僕はよく夢を見ます。
それは、遠い日の夢だったり、生まれたばかりの夢だったり、僕の夢かと思えば、まったく違う他人の夢だったり。
同じ夢を見たことはございません。
ほとんどがまったく違ったさまざまな状況で、共通していることといえばやけに世界が黒くて血なまぐさいことでした。
その中で、僕が特に見るのは、父の夢です。
父は、僕が生まれ出でる前に死んだというのに、僕はそれが父だとはっきりわかりました。
なぜなら、僕は父であり父は僕であったからです。
こう言うとおかしな目で見られるのですが、いわゆる僕の前世は父であったようでした。
父の夢もまた、どの夢とも同じように黒く、血なまぐさいものでしたが、少しだけ、少しだけそんな夢と違う輝ける部分がありました。
僕はその輝ける瞬間を見るのがいつも楽しみで楽しみでたまりません。
まるで、遠足の前日の子どものように胸を躍らせて布団をかぶるのです。
闇が僕の網膜に忍び込み、僕は堕ちていきます。
いつもの血なまぐささと視界の暗さに馴染んだ頃、僕は小さな小さな手を握っていることに気づきました。
本当に小さな手でした。
握り締めてしまえば簡単に潰れてしまうほど小さな手は、僕にじんわりと体温を与え、存在を主張しております。
ふっと、その手の感触に僕は微笑んで視線をおろせば、見上げてくる瞳と目が合いました。
目が合った瞬間、さっきまでの血なまぐささは消え、世界は明るく染まります。
そこで、やっと僕は自分が青空の下、石畳を踏んでいることに気づきました。
なんと、僕の周りは闇ではなかったのです。
そのことに少しだけ感動を覚えながら歩いていると、子どもは僕の手を引きました。
僕がどうしたのっと僕の意志ではなく聞くと、子どもはそれはそれは愛らしく笑います。
そして、嬉しそうに僕を呼んだのです。
「とうさま」
胸が、締め付けられるような声でした。
僕はその声にやはり僕の意志ではなく答え、手を引いて歩いていきます。
どこへ行くというのでしょうか。
訳もわからず動く足。
子どもはただ、僕だけを見て、僕だけを信じてついてきました。
その内、僕の手の中の感触が変わっていくことに気づき、ふっと視線を動かします。
それは、僕の意志であり、意思ではございませんでした。
見れば、隣にいた子どもがふっと、髪の長い女性に代わっていたのです。
女性は僕と目が合うと、微笑みます。
僕は、その女性のことを知っていました。
しかし、僕の知っているその女性は、こんなに泣きそうな顔をしていません。
いつも自信満々で、強くて、優しくて、よく笑う人なのに。
そんなことを思っていると、握っていた筈の手が、握られていることに気づきました。
妙な違和感に僕が口を開けば、女性は僕を呼びます。
「むくろ」
僕は、そうしてやっと、子どもと女性が同じ存在だと気づきます。
だけど、迷いました。
僕は、女性をなんと呼んでいいかわからなかったからです。
迷いに迷った末、僕は少しだけ躊躇っていつもの呼び方にすることに決めました。
「はい、お母さん」
そこで、目が覚めました。
「おや、また失敗しました」
兄はにこにこ笑いながら宙吊りになっていた。
弟はそんな滑稽な兄を見上げ、いらついた表情で目をこする。
時計を見ればまだ深夜とも言えた。
フードつきのパジャマを着込んだ弟はすかり癖になったため息をつく。
「今日は、何?」
「夢を、見ました」
兄は、少しだけ目を閉じて答える。
「前世の、夢です」
弟があらか様に嫌そうな顔をした。
聞き飽きたとばかりに首を横に振る。
「僕は、父で父は僕でした」
「……ああ、ママンの……」
「そう、僕の父であり、お母さんの義父だった男です」
「最低の近親相姦野郎だったらしいね」
「失礼な、血は繋がっていませんし、愛し合ってました」
「……どうだか」
「父は、とてもとても母を愛していました。そして、自分が近く死ぬことをわかっていました。だから、母を永遠に自分のモノにしたいと思ったんです」
突然語りだした兄に、弟は驚かない。
もう何度も聞かされたかのように、視線を時計へと移す。
もう一度寝れるか考えているのだろう。
「だから、父は考えました。死の間際、子供を作りその子に転生しようと……こうして、僕ができた訳ですね」
「で?」
「僕が生まれた時、それはそれは幸せでした」
弟のせかす言葉を兄は無視した。
「これでまた一緒にいられると、僕の耐久年数を考えるとほとんど永遠に一緒にいられると」
まさに
「僕は母の永遠を手に入れたと思ったんです」
兄が、もう一度目を閉じた。
悲痛そうに、悔しそうに。
まるで、突き落とされたような表情で。
「でも、まさか母がどこの馬の骨かわからない男の子供を身ごもるなんて、本当に計算違いでした……!!」
だから、急に憎くなった。
自分とは違う男の子供。
母を奪った子供。
たった、2人だけでよかったのに。
だから。
「殺そうと思ったんです」
「へえ」
兄はきっぱりとそう言った。
しかし、宙吊りである為いまいち決まらない。
弟は、ぴっと人差し指を立てるとつつーっとゆっくり天井をなぞるように動かした。
すると、兄の体もゆっくり動く。
弟はそのまま天井を指差して歩いて窓際まできた。
兄もまた、宙吊りのまま窓際まで引きずられる。
弟は窓を開けて、一歩だけ後ろに下がった。
「言いたいこと、それだけ?」
弟の問いに、兄は頷く。
同時、ぶんっと、弟は窓の外を指した。
兄の体が、その勢いに見合った速さで窓の外へ放り出される。
指を引っ込めれば、闇の中浮かんでいた兄の体は、ひゅーっと落ちていった。
下の方で鈍い音。
「う゛お゛ぉい!! なんの音だー!!」
それから数秒して、階下から少しだけ低い女性の声が呼びかける。
弟は、部屋の扉を少し開けると答えた。
「骸が落ちた音」
「……お前ら、まだ太陽も出てねーのに兄弟喧嘩すんじゃねえ!!」
弟は、思う。
自分と兄の攻防を兄弟喧嘩ですませるのは、この世で母だけだろうと。
母は、一応とばかりに階段を登り、弟の姿を確認する。
「明日も学校あるんだろうが、とっとと寝直せえ」
そして、フードを少しだけ持ち上げると、その額にキスをした。
弟は、少しだけ頬を赤らめて俯く。
「おやすみ」
「……おやすみ」
外で、兄の声がしたが、聞かなかったことにして弟は布団にもぐりこんだ。
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