小汚いガキだった俺を、その人は会った瞬間抱きしめてくれた。
その人の体温はとても温かくて、母と違ってがっしりとした胸と太い腕、でも優しい力加減で包まれて俺はかなり困惑していた。
こんなにも優しく抱きしめてもらったことは母を除いて俺の人生で初めてで。
どうしていいかわからずやっぱり困惑していた。
その人は優しく俺の頭を撫でながら名前を聞く。
俺は驚きすぎて声もでなくて、どうしていいかわからず母を見上げたが、母もまた何も言ってくれなかった。
ただ、優しい笑顔で俺に選ばせた。
名前を言うか、言わないか。
俺は迷って口にした。
「スペルビ」
そう呟くだけで、本当にくしゃっとその人は顔を崩して笑って、俺の頬に口付ける。
何度も何度も俺の名前を繰り返して、抱きしめて、もう一度頬にキス。
母以外の初めてのキスに俺は更に困惑したが、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、うれしかった。
母にキスされたときのような嬉しさが溢れる。
胸の奥から熱い物がこみ上げた。
そして、その人は俺の人生で一番歓喜をもたらす言葉を口にする。
「今日から、私がお父さんだよ、スペルビ」
俺は、笑った。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。
今日はじめて会ったというのに、名前も知らないのに、なぜだか俺は嬉しくて。
母親を見上げれば、母親も嬉しそうだった。
俺は、おそるおそるその人の背中に手を回す。
広い背中だった。
手が届かなかったけど、俺はその人の服をぎゅっと掴んで、そっと顔をこすりつける。
お父さんと口に出したかった。
でも、出なかった。
ただ、胸がいっぱいで。
どうしていいかわからずしがみついた。
今思えば、それでも呼んでおけばよかったと思う。
その時呼べなかったせいで、俺はそれから何十年経った今ですら呼べていないのだから。
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