「髪が伸びたな」

 彼女の髪を櫛で梳きながら、彼は呟く。
 白い、ふわふわというよりもボサボサの髪は、少しだけ肩を越え、いまだ少年らしい顔立ちの彼女をきちんと少女に見せていた。
 
「んー……セトと会ったときから、切ってねえしな」

 気持ち良さそうに目を細め、彼女は呟く。
 彼と彼女があったときから、っというとそれなりに前だと彼は思いながら、彼女の髪を紐で小さくくくる。
 すると、彼女の印象は、髪をおろしているときよりも幼く、顔の右半分に大きく残る傷と服装のせいか少年にしか見えない。
 彼は、自分でくくった髪を少しいじりながら問う。

「切るか?」
「まだ、いい」

 そのうち、自分で切る。
 特に興味もなさそうに答える彼女に、彼はそうかと返した。
 櫛を片付けようと立ち上がる寸前。

「なあ、セト」
「なんだ?」

 彼女は、振り返らず呟いた。

「もうすぐ、行くんだってな」
「………」

 特に興味もなさそうな、そのままの声音。
 けれど、彼は知っている、彼女がどんなときそんな声を出すのか。
 そして、そんなときどんな表情をしているか。

「もう、ここには帰ってこないんだよな」
「……ああ」

 嘘をつかず、彼は言う。
 彼女の背は、なんの感情も伝えてこなかった。
 細く小さな背だった。彼と初めて会った時よりは成長したものの、やはり、華奢には変わりない。
 だが、その背には、彼女など簡単に潰してしまうほど重く、血なまぐさいものがのっている。 
 彼は、それを何一つおろしてやることはできなかった。
 どころか、触れることすらしなかった。
 なにも、しなかった。
 最も傍にいながら、決して、なにも。
 助けはしたが、救いはしなかった。

「いってらっしゃい」
 
 だから、彼は何も言わない。
 彼女に触れない。
 本当は、その背を抱きしめて、言わなければいけないことがあったというのに。






 燃える。
 街が、燃える。
 紅蓮が街を覆い、悲鳴と罵声、何かを壊す音、助けを求める声が響く。
 その街の端っこで、彼女は街を見ていた。
 全てが壊れていくのを、見ていた。
 炎が白い髪を赤く赤く照らし、風に長くなった髪を弄ばせながら。 
 何もせず、何かを待つように立っている。
 だが、その顔にはなんの希望も期待もなかった。
 狂気と憎悪、そして微かな悲しみをごちゃ混ぜに、仮面のような表情で。
 それでも、瞳だけはギラギラと不気味なほど輝いていた。
 
 かつん。

 石を蹴飛ばす音に、彼女は首を動かした。
 反射的な、意味のある動きではなかったが、すぐに、意味はできた。
 驚きにその目が見開かれ、すぐに笑みに細まる。



「なんで、セト、いるんだ」



 彼は、立ち止まる。
 彼女との距離は、たった数歩。
 何よりも遠く、長い距離。

「いったんじゃなかったのか?」

 不思議そうに彼女が聞けば、いつも通り彼は答える。

「母が、途中で、行く前に先生のところで本を少し読んで行った方がいいと言ってな。
 何分、俺も王宮は初めてだ。無作法があっては困るだろ」
「……おば様はさ、たまになにもかも知ってんじゃねえかって、思う」
「俺もだ」
「せっかく、おば様とセトのいない内に、終らせようと思ったのに」

 ごうっと、砂漠から吹き抜ける風に炎が踊った。

「お前が、やったのか」
「俺様以外が、やれる?」
「やれないだろうな。
 街を完全に牛耳っておきながら、わざと内部で争わせ……ここまで発展させるなど」
「知ってたんだ」
「お前が、御しきれないなど、思えん」
「だって、最初っから、ここは実験のつもりだったし、そろそろ俺様の名前、有名になりすぎただろ。
 最終的には、エジプト中に名を広げるつもりだけど、まだ、段階じゃねえから」
「それで、敵も、自分を慕った部下も、街も、皆殺しか」
「うん」

 素直に、彼女は頷いた。 
 濁すことなく、誤魔化すことなく。

「ほんとはさ……もっと早く終らせるつもりだったんだけど」

 セトがいたから、伸ばしちまった。
 失敗した、とでも言うように笑う。
 炎に照らされた笑みは、どこか寂しげに見えたが、それはただの影でしかない。

「まあ、それほど徹底的には壊してねえから、おば様が帰ってくるころには、そこそこ復興してると思うぜ」
「そうか」
「……怒らないの?」
「怒る気も、失せた」
「そっか」

 なあっと、彼女は声をかける。
 いつものように、何気なく。
 特別な言葉でも、ないかのように。



「一緒に、くるか?」



 恐らく、それは、彼女の最大の譲歩。
 甘え、だった。
 彼に対する、本当に、心の底からの甘え。
 彼と過ごした年月の分、育った心だった。
 縋るように、伸ばされた手だった。
 瞳が、怯えるように彼をうかがう。それが、期待だと、彼女は知っているのだろうか。 
 そして、彼にとって最後のチャンスだった。 
 彼女を捕まえられる、とどめておける、最後の。
 


「行かん」



 しかし、彼は拒絶する。
 甘えを、チャンスを振り払う。
 ただ、まっすぐがゆえに、静かに。
 曲がることなく、折れることなく、最も、彼らしく。
 彼女の知っている、彼そのままに。
 優しいけれど、甘くない。

「そっか」

 彼女の表情には、どこか安堵があった。
 それでこそ、彼だとでも言うように、満足気に。 
 そうして、まるで予定調和のように口を開く。

「いいぜ、セト、神官になれよ。
 だけど、なったなら、俺の敵だぜ?」
「貴様の敵になったとしても、俺は神官になる」

 間髪入れぬ即答に、少女はいつの間にかその手に持っていたナイフを炎に赤く照らす。
 鈍い、鉄色の輝き。
 人の皮膚など、簡単に避けるだろう切れ味を物語っていた。
 その輝きを見て、彼は少しだけ、ナイフが彼女に似ていると思うのだ。

「これから、どうする気だ?」
「とりあえず、逃げる。そんでもって一度、俺の生まれた村にでも帰ってみるかな」
「そうか」

 答えて、ナイフを握り直す。
 強く、強く、震えるほど。

「さよなら、セト」





 そして、彼女は自らの白い髪を掴むと、無造作に切り落とす。
 




「初めまして、俺様の敵」

 白い髪がちらちらと、彼も彼女も見たことのない雪のように風に舞う。
 それは、彼と彼女が過ごした時間。
 彼女はそれを切り落とし、捨てたのだ。
 彼が言葉で切り落としたものと同じ。
 甘えも幸せも育ちかけた想いも。
 お互いに、表情一つ変えず、少しだけ、そう、少しだけ睨みあった。
 敵同士が、睨み合う。  
 完全に道が別たれた。

 先に、目をそらしたのは彼だった。

 なぜなら、助けを呼ぶ声に、答えなければいけなかったからだ。
 正義の味方である彼は、走る。
 もう、「助けて」を口にしない彼女に、することは何一つないのだから。
 そして、その背中を見届けると、彼女もまた背を向ける。
 彼女もまた、自分を貫くために。





 一切合財、炎が燃やす。
 終わりを、赤く赤く赤く、彩るように。





「セト!! バクラはいるか!!」

 王宮をこだます王の声に、神官は大きく大きく溜息をつく。

「ええ、います、そこに」
「セト!? 俺様匿ってくれるんじゃなかったの!?」
「まさか、どこかにちょろちょろ逃げられるよりもそこにとどめた方が楽だと思っただけだ」
「騙された!!」
「人聞きの悪いことを言うな、俺は一度も匿うなどと言っていない」
「くそっ!!」

 物陰から飛び出し窓から飛び出す女を、神官は見送る。
 王は、すでにいない、先回りする為に走ったのだろう。
 少し考えて、神官はもう一度窓を見た。
 そこに、飛び降りたはずの女が戻ってきている。

「これで、しばらく撒けるだろ。で、セト様ーセト様ー、よくも騙してくれたな……」
「俺は王の家臣だ。王を優先するのは当たり前だろ」
「ちぇー、昔はあんなに優しかったのによ」
「残念ながら、そういった記憶はない。貴様の妄想だろう」

 ひっついてくる女を邪険に振り払いながら神官は重い溜息を一つ。

「あれだけ、派手に別れたのに、なぜ俺たちはこんなにも馴れ合っているんだ……」
「さあ? 運命じゃねえ?」

 運命などと、少しも信じていない女はケラケラと笑う。
 だが、その目はもう過去とは違った。
 そこに、もうあの少女はいないのだ。
 ただひたすらに純粋で子どもであったときとは、無邪気であれたときとは、違いすぎる。
 神官も、女も、自分の道を進み続け、望むとおり、変わり続けたのだから。
 
「髪が伸びたな」
「そうか?」
「切るか?」

 女は、少し考えて、首を縦に振る。
 邪魔だしなっと、頬にかかる髪をつまんだ。
「じゃあ、切って」
「わかった」

 神官は特別興味もなさそうに立ち上がる。
 そして、女を椅子に座らせると、まずは櫛を取り出し、その髪を梳く。
 あの頃はぼさぼさだった髪は、女官たちの手入れがいいせいか、柔らかい。 

「王はな」
「ん?」

 櫛を片付け、刃物を取り出す。



「髪が短い方が、お好みだ」



 女は、全力で逃げ出した。



 こうして、盗賊少女と正義の味方は道を別れました。
 終わり。

 なんとか、予定通り終りましたあああああ!!
 ほんと、1話増えたときはどうしようかと思っていましたがね、なんとかなりました。
 いやあ、失恋(?)といえば断髪ですよね。髪をこう、大胆にナイフで切るって萌えます。
 んー、でも、1話くらい前から、髪が伸びてる描写を少しすればよかったと後悔。
 そうすれば結構、自然な流れだったんですが、入れ忘れました。
 いやー、しかし、髪が長い盗賊少女って、よくないですか?(おい)
 そして、街を炎上させれて楽しかったです(おい)
 一切合財なにもかも、思い出ごとやきつくし、切り落とし、捨てていく。
 別れのちゅーくらいさせてやろうかと思いましたが、やっぱり、健全な仲のままで。
 まあ、これ以来、セトもバクラも心の中でお互いのことはきちんと整理がついてます。
 どれだけ、馴れ合おうと、懐こうと、結局、お互いは敵同士なのだと認識してます。
 いまだに、好意はありますが、兄弟とかまあ、好きだけど、邪魔になったらしかたない。くらいで。
 たぶん、いざというときは躊躇いなく殺し合いも辞しません。 
 もう、期待も希望もないのですから。

 あっ王様の好みについては、適当です。
 なんとなく、短い方が好きそうということで。
 セトは、絶対長い方が好みだと思いますが。

 えっと、セトママは、勿論、セトをわざと街に返しました。
 バクラの様子がおかしいって見抜いてました。
 いれられなかったけれど、炎上した街を遠くに見て「セトの、ばか」というセトママも、いたんですよ。
 セトママは、セトにバクラを止めて、捕まえてほしかったのに。
 しかし、セトは初めから捕まえる気などなかったので、しかたないです。 
 あー、後、セトが王宮初めて、というのは、ミスではなく、覚えてないだけです。
 後書き、長い!!
 まあ、最後だから、色々語らせてくださいということで!
 最後が少し、蛇足だったかもしれません。
 でも、あれだけ派手に別れておいて、今はこんなっていうのをかきたかったんです。
 やっと、王様のターン!!
 そして、バクラのセリフに、不穏な言葉が混ざってるのは、仕様です。ご察しください。



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