吸血鬼とは。
などと今更説明しなくともいいほどメジャーな存在は少ないだろう。
他にも名前や呼び方は多々あれどこの存在の名をこれほど体現している名もない、そう、血を、吸う、鬼。
数多の弱点を持ちながら、それを補うほどの能力と力を持つ異形たちの王。
確かに、その種族――否、血族の中で力の強弱や個体差は多少見られるもののその絶対的高位の吸血鬼には、どんな異形も、あるいは人間すら敬意を払う存在。
彼らにとって血を吸うという行為はただ単純に殺戮に使われる手段ではない。
吸血とは、捕食であり、繁殖であり、愛撫であり――求婚である。
「息子よ、娘よ、ほめ唄ささげよ。
主な死に勝たれた。
ハレルヤ、ハレルヤ」
主を賛美する歌が夜の闇の中響く。
歌う主は闇に馴染むような法衣をまとい、首から下げた銀の十字架を揺らした。
「夜が明ける前に、み墓をめざして急ぐ女たち。
ハレルヤ、ハレルヤ」
白い髪に白い肌、右目に眼帯をしているものの、美しく澄んだ青い瞳の持ち主は、薄く笑いながら、月のない空を見上げる。
彼を見た人間は、誰もが口を揃え聖職者と呼ぶだろう。
神を賛美する歌も、黒い法衣も、聖なる十字架も、聖職者の持ち物としては当たり前のものだからだ。
「み使いは語る。
主はガリラヤへと先立ち行かれる。
ハレルヤ、ハレルヤ」
だが、一つだけ。
どんな人間が見ても異質だと思うのは、法衣の腰に無骨なホルスターを吊り下げていることだろう。
色は法衣と同じ黒。しかし、その多きさと形状は決して法衣に馴染むことなく存在していた。
「恐れるみ弟子に 主のみ声ひびく。
平和があなたに。
ハレルヤ、ハレルヤ」
そんな聖職者は、どこまでもどこまでも響くように高らかに声をあげ続ける。
ただ神に祈るだけにしては異常なほど強く、狂信者にしてはどこか自嘲しているかのように。
「聖なるこの日に 心高く上げ、喜びたたえよ。
ハレルヤ、ハレルヤ。
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ!」
そして、歌は強く強く強く夜空に放たれるように最後に到達した。
ふっと歌いきった喉が、ぜいっと空気を吐き出す。伴奏もなく強く歌いすぎたせいか、喉を抑え、そっと、地面へと視線を落とした。
聖職者の視線の先、そこには明かりのない村がある。
現在の時刻は真夜中過ぎ、都会ならともかく、こうした田舎の小さな村では別段明かりがなくてもおかしくない時間帯。
それでも、聖職者は自らに向かって流れる風に異変を感じ取っていた。
「……鼻が曲がりそうだけど……まだ、それほど腐ってない」
顔をしかめ、そして、その腰のホルスターよりも異質な、異常な笑みを浮かべた。
歪んだ、あまりにも歪み過ぎた笑みであると同時に、なぜか、この風を孕む夜によく似合う。
「なら、いる」
強い風が法衣を揺らす。
しかし、聖職者は一つも揺るがなかった。
ただ、眼下の村を呼ばれるまで睨みつけていた。
「3日前から、いつも村から届け物をしていた男がこなくなった」
それほど大きな声ではないというのに、朗々とはっきり聞こえる声。
「不思議に思った男の友人が村に向かったところ、その友人も帰ってこなかった」
声の主は、黒い法衣をまとい、誰が見ても一目で高位の神父だろうと理解できるほど高貴で神聖な男だった。
静謐で、咳払い一つ許しそうにない声に耳を傾けながら彼はただ男を見ていた。
しかし、その視線は男に反してまったく真剣なものではない。いや、真剣といえば真剣だが、擬音で言うとじっくりだとか、うっとりと言った少々場違いなものだったからだ。
「次は、怖い物知らずの男が、村へ行った。その男は帰ってきたそうだ」
視線に気づき、眉根を寄せた相手に、まったく悪びれず彼は笑いかけた。
ますます真面目そうな顔が不機嫌に歪み、真面目に聞けと睨みつける。
「それで?」
聞いていたと言うように続きを促す彼に、溜息。
「男の話では、村にはもう生きた人間はいなかったそうだ。ただ、化け物がいたらしい」
「ゾンビ?」
彼が化け物という言葉に反応して呟く。
一般的にゾンビといえば、墓場などに極稀に生前の穢れた肉体から変化する肉を貪る異形。
最近は火葬が広まったせいか自然発生したものを見ることは少なくなったが、それでも、異形の中では珍しくない部類だった。
その強さや、醜さ、突いても切っても痛みを感じることなく向かってくる様は恐ろしいが、武器を持ち徒党を組んで冷静に対処すれば素人でも倒せる異形の中でも下位に値する存在。
そして、素人ではなく異形を打ち倒すことの、滅ぼすことの専門家である二人の聖職者にとっては、まったく珍しくも驚異でもない。
「そうだ」
「臭いから一発でわかった。だけど、まだそれほど腐ってないよ」
「………」
「それで? ゾンビたった一匹や二匹でこっちまで回ってこないよね?」
「ああ、ゾンビは、村中に溢れていたそうだ」
「村中……」
「家屋という家屋に、それこそ数え切れないほど」
「うわあ……」
その様を想像したのだろう、彼は顔を歪めた。
「ただ、異変はそれだけじゃなかったらしい」
「うん」
「ゾンビはいくら大量にいても、足が遅いからな。男はなんとか走って逃げようとしたらしい」
「ただしいね」
一般人が、異形と相対したとき、最も正しい対処は逃げること。
無駄に戦おうとすれば殺され、死体を穢され仲間にされるだけ。
「そこで、更に恐ろしい化け物に襲われた。しかし、助かった」
どうしてかわかるか?
そう問いかける視線。
彼は、迷うことなく胸の十字架を掴み、答える。
「銀の十字架を持っていた」
「そう、男は祖母からお守りとして銀の十字架を身につけていたらしい」
彼は、笑う。
強く強く、歪んだ笑みを。
男が、嫌そうな顔をするにも関わらず、止めることなどできないように。
自分の体を傷つけるほど強く抱いて、震える声を搾り出す。
「ゾンビを短期間に大量発生させ、銀の十字架を嫌う存在」
憎悪を、狂気を、隠すことなくその青い瞳に満たす。
「ミディアン、フリークス、ノスフェラートゥ、カインの末裔、ドラクル、ヴァンパイア」
震える声が噛み潰すように単語を紡ぐ。
息も荒く、けれど、笑いながら。
今にも大声で笑い出しそうになりながら抑えきれないものを吐き出すように。
しかし、男の目には、その姿はひどく弱弱しく見えた。
今にも折れ、倒れてしまいそうな見開かれた青い瞳から、涙が零れそうだと。
「異形の王――吸血鬼!」
落ち着け、とでも言う様に男は彼の左目を手袋に包まれた手で抑えた。
はあっと息を吐き、彼は後ろの壁に背を預ける。
しばらく、そうしてじわじわと伝う温度を感じながら目を閉じた。
呼吸を整え、騒ぐ左胸を掴んでずるりと座る。
「ごめん……」
「構わん」
彼は胸の十字架を握り締め、立ち上がる。
「行くんだよね?」
「ああ、話から聞いて、すでに対吸血鬼用装備も届き、発砲許可も……後片付けの許可も出ている」
最後の、後片付けの部分だけ顔を曇らせる男に、彼は笑う。
「村一つ焼き払えってことだね」
男は無言で頷いた。
「吸血鬼の痕跡を一つも残すな。そして、ゾンビを一匹でも逃すな。浄化しつくせ、駆逐しろ。だそうだ」
「怖いね。よっぽど上は吸血鬼が嫌いなのかな」
「ああ、上も、お前も、あの方もな」
あの方、その言葉に今度は彼が顔を曇らせる番だった。
どうしようもなく、申し訳なさそうな、苦しそうな、まるで叱られた子どものような表情。
その頭にぽすっと自然に手を置き、何度か軽く叩く。
すると、彼はただ嬉しそうに、純粋に嬉しそうに笑って頭を抑えた。
「行くぞ」
「うん」
黒い法衣を翻し、男と彼は闇へと足を踏み入れた。
ふと、途中で彼が立ち止まる。
「どうした」
「怒らない……?」
「……?」
「お腹減ったなーって……」
「……………………」
「ご飯先じゃだmっ」
ごづっ。
男の拳が彼の頭に振り下ろされた。
「人に似て、人でないもの。
獣でありながら、人の言葉を操るもの。
人でもなく、獣でもないもの。
これを総じて異形と呼び、神から祝福されなかったもの、神に背いたものとする。
聖なるものはその信仰を持ってこれを打ち滅ぼすべし」
彼は、教会でいつも聞かされる決まり文句を呟いて引き金を引いた。
異形の蠢く村の中、どこかリズミカルな手拍子に似た銃声が響く。
音の主である彼は男の前に立ち、ゲームのように溢れ出るゾンビをその白く華奢な手に似合わぬ無骨な銃で撃ち抜いた。銃弾は寸分違わずゾンビの額を、あるいは心臓を貫通し、その背後に居るゾンビすら巻き込んで崩れていく。
生きた人間の匂いにつられたせいか、ゾンビはその半分腐った顔の窪んだ瞳を爛々と輝かせ彼と男のもとへとゆっくりと近づく。途中、腕に貫通した銃弾の当ったゾンビが腕をぼとりと無機質に落としたり、腐りきった肉が歩くごとに落ち、地面を汚していく。
正常な神経を持つ一般人が見れば恐ろしくて発狂でもしそうな光景。
だが、彼の顔に浮かぶのは、笑み。
闇にも異形にも似合わぬ笑みを浮かびながら、ただただゾンビたちを撃ち倒し、合間にカートリッジを交換してちらりと後ろを振り向いた。
「どう?」
「後、30秒持たせろ」
その背後では、男が黒い皮張りの聖書を手に瓶の中の水を自分の周囲に振りまいていた。
本来ならばその光景は妙に滑稽に見えるのだが、男の雰囲気と、そして法衣が、その姿を神聖で特別なものに見せる。
彼は頷いて、意思がないかのように向かってくるゾンビをまた崩す。
「キリがないね」
「100人ほどの村だったらしいから、キリはあるだろう」
「弾が足りなくなる方が先だから、早くしてね」
そう呟くと同時に、カートリッジをまた交換する。
漂う腐臭に多少顔を引きつらせながらも、やはり笑ながら、ふっと、いつしかその唇が歌うように動いた。
「いる」
嬉しそうに、待ち焦がれていたかのように。
「いる、いる、いる、いる、いやがる……」
にいっと、唇の端が大きくつりあがった。
今までの笑みとは違う、歪んだ笑み。
それは、闇にも異形にもあまりにも合いすぎた、狂気の笑み。
ざわりざわりと彼の肌があわ立った。
鼓動が早まり、体のどこかが歓喜の声をあげる。
「やっと、みつけた……!」
今にもゾンビたちの群れに飛び込みそうな勢いで、彼は叫ぶ。
その時、ふっと、空気を切り裂くような、凛とした涼やかな声が、静かに響いた。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」
彼が振り返る。
驚愕の瞳と男の瞳があった瞬間、冷たく告げた。
「どけ」
彼はふっと笑みを止め、慌てて転がるようにバックステップで後ろに下がった瞬間、激しい風にも似たなにかが通り過ぎる。
彼の目の前で、ゾンビが風に撫でられただけで崩れていく。それは、弾丸で撃ちぬかれたときよりも速く大量に。
風はゾンビを蹂躙するように吹き渡り、土くれへと変えていく。
それは一種爽快だった。
清浄な空気が辺りに未知、腐臭も異様な気配も払い、浄化していく。そう、崩れ落ちた腐肉すらも、まっさらな砂へと還っていくのだ。
異形の蠢く音も、呻き声も消えた頃、男は広げていた聖書を閉じた。
「安らかな眠りを、A-men」
どこまでも、どこまでも聖職者として正しく、鎮魂の表情を浮かべ、十字を切る。
その隣で、彼は感心したような表情で見つめていた。
「いつ見ても、奇跡は反則なくらいすげえよな」
奇跡。
聖職者の使う対異形用の魔法といえばわかりやすいだろう。
儀式によって擬似的な条件を揃え、人工的に神の奇跡を召還する術。
信仰心と、神の寵愛、そして道具があれば誰でも聖職者でなくとも使えるのだが、その力を最も引き出されるのは信仰心と神の寵愛に溢れる聖職者のみだろう。逆に言えば、信仰心と寵愛があれば道具も条件を整える必要もない、まさに奇跡。
「行くぞ」
変わらぬ口調で男は村の闇の奥へと進む。
すっかり空気の変わった村は、なぜか先ほどよりも生活観や人間味というものが欠けているように思えた。
砂を踏む音を聞きながら、ふと、彼は立ち止まった。
「どうした?」
男の問いに、彼はじっと一点を見て、歩く。
それは、小さな、この村にはありふれた家屋。
迷いもなく彼はその扉を開き、止める間もなく足を踏み入れた。家屋の床には、ここにもゾンビがいたのか、じゃりっと砂を踏む感触が足に伝わる。
そこで、男も気づいた。
「……?」
なんでもないその家屋の中から、声がした。ただの声ではない、小さな、本当に小さな女の子の声。
彼はその声に向かってずんずんと歩いていく。
そして、部屋の中、声相応の少女が泣いていた。
まだ10にも満たない子どもが、クマらしきぬいぐるみを持ってうずくまっていた。
くすんくすんとしゃくりあげ、そして、足音に気づいたのだろう、顔を向ける。
ひしゃげたクマらしきぬいぐるみと、涙でぐしゃぐしゃな顔が、思わず抱きしめて慰めたくなるほど哀れだった。
その顔が、彼を写した瞬間、明るく輝いた。
「神父様……!!」
闇の中、希望を見つけたような表情で、少女はぬいぐるみを抱きしめたまま駆け寄った。
彼は、笑みを浮かべる。
優しい、穏やかな笑みだった。
少女を迎えるように手を広げ、そして、
パンッ
少女の頭が弾けた。
彼は、笑っている。
少女に向かって、優しく、優しく。
笑ったまま、その手に握られた銃を撃った。
その動作は、ほとんど見えないほど速かった。
そう、それを男が止めることができないほど。
少女の愛らしい顔がぐちゃぐちゃに歪み、千切れ、崩れた。
脳漿が飛び散り、赤い血が床や壁、家具を汚し、歪んだ眼球が転がっていく。
それを見下ろしてなお、彼は笑う。
「バーカ」
彼の呟いた言葉は、どこまでも冷たく、乾いたものだった。
おかしいところで切るのはやめろ><
というわけで、パラレル臭も味もてんこもり。やばいオリジナル設定にビンビンです。
さてはて、どうなるのか……。
かき終わるのか!!
前、中、後編にならないかすごい不安です。
そして、どうでもいいですか賛美歌萌え。
というわけで、説明しないとわからない用語解説。
吸血鬼=まあ、説明する必要はないと思いますが、血を吸う鬼ですね。
最もメジャーなやつです。
銀を嫌い、十字架を嫌い、ニンニクを嫌い、日光に当ると灰になり、流れる水を渡れず、家に招かれないと入れないとか弱点がもりだくさんでありながら、すごい強いという。
この話では色々違います。
血を吸うという行為が、求婚ということが一番ですね。
あれです、血を吸って仲間を増やす=家族を増やすということなので、求婚の要素をいれました。勝手に。
ゾンビ=まあ、これもすごいメジャーですね。文章中で説明したので割愛。
腐った死体です。
奇跡=白魔法です(おい)
そんな感じだと思ってください。