貴方を見ないために目を潰し。
 貴方を呼ばないために喉を切り。
 貴方を聞かないために鼓膜を破り。
 貴方を感じないために皮膚を剥がし。
 そうしてようやく安心したというのに。
 困ったことに、貴方を想うこの心だけは潰すことも切ることも破ることも剥がすこともできないのです。
 いつだって、心は肉体よりも痛く苦しくじくじくじくじくじくあてつけのように存在を主張してどうしようもありません。
 お願いですから、この心の壊し方を教えてください。


 追いかけるのに飽きたのに。
 どうしてあんたは追ってくるんだ。
 そうしたら、逃げるしかないだろ。
 逃げることなんて、大嫌いなのに。



 新しい器の中で、自分は隠れて怯えている。
 無意味だというのに息を殺し、小さく丸まっていっそこの身よ消えてしまえ、と願い続けた。
 鼓動の音すらうるさい静寂の中、足音がする。足音がする。
 自分を追い詰める足音がする。
 頼むからその足音が近づいてこないでくれと祈るものの、絶望的なまでにゆっくりと、足音はやってくる。
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 逃げなくてはと自分を叱咤するものの、山より高いプライドが「逃げるな」と言い、本能が竦みあがって足を動かさない。
 もう、放っておいてくれ。
 こっちは疲れたんだ。二度とあんたには関わらないと言ったじゃないか。絶縁状だってなんだって、たたきつけてやっただろう。
 あんただって嫌いだったじゃないか。追いかけられて迷惑そうだったじゃないか。あの時だって、拒絶したじゃないか。選ばなかったじゃないか。
 なのに、なんで。
 いったい、なにがしたいんだ。いったい、なにをさせたいというんだ。
 背中に気配がする。
 許して助けてごめんなさいもう嫌ですだめですお断りします逃げさせてでなければどこか遠くへいってください。
 光のような、暖かな気配。
 こんな、暗くて狭い場所に似合わない、不相応な場違いすぎる影。
 ひゃくりと喉を詰まらせて、涙が零れるのを止められなかった。
 華奢な細い腕が俺の首に伸びて、無理矢理引き寄せる。
 ぴたっとくっついた体温は温か過ぎて気持ち悪い。
 じたばた子どものように手足をバタつかせ、抵抗しても無駄だった。いや、自分では抵抗したつもりだったのに、結局指先一つ動かせず荒い呼吸を繰り返すだけ。
 小さな指が輪郭を撫で、髪に触れた。泣いていることに気づいたのか、勝手に目じりをぬぐって髪に顔をうずめてくる。
 やめろ気持ち悪いと叫ぼうとして、ただ歯の根が合わずがちがちと歯がぶつかりあうだけになってしまう。
 頼むから、お願いだから、放っておいてくれ、捨ててくれ。
 あんたには俺様なんて本当はいらねえんだろ。
 必要のないものだろう。
 あんたは、あんたの大好きな友だちに囲まれて笑っていたじゃないか。
 いつだってそう、そうやって自分が光であることを、選ばれた存在であることを、見せ付けるように。
 俺様はいつだってそこには不要だった。
 なのに、まるで、まるで必要であるかのように追いかけてくるなんて。
 体温が馴染んできて、気持ち悪い。
 境がなくなっていくようで、怖い。
 せめて、何か一言でも相手が口にすれば、言い返せるというのに。
 いつもの饒舌さは皆無で、自分の呼吸音が聞き苦しい。
 止まらない涙を何度もぬぐわれて、肩口に口付けられた。
 さすがに驚いて思わず腕が動く。その顔を殴るか叩くかしてやりたかったのだが、髪や肌に触れる程度の弱弱しいもので、よけいに存在を知ってしまい恐ろしい。
 手に触れられ、まるで壊れ物のように丁寧に撫でられた。
 なんで。
 なんでこの手で傷つけてくれないのだ。この手は、いつだって、自分を傷つけてはくれやしない。この手で、直接傷つけてくれれば、いくらだって、反撃ができるのに。
 憎らしい。憎らしくてたまらないのに。
 手の甲を撫でられながら、指に唇の感触。
 ぬるっと、舐められて、咄嗟に手に力がこもった。

 嫌だ。

 まるで、相手に触れた部分だけが、生き返って動くようじゃないか。
 そう考えると、手の力が抜けていく。
 舐められたのは少しだけで、それ以上の感触も感覚もこない。
 ただ、指にじわじわと体温が移るだけ。
 もう、やめてくれ。
 解放してやるから、勘違いさせないでくれ。
 本当に、あんたのどんな言葉よりも、どんな痛みよりも、それが一番辛いのだから。
 受けて入れてもらえたような、選ばれてような気分にさせないでくれ。
 希望の後の絶望なんて、もう二度と味わいたくないのだ。



 怯え縮こまって動かないバクラを抱きしめて、「さて、どうしよう」と俺は考える。
 こいつは逃げ足と隠れるのだけはうまいから、見つけるのに苦労したが、結局はやっぱり、こうやって捕まえる。こいつを追いかけるのは、追いかけて捕まえるのは何度目だっただろうか。正直覚えていない。
 あの日、いきなり叩きつけられた言葉と絶縁状に、しばらく俺はぼうっとボケてしまい反応できなかったが、とにかく追いかけないといけないことだけはわかっていた。絶対に逃がしてはいけない。
 いつだって追いかけてくるから安心してしまっていた。
 放っておいても大丈夫だと思ってしまった。
 まったく、油断したものだ。
 震えが、まだ体に伝わってくる。
 早く観念すればいいのに。
 俺から逃げるなんて、諦めろ。
 どうせ逃げられないんだから、前みたいに追ってくればいい。俺だけを見て生きていればいい。
 ぎゅうっと握った手に更に力をこめた。
 震えがいっそう強くなり、悲鳴のような嗚咽が混じる。
 それでも、離す気になどなれやしない。
 
「バクラ」

 名を、呼ぶ。
 震えが強くなり、悲鳴のような嗚咽が混じった。
 それでも、離す気は無い。
 逃がすものか、逃がすものか。
 こんなに愛しいのに。



 追いかけっこで、すれ違いな王バクっていいなっと思ったら書いていました。
 王様の想いは何一つ伝わってません。
 微、転生ものです。



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