「お久しぶりです。XANXUS様」
そう言って赤い瞳の少年の目の前にやってきた少女は笑った。
ざわざわと騒がしいこの会場で少年に挨拶する人間は決して少なくない。
だから、うんざりと少年は壁際にいた。
一瞬、適当に挨拶をして流そうとしていた少年は、目を見開く。
そして、ぶんっと音が出そうな速さでもう一度少女を見て、驚いた。
がしゃん。
少年の手から持っていたグラスが落ちる。
その、落ちたことにすら気づかず少年は思わず少女の笑顔を凝視してしまった。
少女が柔らかな動きで落ちたグラスを拾い上げる。
幸い、下が絨毯であったせいかグラスは割れることなく、ただシミを作っただけですんだ。
そのまま、少女の手からボーイへとグラスは渡され、新しいグラスを握らされた時、やっと少年は動くことが出来た。
「……てめえ、何のつもりだ?」
この世で最も不機嫌な顔つきになった少年に、少女はそっと身を寄せた。
「まあ、てめえなんて怖い、ローナと呼んでください」
「ローナ……?」
眉をいっそうしかめる少年に、少女は髪の毛の先が触れそうな程近づき腕を絡めた。
ふわりと髪と対照的に黒いドレスが揺れ、間近に瞳が迫る。
そこで、初めて花のような香りがすることに少年は気づいた。
決して鼻につかない微かな香りは少女の髪から漂ってくる。
細い腕と体が密着した。
瞳が細まり、その小さな唇が耳元で開かれる。
「聞いてねえのか?」
がらりっと口調と声が変わった。
さっきまでの少女の声ではない、確かに高いが少年の声で呟かれた言葉。
それに、赤い瞳の少年はますます不機嫌そうに少女の耳元で「聞いてねえ」と返した。
少女は、さっきまでの微笑とは間逆の顔をすると、ぶつぶつと文句を呟く。
連絡ミスかよっと独り言のように呟くとさっと少女の微笑みに戻すと遠くに向けて高くすんだ声を飛す。
そのあまりの変わりように思わず少年は驚きよりも呆れを感じた。
「兄様」
その言葉に、遠くにいたメガネの青年が反応する。
少年の知らない男だった。
背の高い好青年と言った青年はまとわりつく女性を引きつれながら少しだけこちらに近づいてくる。
すると、少女は少年から手を放し女性の隙間をぬって青年の腕にしがみついた。
青年は少女の頭を撫でてどうしたか聞くと、少女は無邪気な笑顔を浮かべる。
なぜだか、少年はその仕草がひどく気に入らない。
「兄様、XANXS様と少しバルコニーで話してくるわ」
そう言うと、青年はごくあっさりと承知し、少女はまた少年の元へと走ってくるとその手を掴みバルコニーへと導く。
バルコニーに出ると、そっと目を閉じ、そして開ける。
そこには少女はいない。
ただ、いつも少年に付き従う白い少年がそこにいた。
「何だ、その格好は」
「変装」
「変装っつーより仮装だろ、そりゃ」
少年の言葉に、白い少年が唇を尖らせて小声で怒鳴った。
「うるせー! 俺だって好きでこんな格好してる訳じゃねえ!!」
「じゃあ、なんだよ」
「見りゃわかるだろ!! 仕事だよ!!」
仕事?
まったく聞いてないという顔で聞き返す少年に、白い少年はため息。
「お前の護衛だあ」
「俺より弱いお前が?」
「うるせえ、俺は盾だあ。本命の護衛もいる」
不機嫌そうに盾と言葉を繰り返す。
その言葉に少年はそれが弾除けを意味していることを瞬時に悟る。
もしも何かあった時、本命の護衛がくるまでの時間稼ぎ。
珍しくもない役割に少年は必要ねえっと呟いた。
「お前、親父のお気に入りだろうが、なんでそんな仕事してる」
「……お気に入りなんかじゃねえよ」
口惜しそうに呟きながら無理に頼んだっと口にする。
「俺はあの人の役に立てない」
お前より弱いし、返せるような何かもない。
なら、どうすればいい。
自分のできることはなんだ。
できることを全てしてあげたい。捧げたい。尽くしたい。
遠くを見つめる白い瞳に、少年ははっと吐き捨てた。
「くだらねえ」
「んだと!!」
「それより、なんで護衛だけならそんな格好してんだ」
「あ? ルッスーリアがこれなら近くにいても違和感ないって」
「それから、さっきまでのアレはなんだ」
「アレ?」
「くねくね気持ちわりぃマネしやがって」
「ああ、ルッスーリアが女のかっこうしたら女のマネしろって」
演技指導までされたぜっとけろりと言う白い少年は、にっと少女の笑みを浮かべて見せる。少年はなぜか頭痛を覚えた。
「後、ローナってなんだ」
「ベッローナ。戦いの女神らしいぜ」
「ルッスーリアがそう言ってたのか」
「おう」
がんっと少年はその白い頭を軽く殴りつけた。
軽くと言ってもかなり痛かったのだろう白い少年は頭を抑えてうずくまる。
なにすんだよっとうめきながら言葉を吐き出せば、少年はふんっと視線をそらす。
「ルッスーリアはどうした」
「はあ?」
白い少年は頭をさすりながら首を傾げた。
何を言っているのだろうという不信の目に、少年はもう一度拳を握る。
「見ただろ」
「しらねえよ」
「もしかして、わかんねえのか?」
「何がだよ」
にやっと白い少年が笑う。
そうだよな、わかんねえよな。
嬉しそうに口の中で繰り返し、少女の声で呟いた。
「兄様」
少年は、さっきの青年を思い出す。
そういえば見ない顔だった。
あいつは誰だと聞く前に、白い少年は答える。
「が、ルッスーリア」
少年は、素直に驚く。
「すげえよな、カツラとメガネしかつけてねえのに口調だけで全然わかんねえ」
「……本当か?」
「嘘ついてどうすんだよ」
それもそうだと思うものの、いつものギャップと考えると信じられない。
しかし、今白い少年のばけっぷりを見ればなんとなく信じられる気がした。
驚いてまったく見ていなかったが、白い少年は喋らなければ、本当に少女のようだった。
いつも適当に流されている髪は美しく梳かれ、白く華奢なうなじが見えるようにアップされ、髪と瞳、そして肌と対照的に黒いドレスは露出が少なく、細すぎる体をうまくカバーしている。うすくほどこされた化粧も、髪から香る香水も、何一つ少年の要素を隠す。
美しい、そう評されてもまったくおかしくない少女が、口を開かなければそこにいる。
「何見てんだあ?」
「気持ちわりぃ」
「悪かったなあ」
「どうせ後数時間だあ、我慢しろお」
白い少年はそう言いながらわずらわしそうにアップされた髪に触れる。
重いと頭を揺らしたり、寒いとスカートをいじったり頬をこすろうとして化粧が崩れる事に気づいていまいましそうにした。
自分が最も我慢できていないのだろう。
少年はその様を見ながら、なぜか安堵する。
これは、白い少年なのだと。
いつもの姿にすぎないのだと。
「ローナ」
声に白い少年はさっとその顔を少女のものとした。
そこに立っているのは、さっきの青年。
少年は、それが彼だと知ると、なんとなく、なんとなくだがああそうかと納得できた。
雰囲気が通常の男より柔らかすぎる。
「今は私が見ているから、少し何かとってきなさい」
いつもと違う口調に、白い少年は頷く。
ぱっと白い少年は自分を少女にし、笑顔で少年と青年に軽く頭を下げた。
「いってくるわ」
するりと裾を翻し走っていく少女の背を見送りながら、少年はため息。
「何の茶番だ、あれは」
「おや、ローナにきいていませんか?」
「その鬱陶しい口調をやめろ」
「あら、よろしいんですか?」
どこか口調を女性的なものにしながら、青年は笑う。
「別に、護衛だけならあいつをあんなにする必要ねえだろ」
「くっついても不自然じゃないようにしただけですのに」
少年は、じろりっと青年を睨む。
しかし、青年は怖くないとでも言うように肩をすくめた。
少女が何かを手に持ってこちらに帰ってくるのが見える。
その途中で、今まで場を濁さない程度に流れていた音楽が強くなった。
男女が、手を繋ぎ、踊り始める。
「そういえば、パーティーの後半はダンスパーティーになるんでしたね」
青年がそう呟いて、いたずらっぽい目で少年を見た。
少年は嫌な予感を覚えて聞かないことにする。
それでも、言葉は紡がれた。
「どうですか、うちのローナを誘ってみては」
踊りも仕込みましたよっと呟けば、少年は全てを無視してはき捨てた。
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