※血、暴力描写あり。
 殺伐気味。






















































 赤が、血の似合う男だった。
 それが返り血であれ、自らの血であれ、赤をまとうと男は雰囲気ががらりと変わる。
 あれほど、荒々しく乱暴だった男が、また別の、どこか儚さと狂気の混じった色香をまとい、潜められた影が浮き彫りになるのだ。
 まるで別人のような変貌。
 だが、決して本質は変わらない。
 全ては男の見せてはいない側面にしか過ぎないのだから。
 もしかすれば、そう、儚さこそ、男の本質かもしれない。










 砂を踏みしめる音すら響く静かな夜だった。
 風が砂漠の乾いた匂いを運び、月は冷たい光を地面に降り注がせ、世界を眠りに誘う。
 部屋の全てを照らしきらない小さな明かりを見つめて、王は待っていた。
 ざりっと、砂を踏む音がする。
 それは、バルコニーからゆっくりと、部屋に繋がる入口に近づいてきた。
 月明かりに伸びた長い影が王の部屋に影の主よりも先に入り込む。
 王は、明かりからそちらへ視線をやった。
 部屋に入る月の光を遮るその姿の手持たれたきらりと光る銀色の刃が、暗闇の中でも存在感を放っている。
 そこに言葉はなかった。
 だが、影の主は濃厚な殺気をまとい、一歩、部屋に踏み込んだ。
 王は動かない。悲鳴をあげることも、怯えるどころか、表情一つ変えない。
 刃と殺気、そのどちらもが自分に向かっていることを知りながら、それでも動じる気配はなかった。
 視線が合う。
 あまりの王の冷静さに、影の主の方が動揺してしまっていた。
 もしかしたら、罠なのか。そう考えてしまうほど王は落ち着いている。まるで、なんのことでもないように。あるいは、影の主などいないかのように。
 けれど、足を止めることはできない。ここまできてしまえば、引き返すことはできないのだ。
 そう遠くない王が座る寝台へと、近づいていく。
 後、数歩。
 体格差を考えて、王がここで暴れて抵抗したとしても影の主に敵うことはないだろう。
 もしかしたら、どこかに武器が隠されているのではと王の手の動きや、辺りを警戒するが、やはり、王は指先一つ動かさない。
 王の視線が、突き刺さる。
 まだ幼い、それこそ子どもの視線のはずなのに、なぜこれほど強く鋭いのか。
 刃を持つ手が、なぜか震える。
 得体の知れない恐怖が、影の主の体を伝った。後数歩が、踏み出せない。
 嫌な汗が、首を伝った。
 気づけば、重い息を吐き出していた。
 ふっと、王が笑う。
 あまりにも、雰囲気にも、場にも似合わぬ笑い。

「きたか」

 立ち止まった影の主に、王は声をかける。
 いや、それは影の主にかけられた言葉ではない。
 やっと、気づく。
 王の視線も声も意識も全て。その全てが、自分ではなく、自分の背後に集中していたことを。
 振り向こうとした瞬間、首元に重い衝撃が走った。
 悲鳴すらあげられず、痛みも恐怖も何も理解できない。

 ただ、見えたのは月明かりに光、白。

 それを網膜に焼き付けて、影の主は意識を失った。そして、二度とその意識は戻ることはない。
 倒れる体。その首には、深々と肉厚なナイフが突き立っていた。
 背後で、白を揺らし、褐色の手がナイフの柄を握る。
 そして、倒れていく体を、無理矢理蹴り飛ばした。
 ずるっと、赤黒い血をまとったナイフが嫌な音をたて引き抜かれ、一拍おいた後に、血が、赤い赤い赤い血が噴出す。まるで、局地的な雨のように。
 地面に体がたどり着くまで、血は地面と背後の存在を存分に赤で汚した。
 特に、白い髪と顔はひどいもので、ぽたりぽたりと血の雫を滴らせ、その白い睫や、ぎらぎらと輝く青い瞳、唇が、赤に縁取られるほどに。
 血塗られた唇を、ちろっと舐めて拭う。
 ひどく、美しくもおぞましくも恐ろしい姿。古代にいたという殺戮の神は、こういった姿をしていたのかもしれないとすら思わせる。
 青い瞳が王を射抜いた。
 ただのモノと成り果てた体など一切興味ないと赤く染まった地面を踏み、王の目の前に立つ。
 全てを、目の前の惨劇を、王は見ていた。
 笑って、彼だけを見据え、そこで待っている。
 彼が目の前で人を殺したことも、血塗れであることも、ぎらぎらと濃い殺気を撒き散らし、ナイフを向けている事も構わず。
 どころか、手でも広げていれば、愛しいものを迎え入れるようにすら見えた。

「なに、俺様以外に殺されそうになってるんだよ」

 酷く剣呑な声。
 不機嫌極まりないことを隠さず、王にぶつける。
 だが、王は楽しそうに肩をすくめた。

「しかも、俺様にも気づかねえ三下に」
「よくあることだ。一々大慌てで反応したらキリがないぜ」
「反応しなかったら殺されるだろ」
「お前がどうにかしてくれると思ってな」

 まあ、何もしなくても、一応手はあったっと、軽く言う。
 本当に、本当に今のことなど、王にとっては当たり前の事に過ぎないと証明するように。
 だが、彼はますます元々悪い目つきを吊り上げた。
 じりっと、近づき、まだ真新しい血が滴るナイフを王の目の前に突き出した。
 
「てめえの首は俺のもんだ」

 一切の嘘のない殺意。
 もしもここで気まぐれにナイフを突き出せば、王の幼い顔を切り刻むこととて可能だろう。
 それができるだけの実力が、対格差が、殺意がある。
 しかし、王は怯むことも逃げることもしない。

「俺様以外に殺されるなんて、許さねえ」
「ああ」

 むしろ、頷いて笑みを濃くする。

「俺はお前以外に殺されることはないだろうな」

 まるで、睦言のように甘い声だった。
 殺伐とした内容にも雰囲気にも場違いで、相応しくない。
 だというのに、なぜだかそれは違和感なくその場に響いた。
 彼は顔をしかめ、ナイフを少し下、首に当てる。
 王の首に、赤い線が描かれた。
 それは、今から首を切る証にも見える。

「まあ、今日は別に殺される気はないがな」

 王は、指でナイフの刃に触れると、軽く押し返す。

「それに、お前もこのナイフでは俺の首は切れないだろ」
「不死身のつもりか?」
「まさか」

 ついっと、王は刃に指を滑らせる。
 普通ならばそんなことをすれば指は切れるところだが、切れなかった。

「無理な使い方をして、刃が潰れてることは、お前がよくわかってるだろ?」

 舌打ち。
 王の言うとおり、柔らかい首の部分を狙ったとはいえ、人体という部分に突き刺さったナイフは骨に当り、筋肉を切り裂くことで潰れ、脂に塗れてその切れ味は最悪にまで落ちている。もしもこのまま血塗れで放置すれば錆つき、無残なものとなるだろう。 
 ナイフを引くと、つまらなそうに顔を垂れる乾きかけの血を袖でこすった。そして、同じく袖でナイフの血を拭う。

「で、今日も遊戯はどうする?」

 王の言葉に、ちらっとそこで初めて彼は振り返った。
 そこには、もう動くことのない人間だったものがある。
 殺したのは、彼。
 その感触も、光景も、事実も、まざまざと体中にこびりついている。
 後悔することはない。嫌悪を覚えることもない。
 けれど。



(思い出す)



 ほんの少しだけ、瞳が揺れた。
 なにかを思い出すような、忘れるような微弱な変化。
 それを見とった王は、思わず身を乗り出して彼の腕を掴んだ。
 殺されかけても変化しなかった表情が歪む。

「なんだよ」

 驚いたように彼が振り返る。
 いつも通りの表情に王は小さく安堵の息を漏らした。 

「いや……」

 なんでもないと、首を横に振る。
 それよりも、どうすると問うた。

「……あいつのせいで気分がのらねえ」

 めんどくさそうに、顔を左右に振った。
 意識すると、血でベタベタの体も気持ち悪くなってきたのだろう。
 袖で改めて顔を拭きなおし、張り付く前髪を鬱陶しげに払った。

「帰るのか?」
「今日は見逃してやるから、放せ」

 軽く腕を振るが、王は手を放さない。
 どころか、ぐいっと力をこめて引き寄せる。
 咄嗟に抵抗しようとしたが、腕のよくわからないツボのような場所を押され、一瞬力が入らない隙に体勢が崩れ、倒れそうになった。
 間近の王の顔。
 なにをされるか理解した彼は顔を引いて逃げようとするが、足が踏ん張れず、むしろ自分から更に顔を近づけることとなった。
 思わず掴んだ王の肩に、微かに赤い手形がつく。
 それに構うことなく、王は彼の唇を奪った。
 鉄の味のする唇を舐め、まだらに赤い髪に手を伸ばす。いつものふわふわとした感触はなく、がさがさしたものだったが、指を通した。

「んん……」

 首を振って抵抗する頭を固定し、唇を割って舌を差し入れる。 
 しっかりと閉じられた歯列を開けることができなかったので、代わりに歯と歯茎の境目をなぞった。
 ぞくっと、彼の体が震える。
 些細な感覚に反応してしまったのが悔しいのか、ますます抵抗を強くした。
 さすがにそこまで抵抗されると王の力では抑えられず放す。

「なに盛ってんだよ」

 青い瞳が睨みつける。
 しかし、王は構わず彼の腰に手を伸ばした。
 びくっと、彼の体が跳ねる。慣らされてしまった感覚を思い出す前に、手を乱暴に払った。

「俺様は負けてもいねえのに足を開く趣味も、死体の前で欲情するような変態じみた思考もねえんだよ」

 肩に置いた手を突っぱねて、距離をとろうとするが、うまくいかない。
 ずいっと、顔が近づいてくる。
 もう一度口付けをされるのかと逃げようとするが、ふと、王が呟いた。

「お前は、赤が似合うな」

 あまりにも突然の賞賛ともとれる言葉に、彼がきょとんっとする。
 その間に、王は、赤く汚れた手で彼の顔を撫でた。
 すると、せっかく拭った顔にまた赤が描かれる。

「なにしやがる」

 ばっと勢いよく、王の手から逃げた。
 そして、そのまま後ろに飛び、距離をとった彼を月明かりが照らす。
 冷たい光の中、白と赤で彩られた彼は、見惚れるほどしっくりと合っていた。
 それを、王は純粋に美しいと思う。
 同時に、なぜか儚いと思った。
 自分よりも体格もよく、力も強いだろう男を前にして。
 視線に気圧されるように、彼は一歩、後ろに下がる。居心地が悪そうに王を見ながら、するっと、服の裾を翻す。

「次きたときが、あんたの命日だからな」

 バルコニーへと赤い足跡を残す彼を、王は立ち上がり引きとめかけた。
 虚空に手を伸ばし、止まる。
 赤い痕だけを残し、彼の姿は消えていた。
 しばらく、虚空に手を伸ばしたまま止まった王は、目を閉じる。
 微かに風が吹き、血の匂いが漂った。

「さて、」

 王は立ち上がる。
 そして、どこからともなくナイフを取り出すと死体に近づいた。
 乾きあけた赤い液体に、躊躇なく踏み込み、ナイフを振り上げ、刺す。ざくりと、肉を刺す嫌な感触が手に広がった。
 それでも構わずもう一度、首元に振り下ろす。
 血はほとんど抜けてしまったのか、もうでない。
 刃先の潰れ具合を見やり、今度は床の血を手ですくい、顔や髪に無理矢理塗りたくる。
 べたりと、頬が汚れる感触は気持ちのよいものではない。
 だが、必要なことなので続ける。

「ふう……」

 一通り汚れたところで一息ついた。
 すっかり、王の体は赤い。
 それを月明かりの下で確認する。

「……やっぱり」

 俺には思ったより似合わないなっと、苦笑。
 瞼の裏に浮かぶのは、赤い赤い男。
 その美しさを、儚さを思い浮かべると、ぞくりと背筋が震え、思わず笑みが浮かんだ。
 柔らかで、穏やかなものとはかけ離れた、獣のような笑み。
 本当は、無理矢理でも押し倒してしまいたかったと、王は思う。
 彼を押し倒し、赤の似合う体を貪りたかったと。血の匂いは、色は、人を興奮させる。
 王もその例外ではなかった。

(だが、)

 だが、その反面、気がのらなかった。
 なぜかは、わからない。
 もしかしたら、あの、彼の揺れる瞳を見たからかもしれないが、はっきりとはしなかった。
 王は、足を動かす。
 彼の足跡を踏み潰すように、少しうろうろと歩き回った。
 そして、息を吸う。





「誰か!! 誰かいるか!!」






 叫んだ。
 静かな夜に響き渡る声に、すぐさま兵らしき男たちが部屋に駆け込む。

「王!!」
「どうしました!!」
「何事ですか!!」
「賊だ」

 飛び込んできた男たちは部屋の惨状に驚き、血塗れの王に、腰を抜かしそうになっている。
 王は落ち着かせるように大丈夫だっと、手で制した。
 冷静に、自分が撃退したと言う話をでっちあげ、賊は一人だと断言する。
 あまりの強い言葉に兵たちは口を挟めず、ただ、リーダー格らしい男がおずおずと周囲を警戒にやらせましょうかっと提案した。

「いい、それよりも、部屋の方付けを頼む。
 後、女官を何人か呼んでくれ。正直、気持ち悪い」

 王は、首を振る。
 細かい指示を出すと、ナイフを放り出した。
 もう二度と仕えないナイフ。
 それは、彼のナイフも同じ。

(……今度は、ナイフをくれてやるか)

 赤い宝石のついたナイフがいいなっと思う。
 そのナイフで、もっと赤をまとう様を想像すれば、胸が騒ぐ。
 作らせようかと思案したところに、慌てた女官がやってきて、湯浴みを強制される。
 見上げた月は、やはり、そ知らぬ顔で光を地面に降り注がせ続けていた。





 そう、いつか赤をまとった彼が、王を殺しにやってくる未来など知らぬまま。



 殺伐なサロメ様を微復活。
 妙に凝ろうとして慣れない感じだったので、一回書き直しました。
 結局いつも通りです。
 雰囲気を出せないのが辛いところ。

 王様は、バクラがまたきやすいように、偽装工作しました。
 王の部屋に不審者が入ってきて、賊を殺していなくなったとかどう見ても警戒対象。



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