仮定9



 ざばあっと、水から白い姿が浮き上がった。
 闇の中、それでも目立つ白。
 白は、獣のようにずるりと這い上がると小さく震えた。
 荒い呼吸。
 鼓動がおさまるのを待ちながら、笑った。

「はっ」

 声はかすれて出なかったが、ぎらぎらと光る瞳を細めながら、まるで、獣のように笑った。
















 熱いシャワーを浴びながら、背中に声を聞く。

「まったく、無茶するわ」

 雨のごとく降り注ぐシャワーは冷たい体を温める。
 生き返ったとは、こういうことを言うのだろう。
 スクアーロは目を閉じて温度を感じた。

「本当に、無茶ばっかり」
「うるせえ」

 ずきりっと、頭が痛む。
 いくら峰打ちでも、痛むものは痛む。
 スクアーロは自分の頭を殴りつけた少年の顔を思い出し、次はぶっ殺すと呟いた。

「昔から、ずっとずっと無茶して心配かけて……しかも、今回はボスを裏切るの?」

 手加減していたとはいえ、初めて敗北を味合わせた少年を想像の中で殴りながら目を開ける。
 呟かれた言葉は、スクアーロのとって聞き捨てならないことだった。






「先に裏切ったのはあいつだあ」






 怒りに満ちた声だった。
 距離も離れているというのに、扉を挟んでいるというのに感じる殺意。
 しかし、傷ついたような声だった。  それは、本当に、裏切られたものだけが発する声。  シャワーの音が止まり、扉をスクアーロは開く。
 ぽたぽたと長い髪から滴る雫を見ながら、言葉を続けた。

「アイツが、9代目に何したかわかってんだろ」
「ええ」

 スクアーロはタオルでおなざりに体を拭きながらいつもよりも更に低い声ではっきりと言い切る。

「俺はてめえと違う。俺が忠誠を誓ってるのは9代目だ」 
「そうね」
「てめえの忠誠の矛先に文句なんか言わねえよ、だけどな」

 忌々しそうにベットに座る相手を睨み付けた。 
 相手は、動じた様子もなくその目を見返す。
 優しさと、悲しみの混じった目だった。
 それを見ながら、スクアーロは、俺は、っと呟く。

「あいつには9代目に頼まれたから付き合ってやってんだ。
 あの人の子供だからこそ、俺はあいつをボスにしてやろうと思った。あの人の子供が、ボスにならなくてはいけないと思ったんだ」

 なのにっと、スクアーロはタオルを掴んだ。
 震えるような声だった。

「なのに、あいつはそれを裏切った。
 俺を、じゃない。俺を裏切ることなんてどうでもいいことだ。よくあることだ。だけど、あの人を、裏切ったんだ!!」

 許せないと。それだけは許せないと。
 ぎりぎりと歯噛みし、まるでそこに憎い相手がいるがごとく表情を歪めた。
 ぽたぽたと髪から雫が落ちる。
 それは、どこか泣いているようにも見えた。
 しかし、スクアーロは泣いていない。
 ただ、狂いそうな怒りを押さえて呼吸を整える。

「もう、髪、びしょぬれじゃないの」

 ベットから腰をあげ、タオルを掴む手を優しく撫でた。

「自慢の髪のくせに、扱いが雑すぎるわ」

 手袋越しだったが、意図は理解したのだろう、手の力がゆるまったところで、ベットへとスクアーロを誘導する。

「ふいてあげるから」

 その言葉に、スクアーロはタオルを手から離し、うなだれた。
 きしいっとベットが揺れる。

「俺は、イタリアに行く」
「あの人のところに行くのね」
「……俺が、今日まであいつに従ってきたのはこの日の為だ。
 あいつがイタリアを離れて、俺が自由に動けるようになるこの日の為に」
「その為に、負けて、死んだフリまでして……。
 本当に死んでたかもしれないのよ」
「俺の敗北なんて、誇りなんて、命なんてどうでもいい」

 大事なのはあの人だと、まるで子供のように答えた。
 盲目的なその言葉に、髪をふきながらため息。
 変わっていないと。
 子供の頃から何一つ、変わっていない。
 無茶ばかりするところも、盲目的な忠誠も、誇り高いくせにその誇りすらすぐにかなぐり捨てる無鉄砲さも。

「とめんのか、ルッスーリア」
「止めると思うの?」

 思わねえっと、きっぱり答えられた。
 それに、卑怯だと思う。
 そんな風に言われてしまえば、信頼されてしまえば、裏切れはしない。

「止めないわ」

 長い髪。
 丁寧にゆっくりとふいていく。
 ふき終わってしまえば、スクアーロは行くだろう。
 一目散に、自分の忠誠を誓った相手に向かって。
 だから、少しでもその時間が遅れるように、ゆっくりと髪をふく。

(かわいそうな)
(かわいそうな子供)

「髪、切るの?」
「ん……」
「キレイなのに、勿体無いわ」

 水を含んだ重いタオル。
 まだ少し湿っているもののふき終わった髪に触れる。

「髪は」

 小さな呟き。

「あの人が切れっていうなら、切る」

(かわいそうな子供)

 伏せた目の奥に、白い少年と赤い瞳の少年が浮かんだ。
 スクアーロは立ち上がると椅子にかけていた服に袖を通す。

「いくのね」
「おう、家光とは連絡がとれてるからな」

 袖を通す服は黒だった。
 しかし、その黒は制服ではなくスーツだった。

「義手じゃ大変でしょ、ネクタイむすんであげるわ」
「なあ」
「なあに?」
「くるか?」

 ネクタイを持つ手が止まる。
 スクアーロは、ただ見ていた。
 手が、再び動く。











「いかないわ」











 黒いネクタイがしめられる。  
 スクアーロは何も言わない。
 ただ、視線をそらした。
 その動作が、どこか拗ねた子供じみていて、笑う。

「いってらっしゃい」

 そう呟いただけ。














(いってもよかった)
(ここには私の居場所はもうないから)
(でも、そうしたら)
(何も手に入れられなかった子が、壊れてしまうから)
(ごめんなさいね)
(でも、私は天秤にかけてしまったから)





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