死体なんてものは今まで嫌になるほど見てきた。
人が人を殺すところも、人が死ぬところも、それこそ俺が人を殺すことももうすでに慣れきって何も感じなかった。
血の匂いや硝煙の香りは日常で、どうしようもなく血と臓腑の色だとか、感触など意識しなくても体に染み付いていた。
だけど、なぜか俺は驚いてしまった。
何一つ驚くべきことではなかったというのに。
どこにも、そんな要素はなかったというのに。
ただ
「あっ」
初めて、見ただけだった。
その白い髪を白い肌を華奢な体を血に塗れさせ、唇を吊り上げる。
緩慢な動きで俺をその瞳に映せばゆっくりとこちらに歩いてくる。
毛先からさっき被ったばかりの血が、ぽたりぽたりと落ちた。
それは、そいつの血ではない。
量から考えても一人ではなく複数の人間の返り血だった。
別に、そんなことに驚いた訳ではない。
「御曹司ぃ」
自分の体同様に血に塗れた鈍い色のナイフを持ったそいつが。
そう、そいつが。
「怪我なかったかあ?」
いつも不機嫌な奴が、とびっきり機嫌がよさそうに笑う。
ああ、頭の悪そうな笑い方だ。
血に塗れたそいつも、大量の返り血にも、恐怖は無い。
こんなもの、見飽きるほど見た。
ただ、驚いたのは、そいつが俺の目の前で人を殺したという事実のみ。
なんで驚いたのか俺にもわからない。
人が人を殺すのは、当たり前。
こいつが人を殺したことがあるのも知っていた。
ただ、目の前で見たことがなかっただけ。
それだけだ。
それだけ、だというのに、俺はなんでこんなに驚いている?
「何つったってんだ? びびったのかあ?」
ありえないことを言うそいつの顔を殴る。
思ったよりも力が入らなかったのか、それともただふんばっただけなのか、そいつは倒れず、俺の手にまだ乾いていない血がべったりついた。
「いってえ……」
そう呟きながらも、笑っていた。
にこにこと。
嬉しそうに、頭が悪そうに。
頭のねじがゆるんでいるどころか、何本かふっとんでいるのではないだろうか。
こんなにも上機嫌な笑顔を向けられたことは、初めてだった。
「何いらついてんだあ?」
血まみれの手で血まみれの頬をさすりながらそいつは聞く。
何も答えないで居ると勝手に「まっ命狙われてるもんなあ」と自己完結する。
ただ、その間でさえそわそわと。
「あー、ルッスこっちきてんのかあ?」
きょろきょろとせわしなく動く。
まるで、疼くように、求めるかのように、俺に目を向けた。
ぎらぎらと輝く瞳が、いつもよりも苛烈に見えた。
血に飢えた獣のように。
それでも、獣は動かない。
待っていた。
ひらすら、待っていた。
それは、敵の来訪であり、主人の命令だ。
そんな風に俺の直感が告げる。
「なあ、御曹司」
特別の意味の無い言葉。
それに、俺はこたえる。
「カス」
いってこいと。
好きにやってこいと。
意味も聞き返さず、そいつは走り出した。
一切の躊躇もない動きで、だんっと床を蹴って扉から飛び出す。
血と死体と共に残された俺はそこでやっと驚きの残滓を振り払えた。
あいつを追いかけてもよかったが、どうせその内ルッスーリアが報告にくるのがわかっていたので動かないことにした。
乾いてじゅうたんにシミになっていく血を見つめながら声をかけられるのを待っていた。
「びっくりしましたか?」
すっかり片付けられた部屋には、血の匂いも人殺しの気配もない。
あるのは香るダージリンと誤魔化すように振りまかれた人工的な匂いだけ。
あれほど汚れていた壁やカーテンも今ではさっぱりといつもの部屋に戻っていた。
「何がだ」
「あの子が、人を殺すことに」
はっと、目の前に置かれたダージリンの湯気を見ながらはき捨てる。
「んな訳ねえだろ。この屋敷で人を殺したことのない人間がいるか?」
「いませんわ。でも、貴方はあの子が人を殺したところを見たことがなかったから、驚いたと思って」
だって、あの子があんまり眩しいから。
「私も初めて見た時はなぜか驚いたんです。
子どもが人を殺すところなんて飽きるほど見たのに、あの人の子どもだからそんなこと当然だと思っていたのに」
真っ白で、よく笑う子供。
血の匂いじゃなくて、よく日向の匂いがした。
それが、ひどく純粋でキレイなものに思えて。
穢れのないものだと、そう感じた。
勘違いしてしまった。全て、錯覚だった。
でも。
「でも、すごく美しいと思ったんです」
血にまみれ、白を赤に染めながら、あの苛烈なまでにぎらつく瞳で微笑んだ。
その鋭さは刃のようで。
その美しさは別物のようで。
その存在は一瞬にして変わる。
凶器と殺人という行為が、無邪気な子どもを、美しい殺人鬼へと変貌させた。
水を得た魚のように、血の海を作り出す。
誰が、あの子を10ばかりの子どもに思えたことか。
「貴方も、そう思ってしまいましたね?」
だから、驚いたと。
人を殺すこと自体を驚いたのではない。
あまりの変貌に。
あまりの美しさに。
戸惑いすら思るほどに。
恐怖よりも、畏怖よりも、それを異常と思うよりも先に、美しいと。
本当に、美しいと思ってしまった。
「結局、私たちはそういうもの」
ルッスーリアは微笑んでダージリンに口をつけた。
遠くで、賑やかな声が聞こえる。
無邪気な子どもの声で、近づいてくる。
「でも、あんなあの子を見るのはたまにでいい。そう思いませんか?」
ルッスーリアの声に答える声は無かった。
ただ、肯定なのか、否定なのか、やっともう一つのダージリンに口がつけられた。
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