生まれ変わったら、選んでもいい?





 彼が手近なソファで仮眠をとっているとき、その少年は現れた。
 足音もなく近づいてきたかと思えば、乱暴に飛び込むように彼の体に抱きつく。
 いつも突然やってくる少年を、いつものように怒鳴ろうと開かれた口から、言葉は出なかった。

「すこしだけ、ねむらせて」

 あまりにも、虚ろな眼だった。
 彼の好む青い瞳。
 それはいつだって不敵に輝いていたはずだった。確かに、その瞳が遠く陰りを負うことはあったが、これほど虚ろな瞬間など、見たことが無い。
 空っぽというほど、澄んでもいない。まるで濁りが満ちてしまったかのようだった。
 意思が、読み通せない。

「おねがい」

 ぎゅうっと、弱弱しい手が服の裾を掴んだ。
 震えているのかと勘違いしてしまいそうなほど、弱い。
 少なからず動揺した彼が、言葉を迷っているうちに、その瞳は閉じられる。
 苦しげな呼吸が、耳に付く。

「やさしいてもこもりうたもいらないから」

 縋っているのに、突き放すような言葉だった。



「ゆっくり眠らせて」 



 荒い溜息を一つ吐き、少年は何も言わなくなっていた。
 判決を言い渡される被告人のように、待っている。
 彼の言葉を、許しを、あるいは拒絶を待っていた。
 でも、それよりも、なによりも、眠いとばかりに動きはしない。

「俺に何を望んでいるのだ、貴様は」

 声に、反応は無い。
 ただ、倒れこんだ胸に顔をこすりつける。
 なにか声をかけることもできた。
 手を伸ばすことも、振り払うことも、受け入れることも遠ざけることもできた。
 けれど、そのどれもしない。否、できなかった。
 彼はただ見ていることしかできなかった。
 不安定な寝息が耳に響いても、眠っているというのに、少しも安らぐことのない顔を見ても。
 髪すら、撫でられなかった。
 なぜかはわからない。
 それが、無性に腹がたつ。苛立って堪らない。 
 握った拳を振るう場所がわからず、歯噛みした。

(ゆっくり眠らせて)

 そう、少年は言った。
 だが、その表情はあまりにも眠りから遠い。
 唇から紡がれるのは、悲鳴にも似た小さなうめき。
 助けてと言っているようにも聞こえるうめき声は、過去の夢を見る弟の姿に重なった。
 汗が、頬を伝う。
 寝苦しげに顔が歪んだ。
 それでも、動けない。

「ぇ……っ」

 びくりと、少年の体が引きつる。
 悪夢でも見ているのか、震えていた。
 
「せ、」

 ひきつった声。

「せと」

 彼の名と同じ音。
 しかし、それは彼を求めた言葉ではない。

「せとぉ」

 遠い向こう側を、呼んでいる。
 起せばよかった。
 いつものように怒鳴って、振り払って、追い出してしまえば。  
 そうすれば、これほどの悔しさを感じなくても、すんだというのに。

「貴様は、俺に何を望んでいるのだ」

 問いかけではない言葉。
 わかりきっていたのだ。
 彼は、わかっていた。



「貴様は、俺に何も望んでいないのか」



 口に出せば、思ったよりも冷たい響きだった。
 何も、望まれていない。
 それは、いないのと同じこと。
 ただの代替品でしかない事実に、はらわたが煮えくり返りそうだった。
 しかし、本当は、代替品にすら満たない。

 不意に、少年の瞳が開く。

 青い瞳が、彼を写した。
 汗まみれの顔が、寂しげに歪む。
 


「生まれ変わったら、選んでもいい?」



 苦い笑み。
 反応をうかがうような問い。
 彼は、眉間のしわを更に濃くした。


「できもせんことを、口にするな」


 目を、見開く。
 くしゃりっと、笑みが泣きそうにしかめられる。
 泣くと、彼は思った。
 けれど、涙はこぼれない。泣くよりも、辛そうな顔をしただけ。
 服の裾を握る手が離れた。だが、起き上がる気配はない。

「ごめん、しゃちょう、ごめん」

 瞳が、再び閉じられる。

「ごめん、でも、眠い……」

 顔を胸に埋め、動かなくなった。
 視線を動かした窓の外、外は薄く明るくなっていく。
 彼は、握った拳を開いた。
 目の前で揺れる白い髪に、触れようと、指を動かす。
 ただ、指を動かせば届く距離。
 しかし、それは永遠より遠い。

「っ……」 
  
 拳を握る。
 触れることすらできず、歯噛みした。





 窓の外が明るくなった時、少年は急に起き上がった。
 そのあまりに勢いの良さに彼は驚いて瞬きを繰り返す。
 乱暴に彼の上から立ち上がると、睨みつけられる。
 少年にそんな風に睨みつけられるのが初めてだった彼は更に驚きながらも、冷静に考える。

「オカルトで、ない方か」

 少年は、冷たい目で頷いた。
 そして、ただ一言。



「この、ヘタレ」



 びしっと、彼の強靭な心を殴りつけた。
 何か言い返したくとも、彼はなんとなく、こういうときの少年が苦手だった。
 いつもの自分のペースが出てこない。

「ヘタレ、意気地なし、臆病者」

 ガンガンガンっと、どんな罵声にも滅多に傷つかない心をヘコませる。
 さすがに何か反論してやろうと口を開いた瞬間には、もう背中を向けていた。
 言いたいことは終わったと告げる背中は、彼の言葉を拒絶する。
 開いた口から、言葉が出ない。
 扉まで早足でたどり着いた少年は、一度だけ振り返った。


「ただ、抱きしめて頭でも撫でてやればよかったんだ。
 そんなことすらできないなんて、安いプライドだね」


 それが、トドメのように彼は目をそらした。
 バタンっと、扉が閉まる音がする。
 彼は、握った拳をソファに叩きつけた。



 求められていなくても、望まれていなくても、縋ってはいたんだよ。
 遠いけど、少し手を伸ばせば、そこにいたんだよ。

 社長にひどいことをしていると理解しながらも、やっぱり書いてしまう。
 バクラは、ゆっくり心が眠れる場所がほしくて、社長は選んでほしくて、宿主様はバクラを引き止めてほしくて。
 そんな色々な心が交差しつつ上滑りしているのをかきたかったんですが、ただの社長いじめになりました。  申し訳ないです……。
 つっつぎは海バクでラブラブさせたいですね!
 生まれ変わってなんのしがらみも背景もなく仲良し!

 しかし、社長の「できもせんことを〜」もけっこうひどい言葉だと思いますが、バクラの「生まれ変わったら〜」もひどい言葉です。
 今は選んでいないことを、今世では絶対選べないと言っているのですから。



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