生まれたばかりの子どもに手をかけたことがある。
折れそうというよりは出来損ないのような首の感触は柔らかすぎ、体温は熱かった。
両手ではなく片手ですっぽりと生殺与奪権を握れてしまう首。
普通の人間ならどんな感情にかられたとしてもここでやめてしまうだろう。
こんなにも、脆く儚い生まれたばかりの命を、誰が奪えようか。
しかし、僕は普通の人間ではなかった。
普通以上に醜くも残虐、そして卑怯な存在だった。
だから、僕は生まれたばかりの子どもに手をかけたことがある。
その首に片手をかけ、そのまま、握りつぶしてやろうと思った。
理由は、とても単純で、簡単なこと。
邪魔だったから、不必要と判断したから。
たぶん、誰もが信じられないというような理由かもしれない。
それでも、そのまま僕は力をこめた。
湧き上がるのは、罪悪感ではなく、暗い喜び。
唇の端がつりあがる。
「君は、本当に最低だ」
「ええ、そうですよ」
弟が兄に向かって投げつけた言葉に、兄は微笑んで肯定した。
それがどうしたという笑みに、弟は更に罵倒を投げつける。
「最低、下衆、外道、悪魔、鬼畜、変態、電波」
「最後のいくつかは否定したいですが、そうですよ」
兄はゆったりと肯定しながら紅茶を弟の目の前に置いた。
琥珀色の液体が白い器の中で揺れるのを見ながら、決して手は伸ばさない。
ただ、睨みつけるだけの中、ぽつりっと呟いた。
「最悪」
「何がですか?」
「夢、見たんだ」
「ほう」
昔の夢だと弟は言う。
開いたばかりの目が写すのは、天井か、あるいは母の顔。
ぼんやりとしたほとんど意識らしい意識のない中で、誰かが近づいてくる。
顔は見えなかった。
首がすわってないせいかうまく動けず、目だけが動く。
近づいてきた相手の顔は、逆光で見えない。
ただ、自分よりも遥かに背が高く大きかった。
母ではないと一目わかる。
なぜなら、母ならばどれだけ逆光だろうが、目が見えなかろうがすぐさまわかるからだ。
世界は、母か、それ以外でできている。
じっと、見ていると、相手はこちらに手を伸ばす。
その手が自分に触れた。
ひやりとした感触が体を伝い、気持ち悪い。
泣き出してしまいそうだったが、それより早く、首に触れられた。
指が、すっぽりと首を包み込み、動きが止まる。
じんわりと、冷たさが肌に馴染んできた頃、首に、力がこもった。
苦しい。
泣き出そうと口を開くが、声が出ない。
苦しい。
手の力は強くなるばかり。
苦しい。
その手の強さが、戯れでないことを告げてくる。
苦しい。
逆光で見えない筈の顔が、見えた気がした。
ああ。
笑ってる。
「本当に、最低」
「ええ、そうですよ」
「弟、殺そうとする、フツー」
「普通じゃないので、殺そうと思ったんです」
兄は微笑を崩さない。
何一つ隠そうとせず、何一つ誤魔化そうとせず、きっぱりと認める。
いっそ清清しさすら感じる開き直りに弟はため息をついた。
「邪魔だったんです」
後ろめたさを一切感じない口調だった。
「他の彼女と男との子を歓迎なんて出来るわけないじゃないですか他の彼女と男との子を歓迎なんて出来るわけないじゃないですか
しかも、今までずっと、彼女は僕のものだったのに、貴方が生まれて、貴方ばかり構うようになったんですよ」
兄だから我慢しろとまで言われたと、不機嫌そうに。
「障害は消すべきでしょう?
そう、貴方だって逆の立場なら同じ事をしたのでは」
「勿論、するよ。君を殺せるチャンスがあれば今すぐでも」
同じですねっと兄は小さく声を漏らして笑った。
その笑い声が好きでない弟は顔をしかめる。
「僕、今まで生きてきてその時が初めてこの能力があってよかったと思ったよ」
「そうですね。僕はあの時初めて貴方にそんな能力が今世もあるって知りましたよ」
「またお得意の電波?」
「また電波呼ばわりですか?」
冷静に流したように見えて引きつる兄の顔を見ながら、弟は今日何度目かわからないため息をついた。
兄と話していると疲れると思いながらそれを隠そうともしない。
湯気の少なくなったティーカップには、相変わらず液体が見ている。
「お茶、飲まないんですか?」
「毒入りなのに?」
「毒いりですから、飲んでください」
弟は、冷めたティーカップを手も触れず持ち上げると兄の顔面にぶつけた。