闇夜に翻る白い髪。
全身を黒でまとった男は走る。
ただ、走る。
その右腕に持つ刃を振るうことなく、ただ闇の中、走っていた。
汗一つかかず、息一つ乱さず。
その速さは尋常ではなく、男を見つけるには、男が踏みつけた草の音だけだった。
「スペルビ」
男は名前を呟く。
その黒い目に映るのは、闇と、そして男の最愛の息子だけだった。
しかし、この場にその最愛の息子はいない。
だから、男は走る。
ただ、一刻でも早く帰る為に。
そして、闇の中、ふっと、標的を移す。
標的は怯えながら、闇に浮かぶ白を見た。
悲鳴。
抵抗しようとした標的より速く男は、右腕で獲物を振るう。
無表情のまま、笑みすら浮かべず、眉すら動かさず。
躊躇いも容赦もない、ただ殺す為だけに振るわれた刃は、あっさりと標的の心臓に到達した。
血。
赤い血が、刃を抜いた瞬間噴出した。
男の白い肌と髪が赤くまだらに染まる。
生ぬるい暖かさを感じても、男は唇の端すら動かさない。
まるで当たり前のように2,3度刃を振って血を払う。
即死であろう男を一応本当に死んでいるのか確認すると、そこで、初めて寂しそうに表情を歪めた。
それは、笑顔に近い表情だったが、黒い瞳から溢れるのは悲哀。
「スペルビに、会いたい」
そこに、死者への悲しみも、殺した後への罪悪感もない。
人など殺していないとでも言うような表情と声音で、つまらなそうに空を見上げる。
新月の日のせいか、月は無い。
そこで、男は思う。
せめて、月が出ていればその銀色で最愛の息子を連想できるのにと。
あの、冷たいまでに銀色の月は、男の最愛の息子に似ていた。
「テュール様」
「サータナか」
声に、一瞬で寂しそうな顔から無表情へ戻し振り返る。
そこには、頭を深々と下げる男と同じ闇夜を纏った少年がいた。
少年は、男の見知った顔で、幼いながらも連絡役を受け持つ実力者。
記憶を引き出すと返事を待たず問い掛ける。
「つまり、コレが、最後か」
死体を小さくつま先で蹴ると少年は頷く。
「はい、これにてこのファミリーは殲滅されました」
「幹部という割には弱かったな」
「貴方様と比べれば、幹部とて塵芥に過ぎません」
「それで」
「はい、この後、依頼先のファミリーへ報告の後、会食の予定だそうです。これからの同盟についてのことでお話があるそう……」
「私がか?」
「は?」
にこりと、テュールは微笑む。
そして、微笑みのまま繰り返した。
「私が、か」
「はっはい……先方は……」
「なぜ、私なんだ?」
まだ血の付着する刃が闇の中光ったように見えた。
それは、少年の恐怖心が見せた幻だったが、同時に男の殺意が膨れ上がった証でもある。
標的に対して微かにしか向かわなかった殺意が、敵意が、微笑みが、今、少年に降り注ぐ。
蛇に睨まれた蛙どころではなく、まるで竜に飲まれる蛙のような心地で少年は顔を引きつらせた。
触れられた訳でもないのに呼吸も鼓動も荒くなり、汗が吹き出る。
がくがくと足が震え、立っていることすらままならない。
「同盟関係の話ならば、私に話すべきではないだろう」
「ひっ!」
その闇より澄んだ深い深い瞳が、少年を映す。
「そんなこと、私はドン・ボンゴレに命じられていない」
その黒が滲むのを少年は覚えた。
涙を流しているのだ。
だくだくと、ただ恐怖の為に。
「ならば、私の仕事は終わりだな?」
男は、笑う。
その瞳の奥のちっとも笑っていない笑みで。
「簡潔に言う」
そして、ふっと、口調を変えた。
「俺はな、同盟ファミリーのおべっかやこびへつらいなんて聞きたくねえんだよ」
「そういうのは、全部ドン・ボンゴレの奴がやってりゃいい」
「俺の仕事は殺すこと、殲滅すること、恐怖を与えることだ」
「なら、仕事は終わりだ」
「俺はとっとと帰ってスペルビに会いたいんだよ、邪魔するな」
何度もうなずくことしかできなかった。
恐らく、否定すれば少年は一瞬で人生で最大の恐怖を負ったまま死ぬところだっただろう。
頷く少年に、満足そうに男は笑った。
はあっと、呼吸すら忘れていた少年の息が吐かれる。
いや、忘れていたのではなく、呼吸を許されていなかったのだろう。
それだけの恐怖が、男にはあった。
「あっ」
少年の開きっぱなしの口から声が出る。
「てゅっ、テュールさ、さまは……とつぜんの、ひっ……ド、ン・ボンゴ……のごめ、いれいで……かいしょくは……キャ、キャンセルです……」
「よろしい、サータナ、お前には見込みがある」
優しい、優しい声。
しかし、その優しさすら恐怖の一端にしかならない。
「私は、小賢しいのは好きだ。身の程のわからんバカの小賢しさはただ鬱陶しいだけだが、身の程のわかっている奴の小賢しさは好きだぞ」
にこりっと、少年に別の笑みを投げかけ、男はくるりと背を向け駆け出した。
少年は、男がいなくなってもまだ震える足に立ち上がることができない。
そのまま、嗚咽を漏らして泣き始めた。
今、自分が生きていることに対しての、喜びの涙を流しながら。
「スペルビー!! パパだよー!!」
ばんっと扉を突き破る勢いで男は部屋に突っ込んだ。
もう、男の目には最愛の息子しか映っていない。
ひどく驚いた表情の息子を半分さらうように抱きしめる。
そしてぐりぐりと頬ずりをし、額や頬にキスの雨を降らせた。
最愛の息子はというと、驚いた姿勢のまま硬直し、把握できない現状に目を瞬く。
しかし、男はもうお構いなしだった。
会えなかった分とばかりにその髪に口付け匂いを嗅ぎ、抱きしめて感触や体温を感じる。
口にしなくともその愛しさを伝える行動に、子供はやっと状況を把握した。
「ししょー……」
「スペルビー!! お土産たくさん買ってきたよー!!」
声に駆けつけてきたのだろう、少し息切れした青年が、うんざりという顔で男を見る。
「……あら……テュール様……」
「ああ、ルッスーリア、今帰ってきた」
男は、決して最愛の息子から視線をそらさない。
「……おかえりになられる時は連絡していただけると……」
「連絡する時間すら惜しくてな!!」
「……はあ」
そして、やっと男は最愛の息子を下ろすと、腕にぶらさげていたお土産の袋を差し出した。
中には何かごちゃごちゃした物がたくさん入っているらしく、最愛の息子は首を傾げる。
「出してごらん」
そっと、小さな手が小さな箱を取り出した。
ずっしりとその大きさよりも重い感触に不思議そうに箱を開ければ、ぎらりっと銀色が光った。
「飛び出しナイフだ」
「子供のお土産にそんな物騒な!?」
「護身用にいいだろ? ナイフと子供に油断したところで刃が飛んでぐさっと!」
「……もしかして、この袋のお土産全部そういうものですか……?」
「ん、まさか」
「ですよね……」
「ナイフの一撃じゃ大人相手には難しいからちゃんと毒物とか、火薬とかも買ってきたよ」
「………………」
がくりっと青年はうなだれた。
そこには、何を言っても無駄だという諦観がある。
「仕込み刀なんかもいいかもしれないと思ったけど、スペルビの背丈じゃ早いと思ってね」
「……貴方という人は少し……子供の喜ぶプレゼントというものを……」
「ししょー」
箱から取り出したナイフを持った最愛の息子は笑っていた。
その、ぎらりと光る銀色を手に、嬉しそうに、嬉しそうに。
「ありがとう」
その時、青年は思う。
たぶん、これが漫画であれば、ハートマークが飛び交っているのだろうと。
「スペルビー!!」
「わああ!!」
「テュール様!! ナイフを持った子供にそんな乱暴な!! あっ危ない!!」
「また買ってくるからね!! 次はもっとすごいのを!!」
「やめてください!! もう、スペルビもナイフを振り回さないで!!」
がんっ
驚いた拍子にどこかに触れてしまったのだろう、飛び出しナイフが作動し、壁に刃が突き刺さる。
それを見た青年は悲鳴をあげた。
さすがにその悲鳴にまずいと思ったのだろう、男が動きを止める。
ぶるぶると青年が震え、ぎっと顔をあげた。
「ぜっ絶対だめです!! もっもう、刃物や武器をお土産にするのは禁止です!!」
半泣きで叫ぶ青年の迫力に、思わず男は頷いた。
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