めて親父に行き先を聞いた。
「日本だ。そこに俺の友人がいてな。ただで泊めてくれる」
そりゃいいと俺は適当に相槌打って長い長い時間をかけて日本についた。
そしたら、親父はまた俺を小脇に抱えて走る走る。
こんなに長いこと機敏な親父は初めて見た。
そういえば、漁でもないのに酒を飲んでない親父も初めてだったと思う。
珍しいなあっとか考えてたら、変な店に突っ込まれた。
後で聞いたら、寿司屋らしい。
なんだか、馴染んだ魚の香りと、変な匂い(後で酢とかしょうゆの匂いだって聞いた)が混ざって妙な店だっと思っていたら、親父は俺を店じゃなくて奥の方に放り込んで悪友だっつー男と話し始めた。
嫌な予感がつつーっと背中を伝う。
おいおいおいおいおいおいうおおい、まさかあ、親父、俺を置いていくとか言わないよな。
うわ、話聞こえねえけど、嫌な予感がびんびんしやがる。
なんだか、嵐の夜に波につっこんだような気分だった。
俯いてじっとしてる俺に、親父の悪友の奥さんだっていう人が話し掛けてくる。
優しい声だったけど、今の俺には聞いてられない。
だって、もしかしたら、親父においてかれるかもしれないんだ。
漁でおいてかれることはよくあったけど、でっかくなってからは漁でも、なんでもついていった。
親父が女のところに行く時はそりゃ遠慮したけど、離れたことなんてない。
だって、親父が、真剣な顔して、覗き込んでくる俺を指差した。
嫌だ。
叫びたかった。
親父が立ち上がる。
連れて行ってくれるよな?
そう目で問いかけた。
親父は、俺の頭がんっと小突いて、笑う。
「ちっとでかけてくる、ここで待ってろ」
頭がぐわんっと揺れる。
涙が出たけど、痛いからじゃねえ。
嫌だった。
親父と離れるのがとにかく嫌だった。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
親父俺を置いていかないでくれ!!
ついていく!!
待ってくれ。ついてく。足でまといにならないから。
っつーか、親父俺がいなくて生きていけんのか? 俺がいなきゃ飯作らないくせに、酒ばっか飲むくせに。
親父!! 親父!!
「待ってろ」
全部、言葉にならなかった。
喉から出ずに、涙になった。
親父は俺をおいていく。
俺はその背中を見て、もう二度と親父には会えないって確信した。
そう、町から出てった時みたいな確信。
背中が遠ざかっていく。
俺は走った。
親父を追いかける。
今なら、追いつける。
待ってなんかやるもんか!!
そしたら、いきなり親父の悪友が俺を抑えた。
なにすんだよ。はなせよ。親父においてかれるだろ。俺は親父と一緒にいくんだ。はなせよ。いやだいやだいやだ。親父!!
叫ぶ。
でも、親父は止まらない、振り返らない。
親父が見えなくなったら、俺の全身からぐたっと力が抜けた。
もう、何もしたくない。
それから、やっぱり、親父は帰ってこなかった。