ふらふらと残った力を振り絞って飛ぶ。
恐らく、他のやつらならともかく、ボスとあの忌々しい霧の守護者は自分の脱出に気がついただろう。
ならば、今すぐ追っ手がくることはないだろうが、対策を考えておかなければいけない。
負けたのは屈辱だったが、これはチャンスだと思う。
そう、彼を、スクアーロを探すチャンスだった。
まさか、あのスクアーロがあれだけのことで死ぬ訳がない。
例え怪我をしていても、ボロボロでも、鮫に食われた程度で死ぬ訳なんて、仮にもヴァリアーのボス候補だったあのスクアーロが。
最初はボスの策略かと思ったけど、ボスのあの荒れようからボスは関係ないとわかった。
でも、まさか、まさ、あのスクアーロが死ぬ訳がない。
死んだとしても、僕は確証が欲しかった。
死んでいるなら、死んでいるでいい。だけど、確証が欲しい。
だから、僕は持っている能力を使ってスクアーロを探すつもりだった。
生きていれば代金をむしりとってやろうと思った。
でも、それはボスが許さなかった。
理由は聞かなかった。たぶん、聞いても教えてくれなかっただろう
でも、少し考えてみれば、ボスははっきりとスクアーロが死んだとか、生きているとかつけたくないのかもしれない。
だって、死んでたらまたショックだし、生きてるなら殺さなきゃいけない。
それが、ヴァリアーの掟だし、絶対だ。
わからなければ、生きてるかもしれないという希望が沸くし、殺さなくてもいい。
そう思えばわかる気もした。 だけど、僕は知りたい。
もしも、生きているなら、会いたい。
チャンスだと思う。
追っ手がかかるならたぶん争奪戦以降、なら、今日明日、僕は誰の監視化にもおかれず自由になれる。
チャンスだ。
今なら、誰にも邪魔されずスクアーロが探せる。
僕は適当に離れたところに体を構築すると、随分短くなったトイレットペーパーを取り出した。
「クフフ! 千種、犬、やっとこっちにこれましたよ」
弾むような声と共に扉をばんっと開かれた。
古いドアがぎしぃっととれかかるが、気にしない。
元々壊れかかっていたものを申し訳程度に直したので、これで壊れてもしかたないと知っているのだ。
慣れた調子ですたすた部屋に入り込むと、彼は俯いていた二人の少年に笑いかけた。
「むっむくろさん!!」
「骸様……」
俯いていた顔をあげ、二人の顔が輝いた。
今にも飛びつきそうな二人に、堂々とそこに立ち誇る。
そして、自分の復活を知らしめるように両腕を広げた。
「予想以上に力を使ってしまったのでかなりの休息が必要でしたが、この通り」
「さすがむくろさん!!」
ぱちぱちと手まで叩く少年たちににこりっと笑みを浮かべると、ぐるりと辺りを見回した。
何かを探るような、探すような視線。
それにいち早く気づいた少年たちは、びくりっと怯えた。
その珍しい反応に、彼は首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「その、むくろさん……」
「……」
二人の視線が虚空を漂う。
言いにくそうにその口が歪み、そして、閉じられる。
「どうしたのですか?」
繰り返される疑問にも、二人は答えなかった。
ただ、顔を見合わせて、困り果てている。
彼は、わからないと言う感情を隠さず、しょうがないとばかりに口を開いた。
「スクアーロはどこへいったのですか?」
気まずい。
そんな単語がぴったりの表情だった。
二人はアイコンタクトをとるように何度も顔を見合わせ、迷い、押し付け合い、そして。
「むくろさん、落ち着いて聞いてほしいびょん……」
「?」
「スクアーロは……」
開かれた口から、真相が出ることはなかった。
なぜなら、彼が壊しかけた扉を完全に壊す音がそ言葉の続きをかき消したからだ。
音に、彼は慌てて振り返り、二人の少年はあちゃーっと顔をしかめる。
もう、終わりだという絶望の顔にも似ていた。
ただ、状況のわからない彼だけが振り返り、ソレを見た。
そして、絶句。
「何、帰ってきたの」
視線の先。
壊れた扉の向こうで。
ソレはいた。
そう、ソレこそ、小さな、小さな赤ん坊。
彼が、数週間前に戦い、勝利した相手が浮かんでいたからだ。
「なぜ……」
ここにいるんですか。
そう問い掛ける眼差しに、赤ん坊はふんっとはき捨てた。
くだらないことだとでも言うような仕草に、彼は少しだけ腹が立つ。
「僕がここにいる理由は一つに決まってる」
「……スクアーロ、ですか?」
「そっ僕のスクアーロ」
わざとらしく「僕の」の部分に力をこめる。
思わず彼は苛立ちにぎゅうっと手に握っていたトライデントに力をこめた。
その苛立ちを冷静さに変え、彼は笑って見せた。
「クフフ、僕に負けてとっくに消されたかと思えば、生きていたんですね」
「一度勝ったくらいでいい気にならないでよ。素人だと思って手を抜いてやったんだから」
「負け犬の遠吠えは見苦しいですよ?」
「なんだと」
「また醜態をさらしたいならお相手しますよ?」
嫌な睨み合いだった。
何かきっかけがあれば一瞬でここは比喩ではなく地獄へと変貌する。
それを思うと、二人の少年は少しだけ後ろに下がった。
彼と赤ん坊の特有の攻撃に耐性は常人よりあるが、本気を出されれば、あっさりと精神が壊されてしまうだろう。
彼が得意のトライデントを握り締め、赤ん坊の蛙が妙に興奮した。
沈黙。
その沈黙が怖い。
掛け声一つなく、呪文一つなく、彼と赤ん坊は世界を、人を壊すことができる。
後必要なのは、合図。
開戦のきっかけ。
どちらかが始めなければ、この睨み合いは続く。
だからこそ、彼と赤ん坊は合図を望む。
そう、例えば、音。
空間を揺らすような、そんな音があれば――。
「う゛お゛ぉい!!」
空間を揺らす音、いや、声だった。
声の主は、いつもの足音もなく扉の向こうに浮かぶ赤ん坊を捕まえる。
驚く四人に構わず、赤ん坊を抱き上げたまま口を開いた。
「なあに喧嘩してんだあ」
「スクアーロ」
小さく呟いて赤ん坊がその腕にしがみついた。
一瞬前までの緊張を投げ捨て。見た目相応の幼さで擦り寄る。
それを見た彼は、さっきまで以上の苛立ちを感じたが、微笑む。
微笑んで、当然のごとく呟いた。
「今、帰りました」
むっと、赤ん坊が彼をにらみ付けた。
しかし、彼は笑って、手を男へと伸ばす。
それが当然のように、見せ付けるように。
「おかえり、骸」
男も、答えるように微笑んだ。
微笑んで、赤ん坊を抱いたまま彼に近づくと、その手に触れる。
ゆっくりと、握り締めると、ひどく愛しそうに繰り返す。
「おかえり、骸」
はい。
そう、彼は答えた。
答えて握り返すと、じんわりと暖かさが伝わる。
二人の少年の顔を見た時のように帰ってきたという実感が沸いた。
ほとんど、短い時間、時間とも言えない瞬間しか共有していないというのに。
背後で、ほっと、少年たちの安堵の息が零れる。
「僕のスクアーロにべたべた触らないでよ。変態」
そして、そのまま凍りついた。
彼が、ぎぎぃっと硬い動きで赤ん坊を睨む。
赤ん坊もまた、独占欲全開で彼を睨んでいた。
しっかりと腕にしがみつき、渡さないと言外に語る。
彼は、顔を笑みのまま引きつらせた。
小さく開かれた口から、笑い声が漏れる。
彼と赤ん坊から、黒い敵意が噴出し、ぶつかりあった。
「おっおい、骸……マーモン……?」
自分を中心に敵意がぶつかり合っているのにさすがに慌てたのだろう、声をかけるが、勢いはとまらない。
目に見える具現化された敵意は殺意へと変わり、赤ん坊と彼の後ろに牙をむき出す禍々しい獣を生んだ。
「僕は変態じゃありません……」
「憑依弾だかなんだか知らないけど、男の癖に女の体のっとって喜んでるのは変態だよ」
「なっ!!」
「幾ら外見が女だからって、スカートはいてるなんて、神経を疑うよ」
「似合ってるからいいじゃないですか!!」
「うるさい、電波変態」
「〜〜〜〜!!」
ぐわっと、彼の背後の獣の目が光る。
それだけで、彼の怒りがひしひし伝わった。
しかし、赤ん坊はひるまない。
どころか背後の獣を鋭くし応戦する。
「やっやめ、てめえらやめろお!!」
しかし、巻き込まれる男にはたまったものではないらしく、悲鳴をあげる。
それに、ぴたりっと獣は大人しくなった。
4つの瞳がじっと、男を見る。
そこで、男は気づく。
矛先が、自分に向いたことを。
「スクアーロ」
赤ん坊が、つぶらな瞳で問い掛ける。
「僕とあいつ、どっちが好き?」
男は、絶句する。
助けを求めるように彼や少年たちに視線を向けるが、彼はにっこりと笑ったまま男を脅し、少年たちは目をそらす。
巻き込まないでくれ。
少年たちのそんな態度に、男は震えた。
どちらの名を口にしても、彼も赤ん坊も納得しないだろう。
かと言って、どちらの名を口にしないことも許さない。
男に、選択肢はないに等しかった。
それでも、彼と赤ん坊は問い詰める。
「僕だよね?」
「僕ですよね?」
男は、そっと、赤ん坊を地面に置く、そして、彼の手を離した。
割合あっさりと自由になった彼は、二人に引きつった笑みを見せると。
逃げた。
「スクアーロ!!」
「逃がしませんよ!!」
走り去る彼と赤ん坊を見守りながら、少年たちはいもしない神に十字を切った。
男が逃げ切れるのかは、別の話である。
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