5.ついつい苛めてしまうけど

「待て」

 目の前で、ぴたっと手のひらを突きつけられ、バクラは動きを止めた。
 そして、手のひらと、手元の皿の上にのった湯気をたてる肉を見比べる。
 手は、下ろされない。
 バクラは、口を開いた。

「待て」

 止まる。
 言葉の意味がわかっているのか、わかっていないのか、迷うようにまた手と皿を見る。
 何度かそれを繰り返し、バクラはじっと、彼の目を見た。
 青い瞳同士がぶつかる。
 そらされることはなく、瞬きすらほとんどなく、見詰め合うというよりはむしろ、睨み合う。
 澄んだ純粋な目が、言外に要求する。
 それを、冷たい確固とした瞳が拒絶する。


 その瞬間、戦闘が始まった。


 きゅーん。
 哀しげな声が喉から漏れる。
 聞くものの心を寂しくさせるその声は、下げられた眉尻と、伏せられた犬耳、まっすぐな瞳とあいまり絶大な効果をうんだ。
 だが、彼にはそれも通用しない。
 目を彷徨わせることすらせず、絶対零度の圧力をかける。
 その瞳の迫力に、バクラはいつものように図々しく肉に噛み付くことができない。
 ぐーっと、小さくバクラの腹の虫が泣く。
 嗅覚をくすぐるいい匂いと、それが冷めていってしまうという不安、そして、もしかしてこのまま食べさせてもらえないのではという恐怖に、バクラはますます耳を伏せた。
 きゅーん。
 切なげな声。
 けれど、彼の瞳は揺るがない。
 皿の上で、冷めていく。
 痺れを切らしたバクラは叫ぶ。

「セトぉ!!」

 ぺちん。
 叫んだ瞬間、耳と耳の丁度真ん中を、目の前に出された頭を叩かれた。
 痛くはないが、きょとんっと、頭の上に置かれた手を見る。

「よし」

 頭から手が遠のくと同時に許可の言葉が響いた。
 それでも、目線は彼から動かない。
 不思議そうにじーっと見つめている。

「いらんのか?」

 その声に、びくっと体を震わせて肉に噛み付く。
 あぐあぐと少し冷めた肉を口いっぱいにほおばるのを彼は見下ろしていた。
 そんな彼を、バクラは口を動かしながら見上げる。
 こんな風にじっと食べるところを彼が見つめるのは珍しいことだった。
 なんとなく嬉しくなったのか、小さく笑みを浮かべると、バクラは尾を微かに振る。
 しばらくその様子を見ていた彼だったが、急に立ち上がる。

「せ、と?」
「………」

 ぽすっと、頭の上に手を置かれた。
 さっき叩かれたよりも柔らかく、それでいて少し乱暴に髪をかき混ぜる。

「???」

 なすがままのバクラに、彼は目を合わせることなくまた手を遠ざけ、背を向ける。
 残ったバクラは、皿を抱えて座ったまま動けない。
 呆然と瞬きを繰り返し、皿を床に置いた。
 そして、空いた両手を頭にやると、笑う。しっぽをちぎれんばかりに振って喜んだ。
 嬉しさが何かを越えたのか、床に寝転んでばたばた暴れている。
 それを影から見ていた女性は、彼に向かって呟く。

「嫌がらせなんて、慣れないことしても失敗するのよ?」
「………」



 嫌がらせして嫌われようと思ったけど、うまくいかないセト様。
 まだ若いから嫌がらせの仕方とか、冷酷な心が足りません。
 そして、バクラは一応皿から食べてます。
 待てしたときの犬のかわいさはしかし、異常。






6.拗ねる顔も可愛くて

 実験的に砂漠に置き去りにしてみた。
 それなりに歩けるようになり、近かったので夜には帰ってきたが、あれから服を掴まれて離さない。
 まだ後ろでうぐうぐ泣いている。
 振り返ると、責めるような目つきで見られた。
 しかも、このバクラだけではなく、母上にも女官たちにも同じ目で見られる。
 実験と突き放しのつもりが、いらぬ警戒を与えてしまったらしい。
 いつか野生に帰すとき、これでは困る。

「バクラ」

 呼びかけて振り返ると、ふいっと顔をそらされた。
 怒っているのだと伝えたいらしい。
 暫く考えて、頭に手を置く。
 耳としっぽがぴくっと動いた。
 軽く髪をかき混ぜてみる。
 顔は背けたたままだが、耳が、へたっと伏せられ、しっぽをブンブン振っている。
 撫で続ければ、なんとか「怒っている顔」をするのも難しいのかぷるぷる震え出す。



「あっ、今セト笑った!! 笑ったでしょ!?」



 どこからともなく、まったく予想外の場所から母が現れた。
 この人はいつもどこにいるだ。いや、もしやこの怒っている仕草は母が教えたのだろうか。
 本当に余計なことばかり教える上に、覚える。
 やはり、バクラを野生に戻すならば母から引き離すべきか。

「セト!! 適当に冷静なフリして誤魔化さないの!!
 バクラちゃん、よかったわね!!」

 バクラはもう拗ねた顔などできないとばかりに笑っている。




 母とバクラに一発ずつ手刀をくらわしておくことにした。



 ちょっと慣れてきたので置いてきてみた。
 嫌がらせではなく、実験です。
 一応、ローブみたいなものを着せて耳は隠したみたいです。
 セト様は照れてます。






7.頭を撫でれば満面の笑み

 静かな夜だった。
 冷たい月が大きく輝き、砂漠を明るく照らしている。
 ぽつんっと、ソレはそこにいた。
 辺りを見回しても、砂か岩ばかり。

「せ」

 口を開く。
 意味のない行為だとわかっていても、せずにはいられない。

「せと」

 呆然とした瞳が、瞬きを繰り返す。

「せとぉ」

 ぺたんっと、座りこんで、自分の足を見る。
 包帯が巻かれていた、そこはもう、触れたり無理をしなければ痛くはない。
 じっと、その包帯を見つめ、ほどいた。恐る恐る両手で握り締め、鼻まで持っていく。微かな薬の匂い。
 何かを求めるように、自分の体をソレは震える両腕で抱く。
 そして、ぶるりっと、耳からしっぽまでを震わせると、吠えた。
 月に向かって、獣の咆哮を響かせる。
 寂しく悲しい遠吠えが、砂漠の向こうまで響けとばかりに、喉が痛むまで、痛んでも吠え続けた。
 返ってくる声も、姿もない。
 それでも、鳴かずにはいられない、そうしないと、泣いてしまう。
 びっと、たてた爪が自らの服と肉を裂いた。
 赤い鮮血が指を染め、それでもまだ線を伸ばす。
 青い青い瞳を、閉じた。
 そして、開いたとき、そこには悲しみも寂しさもない。


 ただ、ただ強い決意がある。


 ソレは、けふっと、咳き込むと立ち上がる。
 不意に、自分の頭に手をおいた。
 くしゃっと、かきまぜて、笑う。

(バクラ)

 ソレは、歩き出す。
 自分が、バクラであるために。
 呼ぶものがいなければ、ソレはソレに過ぎないから。



 ついに野生に返されてしまいました。
 でも、帰ります。死んでも帰ります。
 題名は過去のことということで。






8.ご褒美はまだお預け

 朝、彼が目を覚ますと、横にバクラが寝ていた。
 しばらくぼーっと、いることは認識していてもうまく思考が動かない。
 すぅすぅと小さく寝息をたてるバクラは、ひどく薄汚れいるなっと、思った。服はボロボロだし、肌も土塗れ、露出している手には、何か黒いものがこびりついている。
 ああ、起きたら風呂にいれないと、彼はぼんやりそう考えた。
 けれど、目覚めてきた思考がおかしいと告げる。

 バクラが、ここにいるはずがない。

 そう、叫んでいる。
 どうしてだ。
 そうか、そういえば、野生に返したのだ。
 馬でも3日はかかるだろう距離の場所に、寝ている間においてきた。
 捨てても同然で。
 でも、そうしないともう、手放せなくなりそうで、恐ろしかった。
 この異形を傍に置くということは、そういうことだ。おおっぴらに外になど連れていけない。
 自由を奪って、閉じ込めて、飼い殺す残酷な行為をする勇気がなかった。
 だから、

「なぜ、いる?」

 やっと、口が動いた。
 急速に覚醒してくる。
 なぜ、いる。
 ここに、しかも、寝台の中に。
 駆け巡る疑問。

(「最近、近くの町で白く大きな狼がでたらしいわ」)

 特に気にしていなかった言葉が頭に過ぎる。
 彼は、完全にバクラのことを犬扱いしていたため、繋がらなかった。
 恐らく、闇の中でこの耳とシッポだけが浮き上がっていれば、大きな狼に見えなくもないだろう。

(歩いて、戻ってきたというのか?)

 道など、わからないはずだった。
 馬の移動で匂いがわかるはずがない。
 ならば、どうやって?

「バクラ」

 呼ぶ。
 耳がぴくっと動いた。
 それでも瞼は開かず、ころんっと、小さく寝返りを打つ。
 そして、彼の感触を見つけると顔を押し付ける。
 彼の口から、盛大な溜息が出た。
 複雑な顔で、白い髪に手を伸ばす。
 柔らかな感触は、いつぶりだっただろうと考えていると、手にも頭をこすりつけてきた。

「………」

 少し考えて、手をあげる。
 耳と顔が、微かに手を追うようにもちあげられたが、やはり瞼は開かない。

「母上」

 静かな声が部屋に響く。
 反応はない。

「いるのはわかっています。すみませんが、頼みたいことが」

 返事はやはり、返ってこない。

「朝食を、二人分お願いします」

 様々な思いをこめて、そう呟く。
 空気が、笑った気がした。それとほぼ同時に廊下を走っていく音が聞こえる。
 その音に反応したのか、バクラの耳がぱたっと動き、唸るような声を漏らした。

「もう少し、寝ていろ」

 また、彼の手が頭を撫でる。
 手か、声、あるいは両方に安心したのか、バクラは表情を緩めた。





 こうして、彼は敗北したのだった。



 ノックアウト、降参、お手上げ。
 ついに、セト様も、自由を奪って飼い殺しにする決心で溜息をつきました。
 これで、一人前の愛犬家です(ォィ)
 ちなみに、家まで帰ってきたのはバクラの自力、家にいれてセト様の布団にもぐりこませたのはセトママです。
 セト様は、自分が起きるとバクラも起きそうだからゴハンを頼みました。
 バクラが目覚めたら、新しい生活と関係の始まりです。






 


 後半戦終了。  長らく(?)お付き合いありがとうございます。  また、続けられたら色々書きたいです。


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