※長い、おもしろくない、妙なグロさがある、パラレル設定一層全開。










































 世界が、反転した。





 白い喉に獣の牙が穿たれる。
 柔らかな皮膚を突き破り、その下の肉を抉り、血管へと食い込んだ。
 獣の牙は、どくりどくりと生きている音を感じながら、突き進む。
 じわりとその喉から生きた脈動とともに溢れ出す血。
 その匂いも、味も、最初は嫌悪し、涙した。特に、最も大事な人間の内の一人である男の血を吸うときは、それこそ、死んでしまいたいと思ったほどに。
 しかし、今は違う。その、上等なワインよりも芳醇で、蜜よりも甘く、地獄よりも熱い血はこの世の何を並べても比べようがないほどの美味を感じさせた。
 これ以上など、存在するものか。
 特に、この大事な男だからこそ、そして、男が高位の聖職者であるからこその背徳感と罪悪感、そして清さは今や最高の調味料でしかない。
 こくりこくりと動く喉を動かして彼は貪りながら、うっとりと笑った。
 禍々しく、それゆえに美しく、恐らく貪るという行為に没頭していなければ高く高く笑い声を吐き出していただろう。
 唇から零れ落ちる血すら惜しく、丁寧に舌で舐め上げ、啜る。
 浅ましいまでに夢中に啜れば啜るほど、世界はその顔を変えていく。
 暗く、重く、不自然に、捻じ曲がり、歪み、目には見えないが、空気がねじれた。
 まるで空気の重さが増したかのように息苦しさが辺りを漂い、ぐるりぐるりと完結していく。
 異形は、その光景を魅入っていた。
 恐怖に震えながらも、恐ろしい既視感に襲われながらも、血が、逃げろと叫び狂い喜び暴走しながらも、動けない。
 まるで魂を掴れたような衝撃が、全身を駆け巡り、ぶわりと汗が吹き出た。
(これは、危険だ)
 麻痺する思考の中、ただはっきりわかるのはそれだけ。
 わかっていながらも、やはり視線一つそらすことができずがちがちとかみ合わない牙と牙が音をたてる。
 そして、ぱさりと乾いた音とともに床に落ちた眼帯。
 ただの、黒い眼帯のはずだった。
 そう、床に落ちるまでは。

「な……!」

 異形の喉から、やっと驚愕の声が漏れた。
 ぐにゃりっと、眼帯が歪む。
 まるで、生きているかのようにぐにゃりぐにゃりとゆるやかにその身を動かし、その形を変えていく。
 幾重にも幾重にも闇を重ね、凝縮したような黒の眼帯は、翼を広げた。
 蝙蝠、そう呼ばれる動物の形をとった眼帯は不自然な動きで浮かび上がる。
 それをまるで合図のように、彼の法衣の背が盛り上がり、ぶつりぶつりと繊維を引きちぎり、ぶわりと黒い花を咲かした。いや、それは花ではない。ぐねぐねと蠢く翼、いや、それでもなく、何かよくわからない翼に似たものが広がっていく。
 何かよくわからないものは、天井まで膨らんだかと思えば唐突に崩れ、形容し難く混ざり合いながら、床へと落ちては、彼の影へと吸い込まれる。
 その影もまた、うねり、盛り上がり、膨らみ、踊るように様々な形をとりながら影としての役割をなくしていく。

「バクラ……」

 男の掠れた呼びかけに、唇が名残惜しげに遠のいた。
 ぴちゃりと、最後とでも言うように舌が喉を伝い、吸血痕を消す。
 そして、背から何かよくわからないものをはやしたまま、赤い赤い赤い唇をべろりと舐めた。

「ごちそうさまでした」

 軽い、あまりにも軽い楽しそうな声。今までの声よりも、少し低いが、それでも、年よりは高い声。
 だらりと力の抜けた自分よりも背の高い男の体を軽々と片腕で受け止め、逆に支える。同時にもう片方の手で、自分の穴の空いた胸へと指を伸ばした。
 そこから噴出した血が、眼帯と同じようにぐにゃりと動き、蝙蝠になりきれないねんどのように形を作っては崩れていく。
 そして、血のかかった銀の十字架が、音とたてて割れ、ぼろぼろと落ちていく。
 ゆっくりと、彼は男を壁にもたれかからせ、十字架の破片を踏み潰しながら、振り返る。
 青い瞳に、不自然な瞳孔が、輝く。
 だが、それよりも異形が目を見開いたのは、その反対側の瞳だった。
 今まで隠されていた瞳は、赤。
 まるで、赤い月を写し取ったかのような、ぎらぎらとぎらりぎらりと血のように赤く濃い、異形の瞳がぎょろりと異形を捉えた。

「なんだ……お前は!!」

 先ほどまでの丁寧な口調を捨て去り、異形は叫ぶ。
 赤い瞳に睨まれ動けない中で。
 彼を、異形と成り果て、蠢く翼と、踊る影を持つ彼に、魅入りながら。

「吸血鬼だぜ、あんたらと同じ」

 ごく、あっさりと口にする彼に、異形は髪を振り乱し、激しく首を振る。

「嘘をつくな!!
 お前が我らが同胞であるものか!! なんだ、その姿は! なんだその翼は!! なんだその影は!!
 そんなものは、そんな醜悪なものは知らない!! 例え異形であったとしても、お前のような存在はない!!」

 錯乱したかのように目を血走らせ牙をむき出しに怒り狂う。
 否定し、拒絶し、理解を遠ざけた。
 彼は、その様に、笑う。
 愚かな弱者を、見下ろすように。

「100歩譲って、お前が異形だとしよう……。
 だが、聖職者がなぜ異形なのだ!! 教会は、あそこはそんな甘くもゆるい場所ではない!!
 あの異常な潔癖症どもがなぜ貴様などという存在を許すというのだ!!」

 まさかっと、そこで、異形は言葉を詰まらせた。
 心当たりがあったのだろう、驚愕に目を見開き、また、千切れんばかりに首を振り、否定する。



「まさか……お前が、王の……?」



 ぴくりと、彼の顔が強張った。
 翼が、ぐじゅりぐじゅりと崩れ落ち、床に広がり、影が吠えるように膨らんだ。青い瞳がつりあがり、赤い瞳からじわりっと、赤い雫が滲む。宙を舞っていた蝙蝠に似たなにかが、キィキィと甲高く泣き喚いた。
 異形は、ひしひしとその圧力を感じながら、理解する。
 異常な既視感の正体を、血のざわめきを、恐怖を、思い出す。


 王の前に、跪いたときと、同じ感覚なのだ。


 異形の王と呼ばれる吸血鬼たち。
 その、更に頂点に立つ存在。
 誰もが畏怖し、尊敬し、跪く、偉大なる王。
 つい、数ヶ月前に、何の因果か聖職者を愛し、迎え入れたという。
(ただ、連れ帰るのに失敗したと聞いたので、教会に抹殺されたとばかり思っていたが……)
 しかし、そうであれば全ての感覚に説明がつく。

「王に選ばれるという光栄を抱きながら、王を拒んだ聖職者か!?」
「光栄……?」

 冷たい、切り裂くような声で、彼は呟く。

「なにが……光栄だ……!!」

 一歩、踏み出した瞬間、足が脆くも闇にずぶりと沈んだ。
 しかし、体勢を崩すことなく、もう一歩踏み出した瞬間には、今度は肩がずるりとズレ、そこから蝙蝠に似た何かがはばたく。
 青い瞳が怒りにひきつった。

「吸血鬼になりきれなかった俺様が!! どんな目にあったか!!」
「なりきれなかった……?」

 ぶわりと広がった影が、落ちた異形の腕を噛む。
 はっと視線を向けた先、ぞぶりぞぶりと、異形の腕であったモノを影はその平坦な牙で喰らう。
 そして、異形の足に喰らいつこうとしたところを、跳躍して逃げた。

「なんでだか知らねえけど……俺様は完全に吸血鬼になれなかったんだ」

 そんな事例、聞いたことがないと異形は考える。
 完全な吸血鬼になれなかったという、意味すらわからない。
 ただ、目の前の彼は、吸血鬼に似て非なるものだということしか。

「堕ちきれなかったんだ」

 なあっと、彼は問う。

「てめえは……聖別された純銀のナイフで……肌を丁寧に剥かれたことがあるか……?」

 ずるりと、重たげに足が踏み出される。
 広がった影は、翼は、黒い牙の並んだ口をガチガチと不協和音のように鳴らした。

「剥かれた場所を……スプーンで抉られたことはあるか?」

 昏い声。

「その傷をすぐに塞がらないように、聖水で清められたことは……?」

 白い白い肌に、赤い涙を流しながら、彼は言う。
 異形となった、聖職者が、生きる為になにをされたかを。



「喉に銀を流し込まれたことは?
 体を獣に食われ続けたことは?
 釘で手を縫いつけられたことは?
 叫ぶ舌を十字架で焼かれたことは?
 聖書をひたすら朗読されたことは?
 賛美歌を耳元で流され続けたことは?
 吸血痕に水銀を打ち込まれたことは?
 麻酔なしで内臓を切り刻まれたことは?
 治る度に手足を切り落とされたことは?
 体中の血をギリギリまで抜かれたことは?
 十字架のベットに縛りつけられたことは?
 腕だけ太陽の熱でじわじわ焼かれたことは?
 牙が生えるたびペンチで引っこ抜かれたことは?
 3日3晩あらゆる方法で死なないように殺され続けたことは?
 目の前で吸血鬼が浄化されるのを延々と見せられたことは?」



 まさしく、血も凍るような瞳で、異形を見た。
 それはもう、睨むなどという生易しい言語ではない。
 視線で全てを破壊できるならば、異形など枯れ葉より脆く散っていただろう。
 彼は、ずっと、そうされてきた。
 今まで言ったどれ一つ、余すことなく、いや、口にしただけではないことも、それこそ、記憶がないほどされてきた。
 かの王によって、人でなくなった日から。
 どれくらいで死ぬか、試すために、吸血鬼としての自分を殺すために、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、繰り返された。
 不死身であるから、加減さえすれば死ぬことはないから。
 なぜなら、自分は実験台として、そして、聖人の厳命によって、生かされたのだから。
 異形に、人権などない、それがたとえ、なりそこないだったとしても、ただの家畜。
 だが、そんなことはなんでもなかった。
 穢れた身を清めるには、それくらいしなければいけなかった。
 それよりも、なによりも、辛いことは。






「それを全部、大事な奴に、やらせたことは?」





 くしゃりっと、顔が歪む。
 苦しくて、痛くてたまらないとばかりに、服の上から心臓を掴む。 
 それを、男は見ていた。
 そう、彼に全てを施してきたときのように、見ている。

「俺様がなにされたっていい……。
 なのに、俺様のせいで、セトが……セトが穢れなきゃいけなかったんだ……!!」

 それが、一番許せないのだと、震えた。

「それだけじゃない……セトは、俺様に血を飲ませたから、穢れたって司教の地位を奪われた。
 本当なら、こんなところ、こなくてもいいのに、俺様なんかの監視をしなくてもいいのに。
 なのに、俺様はまだ体中散々弄られて、こいつだって十字架で血を押さえ、眼帯で瞳を隠して、賛美歌を口にして牙を焼かないと外にも出れねえ!!」

 抑えきれないとでも言うように首を振る。

「俺様は異形になんかなりたくなかった!!
 選ばれたくなかった!!
 何が光栄だ!! 穢れた異形になるくらいなら、死んだ方がマシだ!! こんな醜い姿にされて!!
 だけど、この体は簡単に滅びない!! 誰も、誰も俺様を殺してくれない!! 俺様は自分から死ぬこともできない!!」 

 きぃきぃと、部屋中に広がる闇色のなにかが叫ぶ。
 それは、歓喜にも悲鳴にも似ていた。
 彼は、影をまといながら、再び、静かな口調で問う。


「なあ……あんた、同族の血を、飲み干したことがあるか?」


 俺様は、ある。
 にぃぃっと、彼は笑った。
 醜悪な、闇色の笑み。
 異形は、信じられないものを見るような眼で、彼を見た。
 同族の血を吸うなどと、考えたこともないという表情で。

「同族を……喰った……?」
「ああ、同族も同族……俺様の娘と、息子を」

 何かが耳が痛いほど鳴き続ける。

 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ
 きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ

 何か――喰らった娘と息子の成れの果てが一斉に。

「同族を喰うと、どうなるかの実験だった、らしいぜ」

 顔を蒼白にし、異形は怯えた。

「なんという……」

 恐ろしい、恐ろしいと呟く。
 そんな、この世の地獄が目の前に下りてきたかのように、目を閉じる。
 いいや、異形にとって、目の前の彼こそが、地獄だった。
 醜悪で、劣悪、異形よりも禍々しき、何か。
 腕に強く爪を立て、異形はうなる。



「やはり、人間こそ、恐ろしい」



 異形の言葉を、彼は否定しなかった。
 反論する言葉を、持たなかったゆえに。

「バクラ」

 目を伏せかけた彼の耳に、静かな声が響く。
 視線を動かした先には、男がいた。
 ただ、この世で一人、自分に触れてくれる、触れることのできる、大切な男が。
 鳴き続ける何かの声が止み、影は大人しく縮まった。
 はしゃぎすぎて叱られた子どものようにぴたりっと世界に再び静寂がやってくる。
 背の翼のようなものが、風も起さずはばたけば、なんとか人の形をとった彼は、砂を踏みしめ、しっかりとした足取りで異形の前に立つ。 

「俺様、王様の居場所が知りたいんだ」 

 だから、教えて?

「知ってんだろ?
 あの今は弱った王はどこにいるんだ? あんたがこの村を襲ったのも、王に血を捧げるためなんだろ?」

 異形は、目を閉じた。
 そして、開く。
 瞳に、怒りと決意を宿し、腕を振った。
 それだけで、一瞬前まで存在しなかった腕が奇怪な動きで再生する。
 覚悟は、決まったという異形の瞳に、彼もまた、静かに目を細めた。

「私の口から、語ることはございません」
「なら、無理矢理引きずり出してやるぜ」

 合図は、異形の放った衝撃だった。
 今いる家屋など、簡単に吹っ飛ぶような、強大な衝撃。
 しかし、彼は、まっすぐに、まっすぐに歩く。走る必要すらないと、迎え撃った。
 影がぐわりとあぎとを開き、地面から立ち上がる。 
 狼に似た影は、音もなく衝撃を喰らい四散した。
 彼の歩みは止まらない。
 異形は、何度も衝撃を打ち、自分の有利な位置になるように場所を変えていく。
 まるで、逆だった。
 逃げる彼と、異形が逆転している。

「衝撃程度では、瞬きすらさせられませんか……」

 なら、これはどうでしょう?
 異形は衝撃によって砕けた木の破片を浮かし、投げる。
 だが、それも盛り上がった影によって、ばぎりっと喰らわれ、破片をちらす。

「!」

 だけではなかった。
 影を突きぬけ、彼の腹に到達する。
 よく見れば、それは破片ではない、祝福された弾丸。
 彼は顔を歪めて、歯噛みすれば、どろりと弾丸は溶けて血に混じる。
 異形は、今度は隠すことなく弾丸を操り、彼の歩みを止めた。  恐らく、距離をつめられた近距離では、勝てないと本能的にわかっているのだろう。
 だからこそ、彼は距離を縮めようと、そして、異形はチャンスを狙い距離をとる。
 だが、いつまでも弾丸に頼ることはできなかった。いくら彼が始めにばら撒いたとはいえ、その数には限りがある。

「……めんどくせえ」

 彼が、腕をあげる。
 異形のしたように、その腕を無造作に振るった。
 空気が、穿たれる。

「がっ!」

 不意打ちに吹っ飛んだ異形の体は壁にたたきつけられ、小屋を揺らす。
 訳がわからず見た彼は、自分の腕を見つめて頷いた。

「なるほど、こうか」

 初めて使ったというような顔に、異形はなぜだか不気味なものを感じ、体勢を素早く立て直し、弾丸を撃ち込む。
 彼はさすがに祝福された弾丸は嫌なのだろう、避けながら、距離を縮めた。
 
「他の吸血鬼喰ったのは、初めてだけど、なるほど、こうなるのか」

 前のやつもその前のやつも、その前のやつも、喰う前に死んじまったからな。
 他の吸血鬼?
 その言葉に、吸血鬼は思わず視線を巡らせる。
 ない。
 どこにも、ない。
 探しても、探しても、鋭敏な感覚を持って探しても、ない。
 異形の娘の体が、どこにも。

「やっぱり、あいつのために血を集めてたみてえだな……。
 たく、王様も大変だよな……適当にその辺のやつ捕まえて喰えないなんてよ……」

 舌なめずりをしながら、距離を更につめる。
 まだ、腕も届かない距離。
 だが、そんな距離は本気になればあっという間につめられるだろう。
 異形は、考える。そして、壁にもたれかかる男を見た。
 血を大量に吸われたせいか息も絶え絶えに半分気絶したような空ろな瞳でこちらを見ている。
(付け入る隙は……あの神父……)
 男を攻撃した時の彼の動揺を思い出し、標的を定めた。
 祝福された弾丸と破片を大量に操り、彼の足を止め、視界を塞ぐ、その瞬間、壁を蹴り、天井へ足をかけ、男へと飛び込んだ。
 しかし、彼は動揺しない、どころか、笑う。
 その笑みの意味を、異形はすぐに知ることになった。
 影が、膨らむ。
 槍のように尖った影は立ち上がり、異形に向かって突き進む。

「っが!!」

 そして、ぐわばっと牙を剥いた。
 空中で方向転換しようとする異形よりも速く、その足を噛み砕き厚みのない牙がすりつぶす。

「……あーあー……そいつらも、セトのこと大好きだから、容赦ないぜ?」

 流れる血を黒い舌で舐めとり、更に喰らいつこうと影が一斉に躍りかかった。
 衝撃を放ちそれらを牽制しながら、空中でなんとか距離をとったが、膨らんだ影は止まらない。
 怒涛の勢いで殺到し、異形を喰い散らかそうと音も無くあぎとを震わせる。
 影に視界を防がれ、彼がどこにいるか一瞬見失う。
 瞬きより長い、一瞬で、影から、腕が生えた。
 いや、影を突きぬけ、異形の顔を、どちらかといえば華奢な腕が掴む。
(距離を……つめられた!?)
 影の中、美しい赤と青が笑う。

「捕まえた」

 獣の牙が釣りあがった唇から覗く。
 がちんっと牙を鳴らしながら、彼はメキメキと異形の頭を潰さんばかりに力を込める。いや、放っておけば潰す気だろう。
 異形が、彼の肩を掴む。

 メリメリメリメリブチビチブチビチビチブチリ。

 掴んだ瞬間、引きちぎった。肉の裂ける音が鼓膜を震わせる。
 投げ捨てた肩が影に吸い込まれ、遅れて噴出した血が奇怪な形でうねった。
 がづりがづりと影のあぎとが異形の足を削る。

 しかし、異形は止まらない。

 更に彼の体を破壊するために腕を伸ばす。異形の手刀はたやすく、まるで紙のように彼の体を突き抜けた。
 彼は笑いながら、笑いながら異形の顔を指で抉り骨を砕き指の形に陥没させた。
 同時に、異形が自らの背を破り、黒い蝙蝠の羽を広げる。巨大ではあるが、それは彼の翼より小さい。羽はその形を槍に変え、彼の体に突き刺さり抉り穴を開ける。

 しかし、彼もまた止まらない。

 胸から腕を生やしたまま、羽を体に突き刺したまま、裂けたかと思うほど口を開け、異形の首に噛み付こうと体を密着させる。
 異形はなんとか身を捻り、その口に腕を突っ込む。
 がぶりと食いちぎられた腕が、すぐさま再生した。彼も引きちぎられた腕も今は再生している。
 肉体を破壊し合う無残な音が続く。
 影の中、闇の中、赤い血が飛び散り肉が飛び内臓が零れ落ちそれでも再生し続ける。
 吸血鬼同士の戦いは、遠距離ではよっぽどのことがないと決着はつかない。
 なぜなら、彼らはほぼ無限とも言える再生能力を持ち、同時に、相手を滅ぼす武器は自分を滅ぼす武器に繋がるため、使われることが滅多にないからだ。
 ゆえに、戦いは吸血鬼の力がお互いに強ければ強いほど、ただ不毛なものへと続く。
 もしも、吸血鬼同士が決着をつけるならば、それは近距離によって、相手の心臓、あるいは脳を徹底的に破壊するか、その首にかぶりつき、相手を支配することにあった。
 二匹の異形が壊しあう。
 醜い、あまりにも醜い、おぞましき絶望の舞踏。

 ぐちゃりびちゃりぼきりぐにゃりばりびちりぶつりがりりざりざりぐしゃめきりぐちっ

 見ているのは、ただ男だけ。
 その踊りの終焉を見届けるために。

「てめえの」

 そうして、決着はついた。

「負けだ」

 がぶりっと、彼は既に腹から下のない異形の首に噛み付く。

「―――――――――――――――っ!!」

 異形の悲鳴は、聞こえなかった。
 あまりの高さに、人間の耳には響かなかったのだ。
 通常の吸血鬼同士であれば、そこで終わりだった。相手に噛み付き、屈服させ、支配し、相手よりも自分が上だと見せ付けるだけ。
 だが、彼は止まらない。そのまま異形の血を啜り続けた。
 びくびくと痙攣しながら悲鳴を上げ続けた異形の表情が、不意に強張った。

「まっまさか……そんな……ありえない……」

 目を見開き、唇を限界まで開け、掠れた声で信じられないと呟く。

「お前たちは……お前は……王を……自らの父を喰らうために探している……!?」

 ごぼりっと、異形の喉から血が溢れた。
 けれど、そんなことはもうどうでもいい。
 血を啜られながら、異形は叫ぶ。

「正気か!!
 子を喰らうのと、親を喰らうのでは違うのだぞ!! 自らの根源を!! しかも王を喰らうなど!!」

 異形は、見た。
 自分を見上げる赤と青を。
 その澄みきった、濁りきった左右の目に、正気など、一片も写していない。
 惑いながら、異形はただ口を動かした。

「なんだ……なんだこの感覚は……なぜ、お前の、お前のことが流れ込んでくる……。
 そっそうか……お前は、お前は……王を……拒んだのか!!
 ははははは、そういことか!! そういうことか!!お前がなりそこなった理由!!
 お前は、王を、拒んだのか!! 我らは、招かれぬ場所にはいけない。他人の領域に踏み込めはしない……王は……お前の領域に半分しか入れなかったのか!!」

 納得した。
 そう、いっそ晴れやかな顔で、異形は笑う。
 高らかに、高らかに、まるで自分が勝利したかのように笑い続ける。

「愚かな!! 愚かな!!
 王に救われながら、王に選ばれながら、愛されながら!! お前は3度、王を拒んだか!! 恩知らずとは、お前のことだ!!
 そんな、そんな矮小な……理由で……たった……一人の、人間の……ために……」

 異形の喉の震えが、弱まっていく。
 瞳の色は消え、禍々しさも、気配すら、飲まれていく。

「そうか……これ……が……どう……ぞ、くに……くわれ……ははは……ああ……そうか……お前は、そこにいたのか……」

 異形は、虚空に何かを見る。
 いや、それは虚空ではない。
 果てしない、彼の影という闇を、見つめて、ほっと、穏やかな笑みを浮かべた。



「わが、娘」



 牙を離す。
 もう、動かない異形を見下ろし、影へと落とす。
 盛り上がった影は異形の死体を食み、後には、何も残らなかった。

「王様」

 ふうっと、溜息。

「やっと、見つけたぜ……」

 そこに、いやがるのか。
 彼は、顔に伝う血を拭う。
 吸血とは、捕食であり、繁殖であり、愛撫であり――求婚である。
 だが、それを同族に向けた場合は、異なる。
 捕食でもなく、繁殖でもなく、愛撫でもなく――求婚でもない。
 それは、奪うこと。
 相手を一方的に喰らいつくし、自分に、取り込むのだ。経験もの能力も記憶も、なにもかも、なにもかもを凝縮させ、飲み干す。
 本来ならば、そんなものを得てもただもてあますか、逆に爆発してしまいそうなものだが、吸血鬼には、それをいれるだけの容量があった。
 優れすぎた身体能力は経験を使いこなし、無限に再生する体は能力を受け継ぐために変貌し、何百年も生き続けるために記憶を受け入れる場所もある。
 彼は異形の記憶を手繰り、今もなおまざまざと脳に焼きつき離れない王を見る。

「喰ってやるからな……」

 がちんっと牙を鳴らし、彼は誓う。
 王を、喰うと。
 王の血を全て啜り、受け入れてみようと。
 恐らく、そうすれば自分は完全な吸血鬼になれる
 そうして、完全な吸血鬼になったならば。


(セトが、俺様を殺してくれる)


 そうすれば、死ねる。
 宗教上の理由において、彼ら聖職者は自殺を禁じられている。
 ゆえに、彼はここまで堕ちながら、汚されながら、自ら死ぬことはできない。 
 ふと、そこで彼は急に震える。
 強者に似合わぬ恐る恐ると言った表情で、見た。
 そこには、男がいる。
 男は、やはり見ていた。
 その目に、びくりと、彼はおびえずにはいられない。恐れずにはいられない。
 また、醜い姿を見せてしまった。おぞましき異形の戦いを見せてしまった。
 銀の十字架よりも、白木の杭よりも、炎よりもたった一つの視線が怖い。
 少しでも、その視線に嫌悪があれば、拒絶があれば、侮蔑があれば、彼はそれだけで壊れてしまいそうだった。

「バクラ」

 だが、男の瞳は変わらない。
 声もまた、変わらず、手を一つあげるのも恐ろしい苦痛にさいなまれるというのに、手招きをする。
 彼は、迷いながら、男の傍に近づき、座った。

「よくやった」

 白い髪に躊躇いなく手をのせ、撫でる。
 弱弱しくも拙い手つきだったが、彼にとってはそれだけでよかった。
 くしゃりっと顔を歪めると、瞳からぽろぽろと涙を流す。


「ごめ、ごめんなさい……」


 幼子のようにそう呟き、男に縋りつく。
 泣き声だけが静かな、無人の村に響き、終わりを告げた。





「3回」
「3回、俺はあいつに拒まれた」
「3回も迎えにいって、3回も拒まれると、そろそろ俺も疲れる」

 力は弱まっているものの、その威厳を損ねることのない王は、小さく溜息をつく。

「3回中、2回ボッコボコにされたしねー……」
「…………だから、今度は俺は待つことにしたぜ」
「くるかな?」
「こないとでも?」
「くるだろうね……すごく、彼、執念深そうだし」
「執念深いのもあるが……あいつは、俺の味を覚えているからな。忘れられないだろう」

 待つっと、王は言う。
 まどろみながら、ゆっくりと。
 愛しい彼を思い浮かべ。
 その彼が、自分を喰らいにくるのを、待ち続ける。

「なに、俺には悠久の時間がある……あいつがこないならこないで……あの二人が死んでから空っぽのあいつを迎えにいってもいいさ」
「というか、そっちの方がすごく確実だから、逃げまくったら?」
「…………………………」



 終ったああああああああ!!
 もう、削ったりはしょったり、色々ありましたが、なんとかあがりました!!
 疲れた!
 次回への複線を張りまくって終らせる私、自分に対してマジ鬼畜。
 とりあえず、異形バトルをもっと濃く書きたかったです。
 後、やっぱり長くて削りましたが、バクラの拷問エピソードをいれたかったなあ……。
 フハハハハ、オリジナル設定全開で恥ずかしい……。いや、あちこちの作品からちょびちょびもらってきてるんですがね。
 まあ、セトの吸血書けたからよかったです。それだけで……それだけで……。
 
 とりあえず、簡単に言うと
・吸血鬼同士は殴り合ってもすぐ回復するから、意味ないよ。だから、こう、犬のように首を噛んで上下関係躾けるよ。
・吸血鬼が吸血鬼食べるのはダメだよ。でも、食べると相手の力が手に入るよってシステムです。
・吸血鬼は、住人に招かれないと家に入れないよ。
 家とは、つまり他人の領域、同族にするってことは、他人の領域に入る行為に近いから、相手が受け入れないと、吸血鬼にならないよ。
・バクラは半分だけ吸血鬼だから、吸血鬼の弱点がすごい痛いよ、でも半分人間だから、致命傷にならないよ。
・王様は諸事情で、ボッコボコにされて、今弱ってるから、血がたくさん必要だけど、王様だから下々の血を簡単に噛み付いて吸えないよ。
 だから、代わりに家臣に集めてもらってるよ。
 と、まあ、そんな感じです。
 後、まあ、謎があったら……えっと……自己解釈で!!
 うん……おかしいところは、うん……お見逃しを。
 所詮は、自己満足と開き直っていいですか……?



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