僕がジキルで君がハイドだ。
 まったくもって、本当に。
 お前は僕の悪い心だった。
 心の奥底に秘めていた汚い部分だった。
 けれど、気づけばお前はいつの間にか僕のためじゃなくて自分のために動き出して、僕をのっとりだした。
 なんてひどいやつなんだ。
 ずっと、僕の悪い心でいればよかったのに。
 でも、でも、そんなこと、全然ひどいことじゃない。
 だって、だって、お前の一番したひどいことは……。



「よお、社長」

 彼はそこにいた。
 そして、笑って手を振っている。
 ただ、それだけの行為なのに、男はひどい衝撃と眩暈を覚えた。ふき出そうになる汗を抑え、低い声で問う。

「……なんのつもりだ?」
「別に、ただ社長に会いたいって思っただけだぜ?」

 へらへら笑って彼は芝居がかった動きで男のところまで歩いてきた。

「まあ、社長様はお忙しいですから、俺様なんざと話てる時間なんてないでしょうが」

 身長差のせいで、上目遣いに見つめながらからかうように告げる。
 それだけで、男の心臓は信じられないくらい跳ねていた。それをちらりとも見せずに冷たく切り捨てる。

「帰れ」
「冷てえの」
「帰れ」
「せっかく、会いにきたっつーのに」

 つまらなそうに唇を尖らせてそれでも、彼は帰らなかった。
 むしろ、男の身体にしなだれかかり、その体温を確かめるように目を伏せる。
 
「社長」

 男は。動けなかった。振り払うことも、抱きしめることもできない。
 そのまま、彼は腕を少しあげ、その首に腕を絡める。開いた瞳でまっすぐと男を見た。じっと、うかがうようにも、観察しているようにも見える瞳。

「社長」

 薄い唇が、2度男を呼ぶ。

「やめろ」

 ただ、男は拒絶する。
 男にとってはありえないことに目を逸らし、迷うように揺れていた。

「社長、俺様のこと、嫌い?」

 もう一度、彼は瞳を閉じた。
 そして、顔を寄せる。
 鼻と鼻がぶつかり、唇が触れる距離。
 だが、そこまで。そこまででしかなかった。
 男の長い指がその唇を抑える。

「もう、やめろ」

 悲痛な、声だった。
 しかし、もうその瞳に迷いは無い。



「アレは、俺に一度も唇を許しはしなかった」



 びくりっと、彼の顔が歪んだ。

「理由はいつもこうだ「俺様の大事な宿主様の唇だから」悪ふざけでさえアレは俺に深く身体を触れさせたことはない」

 彼は――ジキルはばっと身を離しじっと男を睨みつけた。憎憎しげに、苦しげに。
 ぼろぼろと、ハイドの仮面が崩れていく。
 男は少し乱れた服を直し、まっすぐにジギルをにらみ返した。

「なんのつもりかは知らんが、悪趣味だ」
「だって……」

 ジキルは、今にも泣きそうに表情を崩した。
 声音も、先ほどよりも柔らかく弱弱しい。なぜだか、泣き出す前の子どものようだった。

「やっぱり、わかる?」
「わからない訳が無い」
「あいつほど、うまくないけど、自信があったのに」
「うまい、へたの問題じゃないだろう」

 冷たい、そぎ落とすような声。それはとても強い声だ。ただ、強すぎる。
 その声に、彼は微かに怯えた。


「もう、奴はいないのだから」


 しみこむように、その言葉は世界に広がり散っていく。
 なんのことはない真実。誰もが理解している。わかりきった覆せない事実。
 それを直接見たわけではなかった。
 男も、彼も、ただその事実を後で告げられただけ。
 いつもそうだ。関係者だというのに、蚊帳の外。いつも触れ合っているようですれ違っている。
 自分と男は似ていると、彼は思った。そう、立場がよく似ている。
 特に、ハイドを愛し、愛されたところが。
 彼の顔が拗ねたように歪んだ。

「それで、貴様はなにをしにきた」
「……あいつのさ、遺言、持ってきただけ」

 遺言という単語に、男の顔が隠しきれず引きつった。
 思わず、プライドをかなぐり捨て、その華奢な方をわしづかみにする。
 噛み付くように、低い声で問いただした。

「どういう、意味だ」
「痛いよ、海馬君」
「どういう、意味だ」
「そのまんまだよ」

 痛いと顔を歪める彼に構わず、力を更に込める。

「嘘をつくな。アレは俺に何一つ残さなかったはずだ」
「そうだよ。僕にだって何一つ残さなかったよ」
「なら、なぜ遺言などというものがある」

 肩がミシミシと悲鳴をあげる。
 このまま折られてしまうのではないだろうかという錯覚に襲われながらも、強く睨み返した。



「何も残さないためだよ」
「あいつは、忘れろって言ったんだ」



 きっぱりと、たたき付けた。



「忘れろって、言った。僕にも、君にも」
「………」
「あいつは傲慢なんだ。本当にひどいやつなんだ。僕たちに、記憶すら残すな、なんて、言うんだ」

 手から、力が抜ける。
 そのまま、男は俯いた。なんとも男らしくない動きだろうと、彼は思う。
 忘れろ、その言葉を何度も何度も何度も、彼は心の中で繰り返す。ひどい、傲慢な言葉だ。なんて、自分勝手な。自分たちからあれほど奪っておきながら、何も残さないでおきながら。

「やつ、らしい」
「そうだね」

 手が離された。
 すっと背を伸ばし、前を見る。
 そんな男を常々、強いと思う。強すぎると。羨ましいほど、強い。

「社長」

 だから、彼はハイドのフリをする。

「キス、する?」
「いいや。貴様の大事な宿主様の体に、何かをする気はない」
「そっか」
「そうだ」

 それだけで、吹っ切れたような顔をした。
 今や前しか見ず本当に、この一瞬で全てを忘れたかのように彼に背を向ける。
 これからも、男は前しか見ないだろうと確信できた。
 そう、まっすぐ、前しか。たとえ、過去を踏みつけにしても。



「あんたのこと、セトと同じくらい好きだったぜ」



 男は、振り向かなかった。
 決して、決して。
 だから、見逃してしまった。
 いつだって、見逃していた。
 その笑顔は、ジキルのものではなく、ハイドのものだということを。
 そして、それでいいとハイドも思うのだ。

「宿主様のこと、ちょっとだけよろしくな。まだ、あんたと違って立ち直れねえから」

 最後まで、宿主様か。
 男は喉元まで競りあがった言葉を飲み込む。
 死人と喋ってはいけない。これは遺言なのだから。

「……あれ? 僕、何か言った」
「なにも」



 少しだけED後妄想。
 宿主様がバクラの真似してるのは、不安定だからです。いきなりバクラがいなくなって。
 しかし、ジキルとハイドといえばどっちかというとマリマリコンビですよね……。すみません。でも、テレビで見たらつい……。
 海獏要素入ってしまいました……でも、海→バク←獏です。ただし、セト←バクな!!(黙れよ)
 サンドイッチサンドイッチ。
 一応、「あんたのこと、セトと同じくらい好きだったぜ」はバクラの精一杯の殺し文句です。殺せませんが。
 そして、忘れろはギリギリ、覚えて欲しいのと、忘れてほしい中間地点な言葉です。
 まったく、不器用な純愛です(純愛の意味をいつも取り違えているように思えます)
 最後のハイドは残り香みたいなものです、消えました。
 さよなら白昼夢のセトバクverを書いたら皆様怒るでしょうか。



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