白い部屋。
白いカーテンが揺れる。
マーモンはその中に黒である自分が入ることを思いながら足を踏み入れた。
目当ての人物は寝ていた。
白いベットの上で白い髪を広げ、白い包帯を全身に包み、その白い腕には点滴の針が刺さっている。
マーモンはゆっくり近づき、近くに置いてある椅子によじ登った。
椅子の上は温かく、少し前まで誰かここにいたかを思い起こさせる。
マーモンが近づいても、目当ての人物は寝ていた。
夜以外で、こうやってじっくり寝顔を見るのは、マーモンにとって初めてのことだ。
なぜなら、一見鈍感でふてぶてしく思える相手は、実は酷く敏感で、人が近づけばすぐさま起きて警戒する。
それは、同僚であっても同じで、唯一、彼の過去を知る彼だけが相手の本当に安らいだ顔をみることができるのだろう。
「すく、」
声をかける。
うまく出ない声。
呼吸をして、言い直す。
「スクアーロ」
返事はない。
身動き一つなく、声は空しく消えていく。
「スクアーロ」
幼い声がもう一度呼ぶ。
いつもならば、2度も呼べば充分で、声に応えてくれるというのに。
マーモンはもう一度呼びかけてやめた。
その長く白い睫が震え、瞼が持ち上がらないかじっと見る。
“ね、ルッスーリア”
“なあに?”
“スクアーロ、おきると思う?”
“あら、何を当たり前のことを言っているの”
“だって、スクアーロ全然起きないよ?”
“そうね、でも、スクアーロはね、絶対起きるわ、だって前もそうだったもの。剣帝テゥールと戦って左腕を無くした時も、スクアーロはひどかったわ。
はっきり言えば出血多量だったわ。スクアーロじゃなきゃ死んでたってくらいよ。しかも、熱まで出ちゃってね。3日は寝てたかしら。でも、ちゃんと起きたわ。
起きて、私を見て笑ったの。まだ熱も出てるし、怪我も痛いくせに。勝ったって笑ったの”
(でも、ルッスーリア、今のスクアーロは負けちゃって、熱があるどころか全然なくて、動かないのに)
“明日はマーモンの番ね”
(言えない。だって、ルッスーリアの目は、信じてるから。絶対、スクアーロが起きるって信じてるから)
「今日、僕の番なんだよ」
マーモンは再び話し掛ける。
声をかければ起きるかもしれないという淡い期待のせいだ。
しかし、やはり、声は空しく響く。
「ベルも、ボスも、応援にきてくれるって」
軽く、マーモンは飛び、ベットの上に着地した。
治療の邪魔だからと左上の義手の部分が存在しない場所に下りれば体に負担はかからない。
ほとんどベットも揺れず、マーモンは顔の方へと近づいた。
近くで見れば、動かない姿は呼吸さえしていなければ人形じみてどこか気味が悪かった。
マーモンは不機嫌な表情でもいいから動かないかと、顔を覗き込む。
“ねえ、ベル”
“ん?”
“スクアーロ、起きると思う”
“起きないんじゃないの?”
“なんでさ?”
“だって、全然おきないじゃん、このまま死んじゃうんだよ、きっと。
だったらさ、俺が今ここで殺してやってもいいんじゃないかな? うしし”
(でも、ベルは震えてた。強がるようにナイフを握って、笑ってるくせに引きつって)
“そういえば、明日……じゃなくて、今日はマーモンの番じゃん”
(とりあえず頷いた。何か言うとベルが崩れてしまいそうで、ベルはやっぱり震えてて、ぎゅっと唇を噛んでいた)
「ねえ、スクアーロ」
皆待ってるんだよ。
後半は言葉にしなかった。
それでも、まだ、声をかけてみる。
揺さぶっても見たかったが、頭を強く殴られていたのでやめた。
呼ぶたびに、声は小さくなっていく。
そして、呼ぶのを諦めた。
その代わり、独り言のように呟く。
「今日さ、僕の番なんだよ」
「夜なんだって」
「スクアーロはよく、子供は夜寝るものだって言ってたよね」
「おかしいよ、本当に、スクアーロの常識はおかしい」
「だって、僕は違うのに」
「普通の子供じゃないのに」
「スクアーロは普通の子供扱いするんだ」
「おかしい」
「おかしいよ」
「でもさ、僕も確かに夜眠いんだ」
「いつも試合の途中で眠くなっちゃうしね」
「だから、今日はこれから一眠りしようと思ってるんだ」
「ねえ、スクアーロ」
「眠るんだ」
「あんまり眠くないけど」
「ねえ、スクアーロ」
「スクアーロ」
マーモンの目の前に、先のない左腕。
一瞬、それが動いて、点滴の針が刺さったままの右手が、マーモンのフードを持ち上げた。
そして、そのままフードを引く。
マーモンの視界の中で、うっすらと、白い瞳が開く。
そのまま、触れるだけの唇が額にゆっくり近づいてそして、接触する。
離れていくその表情は、痛がっているような、笑っているようなそんな表情で。
辺りの明るさに目を閉じた。
「あっ」
そのまま、もう一度意識を失ってしまうのではないか。
マーモンはそう思って声をあげた。
「こ、これから、昼寝……かあ?」
目を閉じたまま、そう聞く。
「う、うん」
「きょう」
「うん」
「がんばれよ」
「うん、僕が負ける訳ないよ」
そりゃ、そーか。
それだけ呟いて、力なく右腕は白いシーツの上に落ちた。
マーモンは、もう呼びかけない。
ただ、くるりと背を向けて、部屋へと急ぐ。
早く、早くこの感触が消える前に、寝てしまわなければいけないから。
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