王が寝台の上で語る睦言は甘く染み入るようだった。優しく髪をなでながら歌うように素直に愛を囁く。
うっとりした瞳で見下ろしながら王は待つと言った。
どれだけでも、それこそ、千夜の果てまで待とうと。
お前が手に入るなら、いつまでも。お前の準備ができるまで、無理をさせようとは思わない。
愛しい、愛しい。お前が欲しい。お前が手に入るなら、どれほどの黄金でも差し出そう。俺が与えられるもの全て、お前に与えよう。
俺自身が本当に捧げられるのは、ただ愛しかないのだけれど。
寝たふりをしながら彼女はそれを聞き、心の奥で警報を鳴らす。
ここにいてはいけないと、王にこれ以上近づいてはいけないと。逃げないと。
夜の砂漠をキャラバンが行く。
ゆっくりと歩く馬の蹄とごとごとと揺れる荷馬車の音を聞きながら、ある者は眠りにつき、ある者は荷の管理をし、ある者は周囲を警戒していた。
そこは、最近、タチのよくない盗賊団が頻繁に現れることで有名な谷。
馬を操る男たちも緊張しながら心なしか急いでいるようにも見えた。
「おい、なにか音がしねえか?」
馬車の中から声が飛ぶ。
慌てて警戒していた者達が慌てて周囲を見回した。すぐさま、耳のいい一人が自分たちの馬とは違う足音を聞く。
「止まれ!! なにかくるぞ!!」
張り上げられた声に馬がいななき、キャラバンの起きていた者は顔を歪め、眠っているものもただならぬ気配に目を開けた。
そして、ソレらは現れた。
闇夜に隠れるような黒装束をまとい、ゲヒた笑みと月の光に輝く刃を持ち馬を駆る。
「盗賊だ!!」
戦える者は武器を持ち、戦えない者は身を寄せ合い悲鳴をあげた。
ぶつかり合う両者、刃の打ち合う音、人の死ぬ音、怒声、罵声、悲鳴、馬のいななき。
それほど小さなキャラバンではなかったが、地の利と、小回りが利く鍛えられた盗賊の方が分があった。
次々に殺されていく男たちを見ながら、荷馬車の中の女たちは悲鳴をあげる。
その中で、すくっと、一人だけ立ち上がった。
分厚いフードをかぶっているせいか顔は見えないが、年のころなら20ほど、中々美しい体と肌、そして高そうな装飾品をしていることから、商家の者ではないかと誰かが噂していた。
彼女は荷馬車の自分の荷物からダガーを取り出すと、出口へ向かう。
「貴方、危ないわよ」
声をかけてみたが、彼女は振返りもしなかった。
そして、音もなく戦場に降り立つ。
「おい、獲物が出てきたぜ!!」
「殺すなよ」
「わかってるって!!」
目ざとく見つけた男が、手に持っていた刃を振り上げ迫る。
誰もが、女が次の瞬間吹っ飛ぶのを、予想した。そう、恐らく、次の瞬間、馬から落ちて動かなくなった男ですら。
「え?」
小さな、それは疑問の声だった。
いつの間にか馬上から消えた男を捜し視線を巡らす。男はすぐに見つかった。そこに立つ女の足元、そこに、心臓から刃をはやし倒れているのだ。
女はその手から刃を奪い、暴れる馬の手綱を極自然に掴み、軽やかに馬に飛び乗ったのだ。
錯乱する馬は女を振り落とそうとするものの、女は逆に馬を御し、こちらを見つめる男に、微かに見える唇で笑う。
「……!!」
男は、何か得たいの知れない震えを覚えた。
なぜか、逃げなくてはと思う。
けれど、女一人に逃げ出したとあれば盗賊団の中で男の地位が下がるのは当然。
今のはまぐれだと自分に言い聞かせ、男は女に向かっていく。
だが、女がいっそ軽やかにも見えるほどの腕の振りで刃を操った瞬間、男の喉は二度と息を吸うことが出来なくなっていた。
女は喉に突き刺さる刃を抜く前に馬の首を別方向に向け、走らせる。
どばっと溢れた血が、女のフードを少し汚したが、気にしない。
馬を操りながら女は次の盗賊へと刃を向けた。
何人ほどが地に落ちたときだろうか、やっと盗賊たちは異変に気づく。
馬をまるで曲芸のように飛び移った女の存在に、気づいたのだ。
その手には血まみれの刃、服は鮮血に濡れ赤い。
「てめえ、何者だ!!」
2人の男が同時に女に切りかかった。
女は答えず、ありえない動きで馬上に立ち上がり、飛んだ。
その先は、まったく別の盗賊の頭上。まさかっと目を見開く上に蹴りをくらわせ、その反動で後ろに飛ぶ。すると、なぜかそこに馬がいる。
首に掴まり体を反転させて体勢を立て直す。同時に、とうとう血の重さに耐えかねたフードがとれた。
ざわりっと、一瞬誰もが言葉を失う。
美しかった。
美の価値観は千差万別、統一されるものではない。
しかし、誰もが美しいと思った。
夜の闇の中、白い髪を輝かせ、ぞっとするほど冷たい笑みを称えた血まみれの女。
恐らく、はまりすぎたのだ。あまりにも、女にその笑みも、血も、闇も、刃も、似合いすぎたのだ。
「はっ」
女の喉から笑い声が漏れた。
楽しそうに楽しそうに艶っぽく唇を歪め、手近な男の命を奪った。
華麗というには、あまりにも苛烈。優美というにはあまりにも激しく。戦姫というのにはあまりにも無慈悲。荒々しく恐ろしい。けれど、それでも美しい。
「ははははあ!! よええぞ!! よええぞ!! それでも盗賊団かよ!!」
その、乱れる白い髪が、どこか獅子の鬣に見えた時、信仰深い盗賊の一人はそこにセクメトが降臨したのかと思った。
ただ人を殺すためにラーが遣わした女神。
そうとしか思えなかった。
逃げることもできず、ある者は殺され、ある者は魅入る中、蹄の音が聞こえる。
なんだっと、女も盗賊も、生き残ったものたちも視線を向ける中、彼らは、現れた。
「盗賊たち!! 観念しろ!! 今宵が貴様らの最後だ!!」
それは、何十人という兵士たちだった。
誰もが盗賊団なぞより鍛え上げられ、たった一人のリーダーのもの統率された精鋭。
その声を張り上げる姿に、キャラバンの者たちは喜びの声を、盗賊たちは悲鳴を、そして女は苦いうめき声をあげた。
目の前で相手にしていた盗賊を蹴り飛ばし、馬を操り隠れようとするものの、気づけば誰の視線も女に集まっている。
「げっ……!!」
隠れることから逃げることに切り替えた盗賊の後ろ、身分の高そうな男が追いかける。
馬を操る技術はほとんど同じだろう、だが、馬が違う。
戦いに疲弊した盗賊の馬と相手の馬はまさに次元が違った。
そのまま、身分の高そうな男は馬から女を引き摺り下ろす。
「まっ待ってください!!」
荷台から女が声をあげる。
それは、彼女に危ないと告げた者だった。
「その子は盗賊ではありません!! 私たちを助けて……」
いい終わる前に、身分の高そうな男は大きく溜息をつき、女を馬の前に乗せると溜息をついた。
女は、拗ねたようなぶすっとしたような、嫌そうな顔で、しかし諦めたように男に背を預ける。
「わかっている」
「え?」
「だが、それとは別に、私はこの女に用があってな……」
頭痛でも覚えたような男の顔に、女は首を傾げるしかなかったという。
「っというわけで……愛妾殿を捕まえました」
女の襟首を猫のように掴んだ男――神官は王の前に突き出した。
「よくやった、セト」
「……運がよかっただけです……」
頭を抑えながら告げる神官の言葉は本当だった。
女の名前はバクラ、元・盗賊であり、王の愛妾であり……脱走犯である。3日ほど前に王宮をなんとか飛び出して行方をくらまし、王宮と兵士たちを翻弄した張本人。
ただ、別に神官はバクラを捜していたわけではない。一応捜索も命令されていたが、あくまで、あの谷にでる盗賊団の鎮圧が目的だった。
駆けつけるのが遅れたが、まさかバクラがいるとは本当に、本当に思わなかったのだ。
「では、王、お受け取りを」
「ああ」
王は嬉しそうにバクラを受け取れば、バクラは嫌がって神官へと手を伸ばす。
「せ、せとやだ!!」
「やだじゃない……貴様がいない間、王はまったく仕事に手をつけずご自分も捜しに行くと騒いで大変だったのだぞ!!(仕事を押し付けられた私が)」
「そっそんなの俺様かんけいな……」
「バクラ」
王はバクラを抱きしめたまま、その背をなでた。
ぞくっと身を震わせるのを見ながら、眼を細め、ゆっくり、ゆっくり呟く。
「俺は、とても心配したんだぜ?」
その、声の静かさが怖い。
いっそう抵抗を激しくするものの、王は決して離さなかった。
「とりあえず、聞きたいことは、寝台の上で聞かせてもらうぜ……」
「ちょっ、ちょっと待て!! え、うわ、んなとこさわ……」
「王、それでは私はこれで」
「ああ、ご苦労だった、下がれ」
「セト!! セト!! 助けて、ちょっ……ん!!」
神官は、声を背に聞きながら足早に消えた。
王様にだいぶほだされてきた女盗賊王☆
そして、脱走しようとして失敗しました……。でも、ストレス解消できたのでまだまし……。
ノリノリで戦闘シーンを書きましたが、見返すとヘタクソです……ぐぬぬ……。そして、自分の趣味優先してエロがかけなかったことを後悔。
言っておきますが、まだ盗賊王女は清いままです。王様すごく、我慢してるよ!!
どうでもいいですが、バクラは1対1よりも多対1の乱戦が得意だと勝手に思ってます。迫力と技術と霍乱で楽しむタイプ。
ちなみに、セクメトは昔ラーが自分を崇めない民を殺すために遣わせた頭が雌獅子の女神です。それから憎しみを取り除いたのがバステト。