僕が生れ落ちた時、母である人は泣いていた。
それは喜びの涙であったし、同時に悲しみの涙でもあった。
ただ、周囲の僕を見つめる人間とは違って後悔や恐怖だけは一片も含まれていない。
母は、生まれたばかりの僕を抱きしめて、名前を呼んだ。
僕は、産声一つあげずにそれを見ていた。
たぶん、周囲の人間は、僕が母に手を伸ばすまで僕が生きているかどうかすらわからなかっただろう。
母の髪に僕は触れた。
美しい髪だった。
銀色の、きらきらとした髪。
赤しか知らなかった僕の世界は、母の銀に満ちた。
しかし、それもつかの間のこと、僕は母の腕からとりあげられたのだ。
驚きはなかった。
母も驚かなかった。
ただ、僕の名前を呼んだ。
僕はその時まだどう言えばいいか知らなくて、ただ
「ままん」
それだけ呟いていた。
後は、なんだかよく覚えていない。
僕は、なぜか母のつけた名前でない名で呼ばれ、おしゃぶりが与えられた。
僕の他にも8人位似たような赤ん坊がいて、そいつらもおしゃぶりを持っていた。
誰一人として泣かなかった。
ただ、これから待ち受ける自分の人生を、生まれた時から皆わかってた。
いや、下手すれば生まれる前からしっていたのだろう。
それからのことは、よく覚えていない。
どうでもよかったから。
重要でなかったから。
大事ではないことはすぐに忘れる。
人を殺しても、人を騙しても、人を捨てても、そんなことは、何一つ大切ではない。
僕の時間も、世界も、母の手から奪い去られた時から、停まって、色褪せた。
そして、僕の世界が再び色を持ち始めたのは、あの銀色を見つけた時からだった。
「ママン」
よくわからない大人が僕をヴァリアーとかいう暗殺部隊に放り込んだ時。
ボスの次に合った人物は、銀色だった。
そう、銀色だったから、言葉が出た。
思わず口をついて飛び出したのはそんな言葉だった。
生まれて以来一度も口にしたことのなかった言葉。
それが、無意識の内に飛び出してしまった。
僕は、その銀色を見つめて混乱する。
なんてことを言ってしまったのだろうかと。
じろりっと、銀色は僕をにらみ付けた。
そして、僕を見下ろしながら冷たい声で呟く。
「俺はてめえなんざ産んだ覚えはねえよ」
がーんっと脳天を打ちつけられたような気分だった。
自分でもわかっていた筈なのに。
何を言っているんだろうか。
この相手が自分の母に似ているところなんて、銀色と性別しかないというのに。
それでも、僕は傷ついた。
人生で初めて傷ついた。
泣き叫んでしまいそうで僕は更にフードで目元を隠す。
どうしていいかわからず思わず憎まれ口を叩いた。
ぼくもきみからうまれたおぼえなんてないよ。
一瞬だった。
一瞬だけ、銀色の表情が曇った。
すごく、傷ついた顔だった。
さっきの僕と同じ顔。
よくわからないけれど、ぐらりっと視界が揺れる。
なんでだろう。
よくわからない。
気づいたら、僕は、銀色に抱きかかえられていた。
銀色は僕を痛いほど抱きしめたまま、早足で歩く。
どこに行くのだろう。
僕は、腕の中で、鼓動を聞いた。
どくどくと、安心するリズム。
知ってる。覚えてる。
僕は、ずっとこのリズムを知ってた。
だって、一番近くで聞いていたから。
これを、子守唄代わりに、ずっと、ずっと。
ああ、僕の喉が、口が、勝手に言葉を紡ぎ出す。
どっか、知らない小さな部屋に銀色は飛び込んだ。
そして、崩れ落ちるように座ると、滲んだ声で僕を呼んだ。
「マーモン」
「ママン」
さらさらと、長い髪が僕の目の前に。
銀色。
僕の、赤の次の世界の色。
母は、僕の名前を何度も呼ぶ。
それから、僕のヴァリアーでの名前は、マーモンになった。
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