時折、ゴーラは夢を見る。
それは本来夢ではなく、記憶データの整理中に起こるバグのようなものだった。
試運転が終了したと同時に消去された筈の、残滓が度々表面に浮き上がってるだけにすぎない。
ただ、それでもゴーラはそれを夢と定義する。
他にふさわしい言葉が見つからないからだ。
その日の夢もまた、ごく短い、細切れの過去の残滓であった。
時折、ノイズのように、見上げる2対の瞳を思い出す。
それは、とても美しいと分類するにふさわしい、赤と銀。
その小さな色は、どこへいったのだろうか、ゴーラは記憶データを探ったが、消去された過去は二度と浮上することはなかった。
世界に誕生した瞬間をソレは知らなかった。
それは、誕生の瞬間の定義がうまく定まっていなかったらであり、同時にソレが母の胎を通して生まれた訳ではなかったからだ。
ソレは、父に当たる人間の手で、鋼と歯車とネジとそれ以外となんだか訳のわからない何かをまぜこぜに、作られた、そう、作成された存在だったからだ。
もしも、ソレが自らの意志なのか、それともプログラムなのか産声一つ上げぬ起動が誕生だったというならば、そうなのかもしれない。
ただ、ソレは、まず自らに設置されたレンズで世界を移した。
狭い、四角い部屋だった。
ごちゃごちゃと用途不明の機械や箱、そして血のような赤い液体が辺りにはぶちまけられている。
そして、その液体の向こうには、白い人間が立っていた。
ソレの頭に属する部分に刷り込まれた知識と情報が男を観察した性別は男だろう、年齢はわからないが、恐らく20は過ぎている。背は標準よりかなり高い。しかし、その体はあまりにも細かった。
白だっと、ソレは思う。
それは、プログラムにはない思考にも似た感覚だった。
しかし、それがソレ自身のものなのか、それとも製作者の意図なのかはわからない。
それでも、男は正しく白かった。
着ている服も、流れる髪も、手に持った紙も、垣間見える肌すら白い。
白だっと、それはもう一度思う。
すると、白い男はソレを見た。
振り向いた顔もまた白かったが、不思議と、ぽっかり穴の開いたような瞳だけは両方とも黒だった。
男は、ソレの中にある情報の中で微笑みに近い表情を浮かべた。
それが微笑みであるかどうかは、まだソレの乏しい経験ではわからない。
笑みにも色々あるのだと、情報が告げているからだ。
男は、ソレに話しかけた。
「わかるかい?」
ソレは反応に困った。
それが、自分に話しかけられているのか、それともまったく別の相手に話しかけられているのかわからなかったからだ。
しかも、ソレは男のように、音声にして情報を伝達する術を持っていなかった。
「ふむ」
男がうなづく。
「では、私の質問に、わかるなら何か音か、アクションを出してくれ」
音。
音くらいなら出る機能があったとソレは思う。
ならば、ここはそうするべきであろう。
ソレは、人間に従うよう作られているのだから。
「わかるかい?」
音を鳴らす。
男は、感動したようにおおっと呟いて震えた。
黒い瞳がきらきらと輝き、嬉しそうにうなづく。
「もう一度聞く、わかるかい? わかったなら3回くらい音を頼む」
素直に3回音を鳴らせば、また、感動の声を漏らした。
嬉しそうに書類を見て男は聞く。
「ふむ、では、君は自分が何かわかるかい?」
ソレは音を鳴らす。
ソレは、自分がどういうものか知っていた。
そう、自分が何の為に作られ、何の為に使用されるかも、全て。
当たり前のように知っていた。
いや、事前にそうわかるようプログラムされていた。
起動されればすぐに動けるように。
「では、君の名前はわかるかい?」
男は、笑う。
ソレは、完全に男が笑っていると判断した。
ソレにとって、初めての経験による知識。
ただ、言われている意味がわからず沈黙する。
「名前はわかるだろ?」
そういう存在があることをソレは知っていた。
しかし、ソレに名前などない。
ただ、目的の為に生み出されたソレには、名前など必要が無かった。
だから、答えられない。
「それで、君の名前は?」
沈黙を続けざる得ないソレに、男は呟く。
「ゴーラ・モスカ」
男は、たったそれだけの言葉を紡いだ。
ソレには、その単語が何を意味するかわからない。
ただ、体のどこかが、甲高く音をたてたように思える。
「それが、君の名前」
さあ、おいで。
男は、呼びかける。
「ゴーラ・モスカ。
今、この瞬間から俺がお前の主だ」
その声は、ひどく優しげでありながら、どこか傲慢だった。
しかし、その態度も、声も、眼差しも、伸ばされた手すらも、あまりにも惹きつけてやまない。
ゆっくりと、ソレは――ゴーラ・モスカは答えた。
その重い体を初めて動かし、自らの足で立つ。
男は、笑っていた。
まるで、子供の誕生を祝うかのように。
ゴーラ・モスカというのは本来君の設計者の名前でね。いわば君のお父さんみたいなものだよ。
大戦時に死んでしまったから名前を貰ったんだ。息子が父の名前を受け継ぐのはそんなに珍しいことじゃないからね。
本当は君を起動させるのは君の製作者の予定だったんだが、何を思ったか私に逆らってね。処分してしまったよ。
君の能力を見て淡い夢でも持ったのかもしれないね。データを見せてもらったが、中々だったよ。ただ、コストも技術も突き抜けすぎてるから量産は無理かな。それに、本当にデータ通りの能力が期待できるかもわからないからね。
とりあえず、試運転というところだよ。
一応、君は極秘機密だから、私の傍を離れてもらっては困る。
だから、しばらくは、私の補佐のような仕事をしてもらおうか。私はデスクワークが苦手でね。まあ、手順さえ覚えれば簡単な仕事だから大丈夫。
それよりも、重要なことは、実は私には息子がいてね。
血は繋がってないんだが、これがまたかわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくて……。
ん? なんだい……なんでもないのかい。喋れないというのは不便だね。
まあ、続きなんだが、かわいくてかわいくてかわいくて……(略)かわいいんだよ。
その子の世話もできれば頼みたい。
失礼だけど、君の体は少し隠密向きじゃないからね。君を連れて行けない任務もある。
そういう時は信頼できる人間に君を預けるんだが、先に私の息子を預けていてね。
だから、一緒にいることになるだろう。
それで、君には二つお願いがあるんだ。
一つは、その息子の近くにいる。くそ生意気な御曹司をしばき倒すこと……。
大丈夫、御曹司は中々才能はあるが6,7才くらいでまだまだ弱いから君なら簡単に……。
なぜ嫌がるんだい。
私は喋ったり表情を伺ったりしなくてもだいたいわかるんだよ。
思ったより君は人間的な人格をインストールされているんだね。
試運転段階だったからかな?
まあ、それよりなぜ嫌がるんだい。
私の最愛の息子を殴ったり蹴ったり独り占めする生意気なクソガキの息の根をとめるだけでいいんだよ?
ブーって、さっきそんな音出してなかっただろ。さっきまでの素直さはどうしたんだい。
たった数分でここまで柔軟性が出るとはすごい学習率だと感嘆すべきなのかい?
……まあ、いい……。
それで、もう一つのお願いなんだがね……。
床にこぼれ落ちた銀を見つめながら、ゴーラは自らの機能を落とすことで響く音を小さくする。
すると、ゴーラの体の奥底で響く音は小さく、そして一定のものとなり、まるで人間の鼓動のような音に変化した。
その音の変化に、膝に相当する部分に頭を乗せた相手は、少しだけ表情がゆるやかになったように思える。
その状態を維持しながら、ゴーラは時間を計る。
1秒以下の小数点の向こう側の単位で狂いのないゴーラの時計は、指定された時間へのカウントをし続けていた。
微かなうめき声と共に寝返りを打てば、銀が床を撫でる。
掃除は行き届いているとはいえ、微かにその髪が汚れるのを見て、ゴーラはその巨大な手に似合わぬ繊細さと器用さで銀色をまとめて床からすくいあげた。
静かな沈黙の時間。
響くのは、小さな鼓動に似た音のみ。
ゆっくりと、流れる時間。
その中で、ゴーラは時折、ノイズのような音を聞く。
それは、自分を呼ぶ声に似ていた。
しかし、あくまでそれはノイズに過ぎない。
それでも、声は、どこかはっきりしているように思えた。
ゴーラは、記憶データを検索する。
今ならば、何かをみつけられそうだった。
消去されたその奥に。
手が、届きそうだと。
そう、あの、銀と赤を。
高い、無邪気な声を。
そして、その向こうで、誰かが自分に言う。
(――してほしい)
「あら」
ふっと、検索が中断される。
レンズを動かせば、そこには見知った男が立っていた。
機能を低下させた状態で他のことに夢中になっていたせいで探査機能が落ちていたらしい。
男はゆったりとした足取りで近づいてくる。
「ゴーラ、ボスが探してたわよ」
敵ではないことからゴーラは警戒を解く。
自分の主が探していたという単語に反応したが、ゴーラは動けない。
ゴーラはそっと自分の膝の上の相手を見た。
今の声で起きたかもしれないと思ったが、相手は未だ深い眠りに落ちている。
それに、どこか安心すれば男は笑った。
「ゴーラは、スクアーロには優しいのね」
優しい。
その単語にひどく過敏にゴーラは反応した。
別に、ゴーラは今膝の上にいる相手に優しくした覚えはない。
そもそも、優しいというものがどうなのかも理解できてはいなかった。
消去された記憶の向こうでは、その単語を知っていたような気がする。
「いつもはボスの命令しか聞かないくせに」
男は銀色に指を伸ばし、その一房を摘んで付着していた埃を払う。
それでも、相手は起きない。
安心したかのように少し身を丸め、相変わらず寝息を立てていた。
くすりっと、男がもう一度笑う。
過去を懐かしむように、優しく。
そう、ゴーラの理解できない優しさを顔いっぱいに浮かべて。
長い髪に指を絡めた。
「貴方は覚えてないけれど、スクアーロはこうして貴方の膝で寝るのが好きだったのよ」
(私の息子に、優しくしてやってほしい)
ノイズが、体の奥底で聞こえた。
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