かえしたくない・かえらせたくない



 どこへ行けばいいだろうか。
 彼女は走りながら考える。
 どこへ行けばいいのか、それがわからないのに少女は走っていた。
 知らない道を走り、いくつか角を曲がれば不安になる。
 どこへ行けばいいのだろう。
 何度も浮かんだ考えは、答えが見つからない。
 彼女の本当の主は、彼女に何か言う前に消えてしまい、まだ仲間とは呼べない、そう、同じ立場の二人は彼女を置いていってしまった。
 ならば、今さっき出会った少年と共にいるべきだったのかもしれない。
 彼女の主は、一見臆病で小さくて弱そうな少年にご執心だった。
 その目的の為には彼女は近くにいるべき。
 だけど。
 そんな風に彼女は思うが、衝動が沸き起こってしまう。

(会いたい)

 じわりと涙腺が刺激された。
 もう、足はへとへとでもつれそうな上に、息も辛い。
 どれだけ走ったのだろう。
 元々体力の無い体の限界が近づいてきていた。
 それでも、止まれない。

「!」

 もつれた足が道路の少しへこんだ部分でもつれ、体が浮く。
 両腕に荷物を持っている為手が使えない。
 荷物を放り出せばどうにかなるが、放せない、放したくないだって、これは――。
















「う゛お゛ぉい、なにやってるんだ」
















 思わず閉じていた目を開くと、目の前に地面。
 彼女は奇妙な浮遊感よりも、自分を支える手よりも、声に反応した。

「ス、クアーロ」

 息切れのせいか少し詰まったが振り返って名前を呼ぶ。
 さっきまでの少し焦ったような無表情から一転して明るくなった表情の先に、彼はいた。
 銀色の長い髪に、呆れたような銀の瞳、それでも、こけそうになっていたのに驚いたのだろう、心配そうな色が浮かんでいる。

「何転びそうになってんだあ」
「迎えにきてくれたんだ」
「おう」
「おいてかれちゃったかと思った」
「あいつらはそのつもりだったみてえだが」

 あっちにいたくねえんだろ?
 そう聞けば、少女は少しだけ顔を曇らせる。
 別にっと小さく呟けば、ぎゅっと手の中のトライデントを強く握り締めた。

「どうせ大人しく待ってねえと思ったからな」

 一度足を地面に下ろし立たせると一度、じっと上から下まで確認する。

「怪我、ねえか?」
「うん」
「内臓は?」
「ちゃんと動いてる」

 ちゃんと、できたよ。
 彼女は笑う。
 さっきまでの無表情はそこにはなかった。
 ただ、幼い子供のように、お使いの終わったあとの子供のように笑う。
 自慢げに、ほめてほしいとでも言うように。

「そうか」

 しかし、待ち受ける言葉は思ったよりもあっさりしたものだった。
 むしろ、その瞳はどこか寂しそうに揺れている。何かを心配するような、遠い目。
 知らない表情。
 それは、郷愁に似ていた。

「スクアーロ」

 名前を呼ぶ。
 そして、その腕に飛びついた。
 どこかへ行ってしまわないように。
 自分を忘れさせないように。
 かえさないように。かえらないように。
 強く、強く。

「いこ」

 ここに、いちゃだめだ。
 そう、彼女は思う。
 ここは、あまりにも近い。
 彼が死んだ場所からあまりにも近すぎる。
 彼が引きずるものに近すぎる。
 もっと、もっと、離れないと。
 彼女はその腕を引いた。

「いこ」

 彼女は、帰ろうとは言わない。
 帰る場所は別にある。
 彼女の帰る場所は、自分の主の居る場所だ。
 そして、同時に彼の帰る場所もまた、主の居る場所。
 同じ場所のようで、違う場所。
 返したくなくて、帰したくなくて。

「おう」

 彼女は腕を引く。
  
「私ね、がんばったんだよ」
「そうか」
「あの、嫌味な赤ん坊、ひどいことしたの」
「だろうな、あいつ見かけと中身がまったく逆だから」
「でも、骸様がやっつけてくれた」
「マーモンは、」

 死んだか?
 彼はなんでもないような表情で、声で聞く。
 彼女は、でも、それが表面だけのことだと知っていた。
 きっと、昨夜彼女と戦った赤ん坊のことをひどく心配しているのだろう。
 そう、彼女の身を心配したように。
 同じように、きっと。
 だから、腕を掴んで、少しだけ俯いて。

「逃げたって、骸様は言ってた」

 微かな、安堵の息。
 聞こえないフリをしなばら、いつのまにか手を引かれる。
 彼女の足よりも、彼の足の方が長く、歩調も速い。
 ついていくだけで小走りになりながら、少しだけ、彼を見上げた。
 彼は、やはり遠い目で、小さく小さく呟く。






















「あいつが、一人になっちまう」






















 彼女は、俯いた。
 そして、小さく小さく願うのだ。

「はやく」
「あ?」

 帰ってくればいいと、彼女は願う。
 自分の主が今、しばらく動けないのを彼は知らない。
 知ってしまえば、彼は気づく、自分を縛る鎖が無いことを。
 気づいてしまえば、きっと、帰ってしまう。
 何もかもを差し置いて、捨てて、彼の主のもとへ。










































(はやく、かえってきて、そして、はやくかれをしばってください。
 じゃないと、かえってしまうから)










































「いこう」
「おう」

 歩幅をあわせるように必死に歩く彼女の頭に、彼の手がのった。

「がんばったな」
(かえしたくない、かえらせたくない)





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