生まれいでしときより聖であり、死すべきその瞬間まで聖である。
 穢れという穢れ、異形という異形、闇という闇の天敵。
 触れる全てを聖別し、吐息一つすら浄化する。
 神の寵愛を一心に受けし、最も清く尊き者。
 崇めた称えられ奉られて当然の存在。
 在るだけで神の存在を体現す。









 それを、人は、信徒たちは、「聖人」と呼んだ。







 

 異形の体を抉れ。
 異形の体に穿て。
 異形の体を削れ。
 異形の体に刻め。
 異形の体を殴れ。
 異形の体に刺せ。
 異形の体を壊せ。

 血と肉を打つ音を響かせろ。
 まだ悲しみも苦しみも痛みも絶望も足りない。

「私たちは逝ってしまった人たちの足跡を踏みながら旅をしている」

 闇の中、声が響く。

「神がお通りになるぞ」

 その声は、場違いに明るく、はしゃいでいるようにも聞こえた。
 だが、もしも声の主を近くで見ることになれば、それが違うことがわかるだろう。
 なぜなら、彼は笑っていたからだ。
 どうしようもなく、笑っていた。
 まるで、泣いているかのように笑いながら、言葉を紡ぐ。

「そしてやがてひとつになるのだ、新しく光り輝く岸辺で」

 ぞわり。
 彼の背後で闇が蠢いた。
 
「聖者が行進していく時」

 だが、彼は気にしない。
 ただ歌のない言葉を口ずさみながら進む。

「神よ、私もそこに居たいのです」

 すぐ背後で、黒が飛び出した。

「聖者が行進していく時」

 それは、翼を持つ、蝙蝠似たなにか。 
 目も鼻も口もなく、ただ闇を練り上げたような粘度細工に似ていた。
 ほとんど、避けられないタイミングと、速さで、なにかは彼に襲いかかる。

「太陽が輝き始める時」

 だが、彼は避けるどころか振り返ることすらしなかった。

「太陽が輝き始める時」

 なぜなら、なにかはその翼が彼の髪の毛一筋に触れることなく消滅したからだ。
 一匹を契機に、何十匹もの蝙蝠に似たなにかが一斉に飛び掛る。
 しかし、彼は表情も、歩みも崩さない。 

「神よ、私もそこに居たいのです」

 まるで、ピクニックのような気軽さで、呟き続ける。

「太陽が輝き始める時」

 一歩、踏み出すごとに蝙蝠は消滅する。

「裁きのラッパが鳴る時」

 悲鳴一つあげることすらできず、ぼろぼろと崩れ去った。
 後には何も残さず、存在などしないかのように。

「裁きのラッパが鳴る時」

 彼の行く先に障害はない。
 彼の来た道に障害はない。
 何一つ、彼を邪魔するものなど存在しないのだ。

「神よ、私もそこに居たいのです」 

 笑顔の先に、なにがいるかを全て理解して、彼は足を踏み出す。
 闇など、微塵も恐ろしくないとばかりに。
 どんな穢れも異形も彼に触れることすらできない。
 彼どころか、彼がまとう服にすら、触れることができず消えていく。

「裁きのラッパが鳴る時」

 ぴたりと、そこで言葉が止まった。
 彼は、笑う。
 見つけたといわんばかりに、立ち止まった。

「聖者の凱旋、って言ったところかい」
「勝手に題名を変えちゃだめだよ」

 視線の先には、背から翼を生やした異形の王。
 全てが、予定調和。
 まるで、最初から計画したかのような当然が、そこにある。

「かくれんぼ、おしまい?」

 子どものように、首を傾げる。
 だが、その仕草にはどこかわざとらしい違和感が見えた。

「まったく……本当に、やってくれるぜ……」

 王は、大きく溜息をつく。
 明らかに満身創痍だった。
 目立つ腕より長く広げられた翼は傷つき折れ、まるで串刺しのようになんでもない鋭い木の枝が何本も貫通し、抑える脇腹は皮膚が存在せず、じくじくと赤く蠢く内臓がこぼれかけていた。
 顔を拭う余裕もないのか口の端どころか頬や喉にまで自ら血が滴り汚れているだけではなく服もあちこち破れていた。そこから除くのは火傷のような痣。
 闇の中でわかりにくいが表情は、疲れや苦味が満ち、肩で息をしていた。

「バクラと違って、優しい顔をしていたから、油断したぜ……」

 けれど、異形の王もまた、笑みを絶やすことはない。
 焦り、追い詰められていても、決して屈する様子は微塵も存在しない。
 まさしく、王の誇りを持ってして、立ち続けていた。

「うん、よくセトくんにはえげつないって言われるよ」

 彼は、手を広げた。
 白い、なんでもない白い手だ。
 なにかあるとすれば、見惚れるほど美しく穢れの一切ない手だということだろう。
 
「で、もう逃げないの?」
「逃げても、無駄だろ?」
「うん、だって、この辺り一体に結界はらせてもらったから」

 王が、後ろ手で虚空に触れる。
 そこには、なにもなかった。
 ないはずだった。
 けれど、王の手はまるでガラスに触れたように一定の場所で動かなくなる。
 それがガラスであれば割ることもできたが、ガラスではない。

「言ったでしょ。
 僕が彼より後に現れたのは、君の後ろをとりたかったとか、彼に遅れたわけじゃないんだって」

 結界、それは見えない壁と称するのが正しいだろう。
 それは、穢れや異形から身を守る、あるいは閉じ込めるために作られる奇跡。 
 ただ、もしもそれを普通の人間が造るならば莫大な時間と手間と道具が必要だった。
 しかし、彼は、そんな時間も手間も道具も超越し、少しの準備で結界を張って見せた。
 異形の王を封じ込めるほどの、強く巨大な結界を。

「あの短時間でこれほどの結界を造るなんて」
 
 だが、それは彼にとっては当たり前のことでしかない。
 むしろ、彼にとっては莫大な時間と手間と道具を揃える方がおかしいのだ。
 理解できないと言ってもいい。
 理解する必要すらなかった。 



「さすが、聖人だぜ」
 彼は、神に愛されし存在、聖人なのだから。



 聖人。
 その一言で、誰もが納得する。
 それ以上の説明なんて、必要がない。
 この世の理。なんのことはない法則。不公平と声をあげることすらできない当然。   
  
「そんなことないよ。ちょっと足が疲れちゃった」

 王が、視線を少し下げた。
 そこには、足跡がある。
 恐らく、彼のブーツとあわえてみれば多少の差異はあるかもしれないがぴったりだろう足跡。
 それこそが、結界だった。 

 あまりにも簡単な奇跡。

 足跡だけで、どんなに死に物狂いで張られた結界よりも強い。
 じりっと、少しだけ横に足をずらす。
 距離をとるように、反応をうかがうように王は彼を見つめる。
 
「僕、体力ないから」

 王が、地を蹴った。
 折れた翼がべきべきと音をたて変化する。
 まるで、彼の視界を覆うように巨大に広がり、獣のあぎとのように彼を飲み込むようだった。
 それでも、恐れも怯みもしない。
 どころか、一歩踏み出し、王の翼を掴んだ。
 だが、止まらない。
 翼を自らの手で千切ると彼の横をすり抜けるように跳んだ。
 彼の手の中で、千切れた翼が溶けて地面を汚す。
 それを踏みにじりながら、彼は足を回した。

「っ!!」

 骨の砕ける音がした。
 身を低くした王の顔面に、丈夫そうなブーツのつま先が突き刺さる。
 王の人間ならぬ速度が、その力の入っていない蹴りに勢いを持たせた。 
 翼を使い、素早くバックステップ。人間ならばそのまま顔面が破壊されていただろう。
 手で砕けた骨の位置を直し、荒く息をつく。
 ただし、手で抑えられなくなったせいか、ずるりと内臓が崩れおち、形容し難いものへと形を変えた。



「ねえ、僕がどれだけ怒ってるかわかる?」



 狂うほどの殺気が、歪むほどの怒りが、静かに空間を軋ませた。
 彼はようやく、笑みをやめる。
 それでも、彼の表情は静謐な水面のように静かだった。

「どうして、バクラだったの」

 淡々と、問う。 

「君は、バクラになにをしたか、わかってるの?」
「ああ」

 王は、はっきりと答える。
 そこには、迷いも罪悪感もない。
 だからこそ、彼は唇を噛む。

「嘘だ」
「嘘じゃない」
「君たちのほうが、僕達よりもずっとわかるはずだ。
 聖職者である僕たちが、異形になるということがどんなことなのか」

 教会は、穢れも異形も認めない。
 穢れは祓うべきであり、異形は殺すべき存在。
 異形にに堕ちるということは、すなわち、死。
 でなければ、死よりも恐ろしいものが待っている。
 異端は、絶対に許されない。
 執拗に、残酷に、冷徹に、徹底的に。
 ただ存在するだけで嫌悪され、憎まれ、追われ、狩られ、殲滅される。
 それを教え込まれた聖職者が望まずに異形に変えられた。
 どれだけの、苦しみが、悲しみが、拒絶が、絶望がそこにあるかなど、想像もつかない。

「わかっている」

 そのことは、異形である王こそ、身に刻んでいた。

「わかってるなら、なんで」

 なんでっと、繰り返す。
 言葉を口にしないと、崩れてしまうとばかりに。

「だからこそ、俺はあいつを選んだ」
「だからこそ?」

 かっと、彼の声に激情が滲む。
 いままでのどの表情よりも、人間らしい激しさ。
 ぶんっと、全てを否定するように腕を振る。 
  
「バクラがいままで、どんなことをされてきたか!! バクラがどれだけ苦しんだか!! バクラがどれだけ辛いか!! 君は知ってるくせに!!
 どうして、どうしてあんなことができるんだ!! 何でバクラを追い詰めるんだ!! 何でこれ以上バクラを苦しめるんだ!! 信じられない!!
 やっと、やっとここまできたのに!!」
「あいつが、いつまでたっても異端でしかないからだ。
 君の弟であるということだけで」
「!」

 口を開いたが、反論の言葉はでなかった。

「教会にいる限り、あいつは逃げられない。
 いつまでたっても聖人の弟という事実が、周囲があいつを苦しめ苛む」

 どころか、みるみる内に彼の顔は青ざめた。
 触れられたくない場所に触れられたように、鼓動が跳ねる。
 ぜぃっと、初めて息が乱れた。



「むしろ、逆に問うぜ」
「教会にいてバクラが幸せになれるのか?」
「苦しむことも辛いことも悲しいこともないと言えるのか?」
「君の傍にいて、バクラはハクラでいられるのか?」
「君は、バクラの傍でバクラを守れるのか?」
「君の傍にいる限り、バクラは聖人の影でしかない」
「厭われ、穢れを押し付けられ、存在すら本来は許されない」
「君こそ、知っているんだろ。
 バクラがそのせいで、君のせいでどんな目にあったか、今もどんな目に合わされているか」
「教会にいる限り、バクラは、バクラでいられないんだ」
「君がいても、セトがいても、結局、一人でしかない」
「そうだろう、バクラくん」



 体が震えた。
 青ざめた顔が怒りに歪む。 

「僕を、名前で呼ぶな。それは、僕の名前じゃない」
「ああ、すまない」

 あっさりと、王は謝罪を口にする。

「でも、言ったことは撤回しないぜ……。
 バクラは教会では幸せになれない。
 でも、悔しいが君とセトがいる限り、絶対に教会を離れることはないだろう」

 そんなことは、当たり前だと彼は睨みつける。
 王は、苦笑した。

「だからこそ、俺は無理矢理でもこちらに引き込んだ。
 そうでない限り、バクラは君たちから離れない、君たちが、離さない」

 そうすることこそが、救いなのだといわんばかりに。
 けれど、彼は知っている。それもまた、真実の一つだということを。
 目を伏せる。
 瞼の裏に浮かぶのは、いつだって弟だった。しかし、その弟の姿は、あまりにも少ない。


「もういいよ」


 目を開く。
 掠れた息が漏れた。
 


「もう、時間稼ぎはいいよ」



 一歩踏み出す。
 ふらっと、体が揺れた。
 それでも、瞳はまっすぐに王を貫く。

「時間稼ぎ?」

 なんのことだかっと、肩を竦める。

「それ以上戯言を紡ぐなら、喉、潰すよ」

 彼は、そうっと手近な木に手を伸ばした。
 すると、まるで当然のようにぼきりと長さも太さも大きさもちょうどいい枝がその手の上にのる。
 その枝を少し回して、口付けた。
 ぞわっと、王の背に恐怖が走る。
 どうしようもない、本能の警告。

「僕の触れるものは全て聖別される。
 僕の聖別したものは、この世の有象無象の異形にとって最悪の凶器となる」

 枝を、まるで英雄が持つ剣のように突きつけた。

「まあ、それはさっきまで味わったよね?」

 暑いわけでもないのに、つうっと、汗が流れた。

「白木の杭じゃないけど、これでも、心臓に刺せば、君の行動を封じるくらいできる」

 ぐらっと、視界が揺れる。
(しまったなあ……)
 彼はそう頭の中で考えながら、動いた。
 王は、その行動を目で追い、尋常ではない反射神経で避ける。
 それを体を小さく反転させ、更に追いかけた。
 だが、少し鈍い。さきほどまでの鋭さが足りない。
 体勢的に一撃くるかと思えば、王も満身創痍の体をうまく使えないのか、また距離を置く。
 ひゅうっと、喉が鳴った。
 彼の息が更にあがり、白い肌からより色が抜けていく。
 それでも、止まらない。
 彼が仕掛け、王が避ける。
 攻防とも言えない駆け引きは続く。
 それは、さっきまで繰り返されていたこと。
 ただし、一つだけ違う点があった。

「息があがってるぜ?」
「僕、体力ないんだよ……」

 焦りと余裕の、逆転。  









 
 血の匂いが、ひどく鼻についた。










「離して、セト、頼むから」
 
 異形は泣きながら懇願しる。

「いかないと、兄貴が、兄貴が」

 暴れる異形の体を抱きしめ、男が止めた。
 異形が本気を出せば、軽く男を振り払うこともできただろう。
 しかし、異形はそれをしない、できない。

「大丈夫だ」

 落ち着かせるように、男は低い声で囁いた。
 大丈夫だと、繰り返す。

「あの方を殺せる異形はいない」

 触れることすら、困難だろう。
 逃がすことはあっても、殺されることはない。
 そう、言い聞かせるように髪を撫でる。
 だが、異形は落ち着かない。
   
「違う」

 首を振る。

「違う、血の、匂いがした」

 怯えながら、その言葉を口にする。

「気のせいかと思った。兄貴は笑ってたし、怪我がなかったから。
 俺様の血の匂いかと思ったけど、違う。今、今なら、わかる」
「あの方が、奴に傷つけられたというのか?」
「違う、違う違う。だって、兄貴は、兄貴が、傷つくはずがない。傷つけられるはずがない」

 でも、

「わかる。俺様、わかった。これは、兄貴の血の匂いだって、なんで、こんなに離れてるのに、ここには一滴も落ちていないのに、でも、わかる。
 これは、兄貴の血の匂いだ」
 
 まるで、目の前にあるかのように、鼻腔に届く。
 あまりにも濃い血の匂い。
 それが、異形の体の変化をまざまざと見せ付ける。
 自分が、やはり人ではないものへと変えられた絶望。
 だが、それよりも恐怖が上回る。

「兄貴が、死ぬ」

 ぎゅっと、男の服を掴む。
 震える体が抑えられない。怖いと、肩口へと顔を埋めた。
 血の匂いが、不安を掻き立てる。

「お願い、セト、いかないと」

 男は、一度目を伏せる。

「だめだ」
「セト……」
「俺はあの人にお前を任された、だが、それ以上に」

 今のお前をいかせることはできない。

「セト、セト……」

 むせかえるような血の匂い。それは、自分の半身の匂い。
 傷つくことのないはずの存在の傷。
 恐ろしくてたまらない。
 失うことなんて、想像すらできないというのに。 
 どくっと、血液があわ立つ。
 血の匂い血の匂い血の匂い血の匂い血の匂い血の匂い血の匂い。
 鼻につく。
 ざわりざわりと寒気が止まらない。
 
(あれ?)

 眩暈。
 目の前に、白い首。 
 ぱちりっと、瞬きを繰り返す。

(――い)

 くらり、くらり。
 不安だというのに。
 怖いというのに。
 頭のどこかが、何かを呟いている。
 ちらちらと、白い首が目に痛い。

(いい、――い)

 口では、兄の心配をしているというのに。
 それは、嘘ではないのに。
 脈動が、聞こえる。
 あたたかい、血の通った体。
 美しい首から、目が離せない。 





(いいにおい)





 頭のどこかが、笑みを浮かべた。



 色々あって随分削りましたー。
 しかし、中篇です。文才のなさに絶望。
 いやあ、思ったよりもグロになりませんでした。というか、結構削りました。
 序盤でもう少し、王様を蹴ったり削ったりする宿主様がいたんですが、宿主様の戦闘能力あがりすぎ。
 初期の設定で「宿主様の身体能力は凡人クラス、バクラやセトと肉弾戦だと負ける」でした。
 けれど、いくら怒っているとはいえ、王様相手とはいえ、強すぎるので、セーブ。
 それでも、王様の体から内臓が零れました。うわぁー。いや、序の口ですよね?(ぇ 
 とりあえず、王様メンタル弱いくせに言葉攻めとか。でも、王様口悪いし、普通に言葉攻めするので問題なしですね。
 宿主様はどうやら余裕が一転してピンチ。
 バクラとセトはなんだか大変な予感を孕んでおります。
 バクラの過去がまた謎だらけになったところで、次回をお楽しみに☆

 そして、
 
聖人=すごい神様に愛される清い人。
 神の奇跡を軽々起してしまう。ゆえに存在が神の存在を証明する。
 物凄く偉い。

 ↑のような認識でお願いします。

 さあ、次回で終われるのか、終わってください。マジで。
 ちなみに、最初のはかの有名な「行進」です。訳は色々ありますが、あえてあれにしました。
 最後の歌詞がないのは意図的。



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