少年は女の腹に触れ、そっと呟く。
それは、母を意味する単語だったが、女にはどこの単語かわからなかった。
それは何度目の生で何度目の死だったかは覚えていません。
貴方は覚えているでしょうか。
いいえ、覚えてなどいる筈はございませんね。
この僕ですらゆるりとわからなくなるくらいですから。
ただ記憶に残るのは、貴方の美しい髪でした。
ああ、あの時貴方は女で、しかも母でありましたね。
この僕の母です。
貴方の胎内なら追い出されてしまった僕は血と体液に塗れて貴方を見ておりました。
その時、僕は
モノクロームの世界の中で貴方だけがキレイに輝いていたのを今でも思い出せます。
そう、貴方はとてもキレイでした。
子ども心に貴方以上にキレイな物は存在しないと確信した程です。
貴方のあまりのキレイな様に産声を忘れていたら貴方は本当にあわてましたね。
僕を抱き上げて泣いてくれと言ってくれました。
生まれながらにして目の開いた赤ん坊であった、おぞましい色違いの瞳を持った赤ん坊だというのに疎みもせず、僕に触れてくれたのはどれだけ巡った中でも貴方だけでした。
僕はそこでやっと産声を思い出し声をあげれば、貴方は喜んでくれましたね。
ああ、こうやって話しているとありありと思い出せます。
貴方の体温も、貴方の鼓動も、貴方の声も、貴方の感触も、貴方の言葉も、貴方の手も、貴方の髪も、貴方の瞳も全部。
僕の貴方とは違う墨をこぼしたような黒い髪にも貴方はためらいなく触れてくれました。僕の色違いの目も、平気で見つめ返してくれましたね。
僕は貴方が好きでした。
例えどれだけどろどろとした記憶が僕の中にあろうとも、僕は貴方が好きでした。
そう、貴方さえいれば痛みも恨みも妬みも苦しみも輪廻も前世も本当にどうでもよかったのです。
貴方が死んだのを見届けた後、僕は何度も思いました。
「貴方の子にまた生まれたいと、産んでほしいと」
それなのに、生まれられなかった。
産んでくれなかった。
ぐるぐる巡る中、以降一度も。
「なぜ、僕を産んでくれなかったのですか」
言っていることがめちゃくちゃなことはわかっていた。
それでも、言わずにはいられなかった。
ああ、生まれたかった。
またこの胎内でまどろみたかった。
そして、そこから追い出され、見つめるあの瞳と光を見たかった。
きっと、美しいだろうに。
何度見ても、何度見直しても絶対に。
もう一度みたい。
そう、生まれたばかりの真っ白な世界に、黒いどろどろとした記憶が流れてくる。
世界は黒と白に別れ、まだ混ざらない。
その中で、キレイな貴方がそこにいて。
「なんで、僕じゃなくあの子を産んだのですか」
「僕じゃなくてアルコバレーノだったのですか」
「父親なんてどうでもいいんです。どうでもいいんです」
「ただ貴方が母であればどうだって」
「僕は貴方から生まれたかった」
「僕は貴方に産んでほしかった」
「なぜ僕を産んでくれなかったんですか」
「同じ呪われた子どもなら、僕を産んでくれてもよかったじゃないですか」
「僕はあれほど望んだのに」
母を呼んで少年は泣く。
その頭を撫でながら、女は何も言わなかった。
謝ることも、慰めることもしない。
なぜなら、女は少年の母ではない。
別の子どもの母なのだ。 ここで謝れば、その子を否定することになる。
そして、慰めれば少年の母になってしまう。
だから、何も言わず口を閉じた。
微かな同情で頭を撫でる。
それだけが、少年に与えられた行為だった。
「君は、いつも僕を敵視しますね」
「当たり前だよ、君と僕は思想が違いすぎる」
「それに、ライバルですからね」
少年の言葉に、子どもはむっと口元を歪めた。
おそらく、見えないフードの下ではひどく不機嫌だろう。
「輪廻なんて、僕は認めない」
子どもは言う。
「人間はずっと同じ人生を繰り返すだけ」
少年に敵意のまなざしを送りながらはっきりと。
「スクアーロは僕のママンだ。スクアーロは僕を産んだんだ。僕はスクアーロから産まれてきたんだ。
他の誰でもない、僕が、僕だけが、スクアーロだけに」
淡々とした声に力がこもる。
「それは変わらない。絶対に」
まるで、見せ付けるように、言い聞かすように。
「今までも、これからも、ずっと同じように僕は、スクアーロから産まれる。
僕は、ずっと、それを繰り返すんだ」
「だから、スクアーロは君のママンになんか絶対ならない」
ふっと、少年は笑う。
まるで、わかっているとでも言うように。
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