彼は、全てが終わった後やっと重い腰をあげた。
向かったのは、クーデターの主犯の元でも、息子に殺されかけたドン・ボンゴレの元でもなく、たった一人の息子の元だった。
全てを失ってぼろぼろの息子がのろのろと顔をあげたと同時に、彼は助けてやろうと微笑んだ。
しかし、その言葉の意味を正確にとらえた息子の顔は、絶望で染まる。
やめろっと、息子は叫んだ。
それはひどく力ないもので、懇願しているようにすら見えた。
やめろ、やめてくれと。
俺をこれ以上惨めにさせないでくれ。
誇りを汚さないでくれ。
あいつを、裏切らせないでくれ。
縋るように口にした。
彼を止めるには、身も心も壊れすぎて。傷つきすぎて。弱りすぎて。
それでも、どこか泣きそうに立ち上がった。
そんなことをするなら力づくでも止めると立ち上がる。
しかし、そんな微かな抵抗もできないままに、抑えつけられた。
「お前の苦しみも痛みも誇りも、気持ちも、全て理解しているよ。それでも、私はお前を助ける。
XANXUSじゃなく、お前を。お前だけを、お前一人だけを」
その言葉が、どれだけ息子を打ちのめすのか、彼は知っていた。
誰一人として手を伸ばされなかった少年がいた。
父親でさえ、助けられなかった少年がいた。
父親を殺そうとして、父親に見捨てられた少年がいた。
その少年こそ、息子の守りたいものだった。助けてやりたい相手だった。
息子が最も守りたかったものは、守りきれなかった。助けられなかったというのに。
彼は息子を助けるという。
愛情を持って、息子だけを。
他の何を捨てても、息子を助けると。
「お前の罪を全て許そう。お前の罰を全てかぶろう。お前の責任は全て引き取ろう」
大丈夫。
私以外の誰にもお前を傷つけさせたりしない。
誰もお前を責めさせたりしない。
私が、助けてあげよう、守ってあげよう。
「私はお前を愛しているから」
「よくも血の繋がってない子どもの為にそこまでできるな」
書類を整理していた青年が顔をあげた。
彼は青年と目を合わせると苦笑。
「と、嫌味を言われてしまったよ」
「あら……随分命知らずな方ですね」
「まったくだよ、ちょっと木に逆さ吊にしてしまった」
「……穏便な方ですね」
「今、機嫌がよくてね」
一枚、書類を手にとり、彼は目を通す。
そこにある文書の半分はダミーであり、もう半分は暗号化され、一見ただの報告書のようだった。
しかし、その実、そこに書かれているのはクーデターに関する恐ろしく血と殺戮に満ちた内容が書かれている。
「血の繋がりなど、無意味だというのにね」
「まったくです。
実の親子だというのに殺し合い、実の子供を捨てた親がいるっていうのに」
「この時期にそんなことを言うと首が飛ぶよ?」
「別に、誰のことかなんて言ってませんわ」
青年は笑いながら書類へと顔を戻す。
ぱらぱらと何枚か選んで机の上に放り出すと残りをゴミ箱の中に落としていく。
そして、更に選び出した書類の中から一文見つけるたび、適当にペンで塗り潰した。
「でも、本当に、いいんですか?」
「ああ、あの子の為に私ができることがあるんだよ。しないでどうするんだい」
「残酷な人ですね」
「そうかい?」
「あの子の罪も責任も罰も誇りも希望も死も全部奪い取るなんて――残酷すぎます」
「奪い取るなんて人聞きが悪い。私は息子を助けたいだけだよ」
「例え、それを相手が望んでいなくても? 愛の押し売りでも?」
「勿論」
淀みなくきっぱりと言い切った彼の視線の先、そこには彼の書いた覚えのない、しかし彼の筆跡で彼の名前が書いてあった。
「スペルビは、本当に素直ないい子だね」
くすりっと笑う。
「ちゃんと私の言った通り偽名は私の名前を使ってるし、筆跡もそっくりだ」
「ええ、これを証拠として提出すれば貴方はあっという間にクーデターの共犯者です」
「名前は全部消してくれたかい?」
「ええ、あの子を暗喩する言葉も消させていただきました」
「さすがだね」
「お褒めいただき、光栄です」
そう言い切って、もう一度、青年は問うた。
これでいいのかと。
本当に、いいのかと。
「いくら貴方でも、ただではすみません」
「そうだろうね」
そんなこと百も承知だと断言する。
「あの子の為なら、地位も名誉もそんな物、豚に食わせてもいい。それに」
「それに?」
「9代目が私を殺すことなんてできないしね」
「確証がおありで?」
「ああ、9代目のことだ、私の地位と経歴を考えれば簡単に殺そうとは思わないだろうし、それに――“息子を命を張って、全てを捨てて助ける父親”を殺せると思うかい?」
「……殺せないでしょうね」
「そういうことだ」
にやりっと彼は笑う。
恐らく、その場面を想像してあざ笑っているのだろう。
青年はその顔を見ながら言葉を続けた。
「でも、きっと、あの子は傷つきますよ」
「そうだね。苦しんで、苦しみぬいて、もしかしたら死んでしまうかもしれないね。
ありえないけど」
「あの子が自殺なんかしたらどうしてくれるんですか」
「しないよ。ちゃんとあの子には私から希望を与えたからね。
何年かして、ほとぼりが覚めたら9代目はあいつを再び起こすって」
「本当ですか?」
「さあ……? 憶測だからどうなるかはわからないよ。
起こしたとしても何十年も先かもしれないし、明日には眠ってることにされて殺されてるかもしれない」
「………」
「ルッスーリア、考えてもみてくれ」
これ以上ないほど、彼は笑って見せた。
その笑顔は、女性であれば、いや、女性でなくとも魅入ってしまいそうなほど美しかった。
当然、その笑顔に青年も釘付けで動けなくなる。
この笑顔で何か言われれば、誰もが思わず頷いてしまいそうだった。
惚れた弱みすら抜いても、まだ余りあるほど。
「あの子があいつを裏切らせることができるチャンスを俺が逃すとでも?」
本当に、酷い人。
青年は悲しげな表情で呟いた。
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