籠一杯の果実に持った彼が夕暮れの街を歩く。
 赤く染まった道を、少し遅くなったかと小走りで。
 しかし、頭の上に影がかかった瞬間、立ち止まり、見上げる。

 青い、青い二つの双眸とかち合った。

「セト」

 彼の身長より少し高い塀の上、ソレは軽々と飛び降り、目の前に着地する。
 その不意打ちの登場に少し驚きながらも、少年はため息をつく。

「待ち伏せか?」
「ん、見かけたから」

 肯定とも否定とも聞こえる言葉で答え、ニヤリと笑った。
 ソレは、彼よりも低い背に、華奢というよりも骨と皮ばかりのガリガリな体の持ち主だった。
 どちらかといえばかなり整っているだろう顔立ちに、薄汚れた肌と目つきの悪さ、顔の右半分を横に走る傷がどう見ても少年にしか見えないソレを少女だと知っているものは、少なくともこの街には彼を含めてたった二人しか居ない。
 一度、彼が助けてしまってから何度も助けている少女は無造作に籠から果実を奪い取り口に運ぶ。
 そのまるで当たり前のような動作でされたので、彼は怒る気もうせた。どうせ文句を言ったところで、返すわけもない。
 ごく当たり前のように隣に並んでついてくる。時間的に言って晩飯でもたかりたいのだろうと彼は推測した。
 彼女は少年の家の料理がいたくお気に入りの様子で、こうしてやってくることがある。ただ、彼の母親が苦手なため、それはあくまでたまにではあるが。

「セト、またあいつのとこ、行ってたんだろ」
「……ああ」

 少しだけ、彼はその言葉にぎくっとしてしまった。それを隠すように表情を整えながら相槌を打つ。

「そんなに、勉強してどうすんだ?」

 以前されたのと、同じ質問。
 あれから、かなり経ってしまったというのに、いまだに言い出せない。
 少女は不思議そうな瞳で見ている。

「別段、なにも」
「ふーん」

 同じ反応で、少女は果実を口に運ぶ。
 食べ方が汚いせいか、その腕を果実の汁が辿った。

「そんなに」

 服の裾でその汁を拭きながら、何気なく少女は口を開く。
 まるで、世間話の続きのように。

「そんなに勉強なんかしなくても」

 少女は、夕日と相反する色の瞳をギラギラと輝かせていた。
 見覚えのあるその強さに、そこで、やっと彼は気づく。
(この、目は)



「そんなに勉強して、神官にならなくても、俺様が王様をぶっ殺したら、ファラオにしてやるのに」



(あの夜と、同じ瞳)
 ちろりと、口の周りの果実の汁を舐める。
 その瞳に狂気と憎悪、そして微かな悲しみを宿したまま、じっと彼の反応を待っていた。
 なぜ知っているのかはわからない。
 ただ、この可能性を考えていないわけではなかった。
 今目の前の少女は、本当に、本当にちっぽけな子どもだ。だから、たまに忘れてしまう。

「セト」

 少女が、ただの子どもではないことを。

「なあ、別に俺は怒ったり、悲しんだりしてねえよ」

 どこか、仮面のようなゆるやかな笑顔。
 思わず立ち止まった彼に対して、同じように立ち止まる。

「だって、俺様、全然、期待してなかったから」

 だって、期待しても無駄だ。
 この世界で、何を期待しても、無駄で、無意味で、無価値でしかない。
 だから、期待しなければいい。他者に望まなければ失望は無い。希望を持たなければ、絶望もない。
 簡単なことだ。
 子どもでもわかる理屈。
 それをこの少女は、世界の誰よりも知っていた。
 
「いいぜ、セト、神官になれよ。
 だけど、なったなら、俺の敵だぜ?」

 敵には容赦しないと、少女はあくまで、最後まで笑いながら、果実を口の中で噛み砕いた。



「たすけて、ください」

 扉を開けると、夜の闇の中、血まみれの少年が座っていた。
 驚き、目を見開いた瞬間にそう言われ、身構えることすら忘れて彼は少年を見つめる。
 暗いのでよくわからないが恐らく、足を怪我をしているのだろう立ち上がらずに泣きながら。

「あの人を、たすけてください」
「落ち着け」

 荒い息を吐き、喋るのも苦しいという表情で、繰り返す。
 すでに瞳は不器用に揺れ、意識が虚ろなのだろう、彼の声に構わず頭を振る。
 流れる血が更に少年の肌と地面を汚した。早く治療をしないと、死ぬとまではいかないがかなり危うい状態になると見抜き、彼は背を向ける。
 とりあえず手当てを、そう思った彼の足を次の一言は的確に、強く止めさせた。


「バクラ様を、助けてください」


 ばっと、少年を改めてみた。いや、それは睨んでいるに近い。
 少年はそんな視線をまっすぐに返して懇願した。
 痛みで苦しいだろうに、深々と頭を下げて。

「バクラ様を、バクラ様をたすけてください、あなたにしか頼めないんです!!」
「……事情を話せ、早く」 



 しくじった。
 少女はそう思う。
 周囲にいるのは10、いや20人以上の男たち。男たちは手に手に全員が凶悪な武器を持ち、今にも少女の小柄な体を壊そうと少しずつ近づいてくる。
 少女は顔に出さず歯噛みして、少女は手の中の頼りない武器を握り直した。
 簡単な、簡単な失敗だ。それこそ、誰でも見落とすような、些細な失敗。
 とある男をトドメを刺さずに放置してしまった。そう、その男は少女のことを、正確には少女を頭とする組織のことを調べにきた男。簡単に尻尾を出したので少女の部下は適当に痛めつけ砂漠へ放り出した。街の中で殺すと痕が残るし、後始末は砂漠に住む生き物がやってくれるだろう。
 それを知ったとき、なぜトドメを刺さなかったのだと罵った。誰もが、少女が警戒していると判断するだろう。それだけ、男の傷はひどかったし、あの厳しい砂漠の中で放っておかれて生きていくことなどできるはずはなかった。そう、ないはずであったのに。
 なにもかも後の祭りだった。些細な失敗は少女にとって最悪の結果となり今に至っている。
(やっぱり、あの野郎、俺様が片付けとくんだった)
 やはり、無意識とはいえ、些細な、それこそ本当にそう呼べない程度であっても、期待などするものではない。

「とうとう追い詰めたぜ」

 リーダーらしい男が笑う。

「しかし、チビガキだと聞いてたけど、本当にただのガキだな。
 本当にお前があのバクラなのか? 身代わりとか伝言係……いや、愛人じゃねえのか?」
「うるせえ、そのチビガキにおもしろいくらい振り回されてた豚が」

 あくまで、強気な口と余裕の態度を崩さない。焦ってはいたが、あくまで冷静に少女は考える。
 ここから切り抜ける方法を、例えそれがどれも絶望的なものであったとしても、たった一人、助けの誰一人も期待せず。
(あいつの首をフッ飛ばせば……ちっとは乱れるか)
 何通りもの方法のどれ一つとして、確実な道はない。
 それでも、ここで死ぬわけにはいかなかった。
 一瞬だけ、目を伏せる。

(たすけ、か)

 薄く開いた瞳に、誰かが浮かんだ気がした。

「ああ、ちくしょう、くだらねえこと考えちまった」

 相手が油断している今だと低く体を構え、地を蹴る為に足に力を込める。
 獲物を狙う獣のように神経を尖らせ、集中させた。
 狙うは、一瞬。
 
「?」

 だが、不意に少女はその集中を切れさせた。
 そして、男から視線をそらして別方向を見る。何かが、少女の鋭すぎる聴覚にひっかかったのだ。
 なぜか、胸の奥が跳ねたような気がする。 

「おい、なんだ」

 男たちも、思わずつられてそちらを見た。
 どかどかと、地響きに似た音が、やっと、男たちの聴覚にも届く。誰もがいぶかしげな顔をし、確認に誰かがいったのだろう。
 そして、悲鳴。

「ぎゃあああ!!」

 それは、一言で言えば馬だった。
 いや、一言でなくとも馬としか言えないだろう。
 夜の闇の中、馬が、走ってくる。
 一匹かと思えば違う、暗くてわからないが、複数の馬が、男たちめがけて走ってくるのだ。
 それは正確にはただ真っ直ぐ走っているだけに過ぎなかったが、混乱した男たちは追いかけてくるように思えたのだろう、思わず逃げるように走り出す。
 馬においかけられたくらいで……っと思うものもいるかもしれないが、馬はそれなりに巨大な生き物である。想像してみてほしい、大きさが人間よりも一回り大きく体重が人間の約10倍ほどの生き物に、凄まじい速度で体当たりされたら、あるいは蹴られ、踏みつけられたら。ただですむ人間など存在しない。

「お、おい、お前ら落ち着け!!」

 リーダー格らしい男の声に、数人ははっとし少女を見た。
 少女も何が起きているかわからず呆然としていたところを、はっと気を取り直し、舌打ち。今の瞬間ほど、男を殺すのに良い機会なかったというのに。
 それでも、少女は怯まない。
 さすがに鞍も手綱もない走っている馬に飛び乗るような芸当はできないが、身軽にかわし、体勢を立て直した。

「いい部下を持ってるな」

 せせら笑うように呟き、正気に戻った男たちの数を確認する。
 なんとか逃げられる人数だが、ただ逃げるのは癪だった。それに、なぜかここは見栄を張らなければいけない気がしたからだ。
 けれど、少女は、

「バクラ」

 呼ばれて、見てしまった。
 自分と対峙する男の後ろに、彼を。
 馬に乗り、男を背中から蹴り潰して、手を伸ばす。

「お、」

 思わず、唇が震えた。

「俺様は、助けてなんていってねえ!!」
「ああ、貴様には言われていない!!」

 彼はそのまま華奢な体を掴み、地面からさらった。
 少女は手の中でもがいたが、彼は離さず無理矢理馬にのせると手綱を操る。
 恐怖でも、安堵でもなく、少女は震えた。
 怒りに、だ。

「なんできやがった!!」
「貴様の部下に呼ばれた。たすけてとな」
「俺様は言ってない!!」
「だから、言われていないと言っているだろ」 
「なんでくんだよ!! 助けになんて、くるんじゃねえ!!」
「馬上で暴れるな!!」
「俺様は誰にも期待なんてしない!! 期待したって無駄だ!!」

 じたばたと暴れる少女を抑えつけ、しかし彼は譲らない。



「期待したくないならしなければいい。だが、俺は俺の見える範囲で、聞こえる範囲で、助けを求めるものを見捨てたりはしない」



 彼はどこかで誰かが助けてと言えば誰であろうと走っていく。
 こんな、希望もない世界で、ただ一人、希望を体現したかのように、走る。
 気高く、強く、まっすぐに、正しく、生きていた。あまりにも、こんな世界にありえないほど、奇跡のように、決して曲がらず生きていた。

「バカ」

 少女は罵った。

「バカでかまわん」

 正しい少年はそう答えた。

「バカ、バカバカ、バカ野郎。神官でもなんでもなっちまえ!!
 知ってるんだぜ!! どうせ、俺様がなに言っても曲げる気なんて、やめる気なんてねえって!! 何言ってもあんたには無駄だって!!」
「そうだ、その通りだ」

 彼は、強い瞳で、少女を見た。
 決して、そらされない、誤魔化さない瞳。


「俺は、神官になる。その為に学んでいる」


 はっきりと、告げた。
 そう、今まで先延ばしにしていた言葉。
 先に、少女に言われてしまった言葉。それを、今はっきりと口に出す。そして、誓う。



「貴様の敵になったとしても、俺は神官になる」



 そして、王を助け、民を護ると。
 ぐっと、少女の顔が歪んだ。
 泣くかと思えば、泣かない。そのまま、歪んだ笑みの形へと変える。

「邪魔してやる」
「してみろ」

 楽しそうに、彼は笑った。
 少女はその笑みに、なぜか悔しくて、悔しくて、悔しくて、微かに寂しくて、そして、
(ああ、ちくしょう、期待も希望もしてなかったはずなのに、なんで、なんで)
 


 ――嬉しいと思ってしまったのだろうか。




 なんだこのラブ☆コメは(管理人はなにかラブコメを取り違えているようです)
 ちょっ王バクよりこいつらいい青春してますYO。
 盗賊少女はたのだ恋する乙女になってしまいますYO。
 俺の中のセトが正義の味方すぎてかっこよすぎますYO。
 ちなみに、バクラが嬉しかったのは、助けてもらったからと、正直に、まっすぐ濁さず本心を言ってくれたことです。
 そして、馬はマジ踏まれたり蹴られたりすると危ないので、気をつけてください。
 えっと……傾国上等は王バクです。誰がなんと言っても王バクです。その未来は改変されません。
 そういえば、全体的にこの盗賊王女の喋り方とか、考え方とか微妙に変なのは、まだ子どもだからです。管理人が変とか本当のこと言っちゃだめです。



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