リズヴェッリョ



 剣帝テュールは、ボンゴレファミリーの現在の10代目から微かながら8代目までの3代に渡るボスを見てきた。
 マフィアにしては代替わりの遅いボンゴレファミリーの3代を見てきただけに高齢で、現在は引退し、小さな田舎町でほそぼぞと暮らしている。
 しかし、その実力と権威はいまだ絶大で、その名が口に上るだけで震える者もいるという。
 彼を知るものは彼を剣帝と同時に畏怖と嫉妬を込めて「化物」と呼ぶ。
 そして、もっとよく知るものもまた、彼を「化物」とよんでいた。

「ん? どうしたんだい、ドン・ボンゴレ」

 目の前の、男を見て、10代目と呼ばれた青年はその彼をよく知る人々の言葉を本当だと思ってしまう。
 それは、男の放つ強さと、そして、外見を見れば青年でなくとも誰もが納得した。
 戦わなくとも、剣を交えなくても、わかる。
 微かに放たれる敵意のない殺気、距離、些細な仕草、目の動き、そして青年の直感がその強さを感じ取っていた。
 恐らく、剣士でありながら素手で青年と渡り合えるだろう。
 内心の怯えを見透かされないように手元の書類へん目を落とす。
 しかし、何より強さより、男をよく知る人間に化け物と言わしめるのは外見だった。
 そう、男は

「あっ……名前で構いません、テュールさん」
「いやいや、仮にも君はボンゴレファミーを治めるボスだからね。名前呼びなんてできないよ」

 若すぎた。
 青年の父の話では、自分より年上だという話だが、目の前の男はまったく父より年上に見えない。
 にこりと笑う目じりに皺はなく、瞳は生気に満ち、髪は見事なほど白髪だったが、それはファッションの一部にしか見えない。ヒゲがある分まだ老けて見えたが、どう見ても少なく見積もって40を越えているとは思えない。 

「むしろ、私こそ、さんなどいらないよ」

 ヘタをすれば50を越えている筈の男は、年齢を感じさせない笑みで青年を見る。
 その手には、本来ならば部外者には目に触れさせてはいけない、いわゆる裏の仕事に関する書類が握られていた。
 なぜ、この人がこうやって青年の、正確には青年の遠い親戚の仕事なのだが、しているのかわからなくなっていく。
 そもそも、引退した人がここにいるということすらおかしいというのに。

「いえ、えっと……テュールさんは、先代と先々代のボスを知ってるんですよね」
「ああ、9代目と8代目のことかい? まあ、9代目は、本当に嫌になるほどよーく知ってるけど、8代目は噂と、2,3回見たことがあるだけだね」
「……どんな、人でした。先代と先々代」
「ん? そんなこと聞いてどうするんだい?」
「いや……ほら、あの、俺、結局こうやってボスになったけど、今までのボスの人とか、ファミリーのこととか知らないじゃないですか。
 特に先代はあの件で知ってる人は口をつぐんじゃいますし……やっぱり、俺がボスをやるからには、知っといた方が……その、いいかなって……」
「ははあ、なるほど」

 しどろもどろになる青年に、男は興味深そうに笑った。

「そうだね、まあ、大体9代目はあの件がなければ噂通りの温厚な人だったよ。そう、優しすぎるほど優しくて、争いを厭い、仲間を大事にし、仲間の為に常に最善を尽くす男」

 君に似てるよっと言われ、青年はただ自分は臆病なだけなのに……っと胸の中で呟く。
 
「しかし、それは仲間の前だけ」

 声に、少しだけ低さが混じった。

「それらは全て仲間の為、実は腹に一物持つとんでもない奴さ。滅多に尻尾はつかませないが敵には冷酷にして非情、自分の手を汚さずに敵を潰すのが、とても、とても上手だったよ。口もうまくてね、同盟ファミリーもあの笑顔と一緒に騙られればコロリ。
 優しい、けれど甘くない男。それが9代目を表すふさわしいかな?
 まあ、ファミリーのボスだからね、それくらいは当然だろう」

 男は笑っていた。

「家光や他の奴らはうまく騙せてやがったけど、俺は敵だったからな」

 あの男の本性は、怖さは見せ付けられた。
 笑っていたが、青年は男に内心冷たいものを感じる。
 そう、まるで、とても嫌な物を説明するような嫌悪感と、思い出すだけで憎らしいというような敵意が膨れ上がったからだ。
 一瞬前の微かな殺意とは比べ物にならない恐ろしさに、思わず青年は顔が引きつった。
 ばくばくと脈打つ鼓動が、まるで自分の遠い親戚と対峙した時のように悲鳴をあげる。
 今すぐ逃げたい。
 そう、数年前の青年なら逃げていただろう。
 しかし、今、青年は自分が逃げる訳にはいかないと理解している。
 だからぐっと踏みとどまった。

「はっ8代目はどんな人でしたか!!」

 そう少し強い口調で言えば、ふっと殺気は薄れた。
 ほっと安堵の息を漏らせばそれを悟られたのか、小さく男は笑った。

「ああ、8代目はね、先に言ったけど会ったことはないんだよ。顔は9代目に似てたけど、噂では性格はあまり似てなかったそうだ。
 中々好戦的でね。トマゾファミリーを始め多数のファミリーを敵に回してしまったんだ。おかげでその頃のマフィア事情は荒れに荒れて中小マフィアはとにかく大変だったよ。
 まあ、恨みは買ったけど、それだけの実力はあったからボンゴレファミリーの強さを圧倒的にしたのは功績かな」

 同じボスでも随分違うのだと考えながら青年はやはり自分はどちらかといえば9代目に似ているのかと思う。
 そういえば、遠い親戚もそんな風に言っていた。
 ぼんやりと数年前のことを思い出す。
 まさか、あの頃は自分がこんな風になるなんて思ってみなかったと。

「そう、まさに正反対とも言える9代目と8代目だけどね、同じところはあったんだよ」
「同じ……?」
「むしろ、歴代ドン・ボンゴレの血に共通していると言ってもいいね」
「……ボンゴレ・オブ・ブラッドですか?」
「そうだね、それにつきまとう血の呪いだ」
「えっええ……?」
「素晴らしいという人もいれば、最低だと言う人もいるね」
「……???」
「ボンゴレ・オブ・ブラッドを継ぐものは今まで君を除けば、まあ私が知る限りだからどうかわからないが、全員いきなり」
「いきなり?」































「愛に目覚めるんだ」





























「はあ……?」

 青年は、思わず顔から力が抜けるのを感じた。
 あい。
 あい、アイ、藍、哀、I、eye?
 まさか、愛じゃないだろうと青年は首を傾げるが、男はにこにこ笑って愛するの愛だよっと誤魔化さない。
 一瞬、まだ拒絶する脳が会いすると変換するが、すぐに無駄な抵抗だとやめた。

「愛だよ、愛」
「愛ですか……」

 まったくピンときていない青年に男は繰り返す。

「そう、愛に目覚めるんだよ」
「……それがいけないんですか?」
「それが普通のそう、一般人なら構わないよ。でも、それがドン・ボンゴレともあろうお方ならいけないに決まってる。いいかい、初代ボンゴレは妻も息子、ファミリーもいながらいきなり愛に目覚めて全部捨てて日本に行ったんだよ。全部、そう、今まで彼が手に入れてきたものたちを裏切って捨てていったんだ。
 以降のドン・ボンゴレたちもいっそ清清しくなるくらい愛に目覚めてある時は妻子を捨ててどっかの馬の骨と逃げたり、特別愛してなかった奥方様を溺愛したり、妻との一緒にいる時間が減るからといってボスをやめた人もいたとか聞いたよ」
「……」
「言っておくけど、家光だって例外じゃなかったんだよ?」
「ええ!?」
「今でこそ軽い印象があるけど、家光は結構ストイックでね、女性をまったく近づけなかったんだよ」
「信じられません……!」

 青年の思い浮かべる父親は言われた通り軽い印象があった。
 豪快でスキンシップを好み、母親にベタ惚れ。
 そんな父がストイックで女性を近づけない図など思い浮かびもしない。

「だろうね。私としては今の変わりようの方が驚いたよ。そう、彼女に出会った瞬間愛に目覚めてね。一時期はボンゴレも何もかも捨てて日本に行ってしまった程だよ。危うく裏切り者として血の粛清をするところだったさ」

 そこを9代目が門外顧問にすることで防いだんだよっと意外な事実を聞かされ、青年はため息をついた。

「ちなみに、XANXUSと9代目の年が離れているのも、愛に目覚めたせいなんだよ。ファミリー命だった9代目がいきなり奥方への愛に目覚めてXANXUSができてね。あの時は悪いけど笑わせてもらったよ」

 思い出し笑いのように声をもらして、少しだけ遠い目をした。
 まるで、懐かしむような、それでいて複雑のような。
 その顔に、青年は男の重ねてきた年月を見たような気がした。
 ほんの些細な沈黙の後、再び男は強く笑った。

「だからね」

 目を閉じる。
 そして、開ける。
 男は、ゆったりとした仕草で目の前の万年筆を握った。
 古いながらも丈夫さだけは天下一品だというソレが、きしぃっと悲鳴をあげた。



























「いきなりXANXUSの奴が愛に目覚めてスクアーロをさらっていったという現状に俺は怒りこそ覚えるが、驚いてねえんだよ」





























 めきぃっと、丈夫な筈の万年筆に皹が入る。
 にこにこと笑いながら男はまったく笑っていなかった。
 その表情に、青年は思い出す。
 そう、男がここにいる理由。
 男の言葉を借りれば、愛に目覚めたという遠い親戚が、自分の部下を拉致して行方知らずになってしまったのだ。
 すぐさま青年は緘口令を引いた上で、極秘任務ということにしたが、足取りはまったくつかめていない。
 別に、愛に目覚めて行方知らずになるくらいはよかった。
 長い休暇で旅行だと思えばいいし、遠い親戚とその部下は見てる周りがじれったいほどお互いを思いあっていたから、この件で恋人同士になってくれればファミリー内の悩みの種が一つ減る。
 だが、問題はそこにはない。
 そう、問題というのは、仕事だ。
 休暇であれば事前に周りもわかっているので予定の調整や仕事の役割なども整理しておくだろう。 
 しかし、今回は本当にいきなりだった。
 遠い親戚でないとできない仕事、部下には決して見せてはいけない、それなりの地位以上の者のサインが必要な、裏の者ですら恐れる名前が必要な書類たちが山ほどあるというのに。

「せめて……仕事が終わってから愛に目覚めてほしかったです……」

 べきぃっと、万年筆が折れるのを診ながら青年は呟く。
 なぜ、ここに男がいるのか。
 それは、簡単なこと、遠い親戚ほど仕事ができて、今は引退した身だが裏を知り尽くし、元ではあるがそれなりの地位以上にあった、裏の者ですら恐れる名前の持ち主だからだ。
 遠い親戚が行方知れずになった時直感に真っ先に浮かんできた人。
 ファミリーの古株たちにこぞって反対され、断られるだろうとだめ元で頼んでみたら、なぜかあっさり了承してくれた。

「君も、ね」
「え?」
「君もボンゴレ・オブ・ブラッドなんだよ」
「あっ」

 青年は失念していたとばかりに額に手を当てる。
 つまり、それは、自分もいきなりファミリーも何もかも投げ出して愛に突っ走ってしまうのだろうか。
 そして、まるで父のように相手を溺愛するのだろうか。
 それは悪いことじゃないけど、なんだか照れる。

「まあ、君は奥方を大事にしているみたいだからまさか愛人に走るなんてことはないと思うけど……いきなりファミリーを捨てられたら、私の息子も困るからね。できれば後継ぎもできてしっかりと基盤を固めてから愛に走ってほしい」

 からかうような笑顔で言われ、青年は俯く。

「がっがんばります……」

 無理矢理書類に目を落とし、字の羅列を辿る。

「早く、XANXUSもスクアーロも帰ってくるといいね」

 少しだけ、寂しそうに笑う顔に、青年は思う。

(ああ、この人は笑うことしかできない人なんだ)





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