腐れ縁にも慣れてきた



 朝だった。
 まごうことなき朝だった。
 空は高く青く澄み切り、初夏の爽やかな風が大きな窓を通ってベットに流れ込んでくる。
 シーツ一枚では少々寒い気温に身震いと共に起き上がったのは真っ白な髪に黒い瞳の持ち主だった。
 完全に開いていない目を何度か瞬きし、手探りで昨日脱いだ上着を探す。
 しかし、上着は思った場所になかったのかふっと自分の体を見下ろせば乱雑にボタンの飛んだシャツが目に入った。
 見れば、彼の体にはその白いシャツ以外何も身につけておらず、爽やかな風を受けるには、多少なんらかの事情で体がベトついている。
 目を開いて床を見れば、適当に脱いでそのまま捨てられたような彼のズボンや上着が落ちていた。
 手に届く範囲にないことを確認するとやっとベットから足をじゅうたんへと下ろすとふっと昨夜の記憶が蘇る。
 さらさらと白い髪が肩に落ちていく。






「ああ」






 声変わりを済ませているだろう青年の美しい声が部屋に響く。
 視線を巡らせれば、その決して狭くはないベットの隣に誰かが寝ている。
 誰かはシーツを頭まで被り、足先だけを少しだけ出してまるで子どものように丸まっていた。

「なるほど」

 勝手に一人で納得しながら誰かに声をかけることなく床に落ちたズボンと上着を拾うと手近な椅子へとひっかけた。
 さわりっと皮膚に寒すぎる風が触れたが、震え一つなく彼は微笑む。
 そして、ゆったりとベットに腰掛けると女性ならば蕩けてしまいそうな笑顔でシーツに包まった相手に呟く。

「先にシャワーを浴びてもいいかい?」

 シーツからは何の返答もなかった。
 それでも、彼は続ける。

「昨日は君の方から誘ってもらえるなんて思わなかったよ。
 思わず激しくしてしまったけど体は大丈夫かい?」

 まるでいたわるかのような言葉に、シーツからひっそりと小さな呟きが聞こえた。
 それは、よく聞けば呟きではなく、泣いているような恨めしい呪詛だった。
 すると、いっそう彼は笑みを強くする。
 一言で言えば、ものすごく、とても、楽しそうだった。























「けっけがされた……!!」























 ひときわ大きく叫ばれた言葉に、彼は笑いながら心外だとでも言うようなしぐさを見せた。

「誘ったのは君だよ、シャマル?」
「酒の勢いだ!!」
「おや、ひどいね。私は昨日君が囁いてくれた言葉を一言一句違わず覚えているというのに」
「うっうるせえ!! 気持ちの悪いしゃべり方しやがって!!」
「守護者になったなら多少は口の利き方に気をつけろとあのじじいに言われてね。周りからはすごぶる不評だ」
「じじいって……お前一応上司にな……」
「便宜上の上司だよ。忠誠を誓った覚えも、敬意を払う覚えもない」
「……相変わらずだな……」
「そもそも、てめえも生娘じゃねえんだから一々泣いてんじゃねえよ」
「いきなり剥げてるぞ、化けの皮!!」
「ああ、嫌がらせ以外にてめえに気持ちの悪い言葉を使うのもなんだろ?」
「……それもそうだけどよ……」
「たくっ初めてでもないくせに被害者ぶりやがって、いいか、てめえが誘ったんだぜ?」

 繰り返す言葉に相手は何も言えない。
 ベットから立ち上がる気配にシーツから少しだけ頭を出せば、ぞんざいにたった一枚だけ身に着けていたシャツを脱いでいるところだった。
 シャツの滑る肌はとんでもなく、それこそ、女性の誰もが悪魔に魂を引き渡してでもほしがるほど白く美しい。シャツが隠していた彼の体はまるで古代の彫刻のようにほどよく引き締まった筋肉と均整がとれた長さの手足があわさり、一種の芸術のようである。
 ただ、その体にはかなり大きなな傷痕がいくつかあり、その上、アンバランスに左手が存在しない。それは通常ならば珠に傷なのだが、その欠点すら、いや欠点があるからこそ彼の魅力を引き出していた。
 完璧な物は美しい。しかし、同時に、完璧でないものもまた、その不完全さが美しい。
 思わず見とれてしまった相手は慌てて不安を打ち消すように頭を振るとはあっとため息をこぼす。
 それは感嘆のため息ではなく、悲哀と絶望のものだ。
 シャワーに向かう彼は、一度振り返ってその人形めいた美貌でにっと微笑んだ。

「いつまでもおきてこねえけど、体でもいてえのか?」

 まさか!
 相手は叫びかけてやめた。
 なぜなら彼はわかっていっているからだ。























「だろうな。俺が受けてやったんだから」























 そう言って視界から消えていく。
 相手――シャマル起き上がって昨夜の記憶を徐々に取り戻していく。
 そう、それは3ヶ月にあるかないかというほど彼の性分が落ち着いてる日だった。
 シャマルにいつも通りの汚い言葉をはきかけたのものの、剣も抜かなかったし、殴りも蹴りもしなかった。
 その上、機嫌がよかったのだろう、1,2年前に上司に「シャマルと仲良くしなさい」という言葉を微妙に実行している彼は、シャマルにいい酒があるから飲まないかと誘った。
 忙しくもなかったし、何よりもなぜかいろんな方面から同じように彼と仲良くするように頼まれていたシャマルは断る理由がなかった為受けた。
 そこまではよかった。
 酒も確かにいいもので、彼も過剰な殺気や顔に似合わない口調と性格にそこそこ慣れてしまえば対応もわかる。
 本人にとっては友好的な話題らしいが、プライドが高い人間ならば憤死するか、決闘でも挑みそうな罵声を酒で飲み込み、適当に相槌を打っていところまではきっちり覚えている。
 それはよかった。
 そう、よかったのだ。
 しかし、問題はその先だった。
 酒の度の高かったせいか、それとも彼の殺気や言葉に飲まれたか意識が朦朧とする内にシャマルは夢の中にいた。
 いつの間にか目の前には美女がいる。
 シャマルはそれが夢の中だと気づいていた。
 それでも美女がいれば口説くのがシャマルの礼儀であり信条である。
 とにかく、夢の中でもいつも通り口説いたシャマルはしばらくして正気に戻った。
 その正気に戻ったタイミングは、シャマルの過去最悪のタイミングだった。
 目の前には、あいかわらずの笑顔の彼が。
 自分の全身は裸で、相手はシャツだけしか身に着けていない。それも全てのボタンは取り外されている状態でだ。
 彼は、シャマルが正気に戻ったことに気づいたのだろう、いつもの笑みをどこか艶めいたものへと嫌がらせのように変えた。
 自分の体が彼よりも上に位置にあることに気づいたシャマルは咄嗟に逃げようと身を引かせた瞬間、その足ががしりと掴まれひっくり返される。
















『誘ったのはてめえだぞ?』
















 普段よりも、ワントーン高い気がする声がそう告げた。
 それは、シャマルの体中の血を引かせるに十分な美しい声音。
 悲鳴より先にいきなり喉を掴んだ彼はそこにあまり伸びていない爪を食い込ませた。

『首の骨折られるか縛られたくなけりゃ、あんま暴れるなよ?』



























 逆レイプだ!
 シャマルは心の中で叫んだ。
 確かに、間違いなく誘ったのはシャマルだった。
 しかし、それは正気ではなかったし、未遂で止めた。
 そこを発展させたのは彼に他ならず、シャマルは拒否し、拒絶したし、どころか、逃げようともした。その上、大サービスに口説いたことも半分ヤケで謝ったのだ。
 ならば、逆レイプだ!
 シャマルは裁判所に訴えたくなったが、相手が法にまったく縛られていない事実と情けない現状に断念せざるをえなかった。
 だが、一番情けないと思うのは、ものすごくきもちよかったことだ。
 どこで覚えたのか、彼の手管は完璧で、すさまじかった。それこそ、過去に抱いた高級娼婦に匹敵するほどの快感を与えられた。
 最悪の事実に緩む涙腺に身を任せたくなかったがそれを抑え、シャマルは自分の服を探す為に立ち上がる。
 ふらふらと精神的に傷ついたせいでふらつく足取りの中、服を集めた。
 集めた服は多少埃はついてるものの汚れていない。
 ふと、服の中で一本の白い紐を見つけた。
 何の紐かと持ち上げてみれば、それは体に巻きつけるには短く、手などに巻くには長い。
 なんだろうと少し表面を撫でればちりりとした痛みと同時に指先が切れた。

「ワイヤー入りか」

 ちっと舌打ちしてそれを近場のテーブルの上に投げた。
 白い紐でワイヤー入り。
 考えてみれば、この部屋で自分の物でなければ後は一人の物に決まっている。
 そう、その白い紐は恐らくいつも彼の髪をまとめている紐なのだ。
 あの白い髪に混じってしまい普段は目立たないせいで見覚えがなかったが、ベットの上にいた彼は髪をまとめていなかったのでそうなのだろう。

「どっか切ったのか?」
「うお!?」

 服を着てる途中、いきなり後ろから声をかけられた。
 驚いて振り向けばまだ雫の滴る髪を放り出し、何一つ隠すことなく彼がそこに立っていた。

「服着ろよ!!」
「てめえの後ろだ」

 にやりと笑ってぽたぽたとじゅうたんを濡らしながら彼はシャマルの横を素通りする。
 ぞんざいに片手で体を拭きながら髪を拭く。
 白い肌に流れた雫がうなじを通り、背中へと伝う。

「髪、びしょびしょだぞ」
「血の匂いがしてるぞ」

 そう指摘すれば、タオルを首筋に巻いて手を掴まれた。
 傷はそう深くないものの、まだじんわりと血が滲んでいる。
 掴まれた手は白く滑らかだったが、やはり件を握るせいか硬い。
 シャワーを浴びたせいか体温が妙に温いのが気持ち悪かった。

「お前の放ってた紐で切ったんだよ」
「マヌケ」

 ぱっと手を放し、片手で拭きづらそうにまた髪を拭きなおす。
 がさがさと半分乱暴に拭けばいつもおとなしい髪がぼさぼさになっていく。
 一瞬、拭いてやろうかと思ったが、そう思った自分がなぜか嫌になりやめた。

「で、てめえはシャワー浴びねえのか?」
「浴びる」

 シャマルは自分の服をひっつかみシャワーへと向かった。
 その後ろ姿を見ながら、唇の端を吊り上げる。

「出てきたら鏡に文字書いてるかもな」
「やめてくれ、意外と口紅落とすのは虚しいんだよ」

 軽口を叩きながら奴なら本気でやりかねないとシャマルは熱い湯を浴びた。


 テュールに慣れてきてしまっているシャマル。



Copyright(c) 2006 all rights reserved.

inserted by FC2 system