仮定3



「スクアーロ?」

 人ごみの中、ベルフェゴールは銀色の残滓を見た。
 一瞬、その銀色の残滓を掴みかけて空を切る。
 それもその筈、ベルフェゴールの求める物がそこにはなかった。
 ただ、それでも銀色は足を止め、振り返る。

「……だれだ?」

 銀色の瞳にベルフェゴールが映る。
 しかし、その瞳はまったく知らない他人を見るような、伺うような、そんなものだった。
 その瞳に、一瞬ベルフェゴールは揺らぎながらも、踏みとどまる。
 知らない筈はない。
 いくらベルフェゴールが付き合いは短いとはいえ、だれだと言われる程知らない仲ではない。
 それでも、銀色の瞳は演技でも見せかけでもなく疑問の色がある。

「おれを、しってるのか?」

 微かな、希望のような。
 一歩、ベルフェゴールに近づく。
 その背中に、長い髪はない。
 左腕も、存在しない。
 それは、少しだけベルフェゴールの知る相手とはズレている。
 いや、それでも、見間違える訳はない。

「おしえてくれ、おれはだれなんだ?」

 ベルフェゴールは、口を開いた。
 お前はスクアーロだ、そう言いたかった。
 しかし、それはうまく言葉にできない。
 なぜなら、あまりにも、弱かった。
 知っている相手にしてはあまりにも不安定で、あまりにも弱い。
 躊躇いが、言葉をとめる。

「アルジェンテオ、ここにいたのか?」
「……ロマーリオ」

 その瞬間、黒服の男がいきなり割り込んできた。
 男はちらりとベルフェゴールを見やるとアルジェンテオっともう一度呼びかける。
 ベルフェゴールの知らない名前だった。
 アルジェンテオと呼ばれた相手は素直に反応する。

「ボス、アルジェンテオを見つけました」

 後ろを振り向いてそう呼べば、すいっと人の波を歩いてくるのは、輝く金色の髪の持ち主だった。
 ベルフェゴールは、その金髪の持ち主を知っている。
 キャバッローネファミリーの若きボス、跳ね馬のディーノ。
 裏の人間ならば知らぬものはモグリと呼ばれる程の有名人。
 直接話したことはなかったが、ベルフェゴールはその姿をあの戦いで何回か見たことがあった。
 そう、ベルフェゴールと、仲間が、スクアーロという銀色を失った戦いにも、いた。
 そして、その名前を銀色の口から聞いたこともあった。
 たいしたことのない、他愛もない会話の中で、似ていると言われたような気もする。
 目があった。
 あっちは俺と目があったかどうかはわからないだろうなっとベルフェゴールは思う。
 なぜなら、ベルフェゴールの目は前髪で隠されているからだ。
 確かに視線が結ばれる。
 ああ、こいつもか。
 何がこいつもなのかベルフェゴールにはわからなかったが、そう思う。

「アルジェンテオ、はぐれたら危ないって言っただろ? お前は記憶喪失なんだから」

 先に視線をそらしたのはあっちだった。
 ベルフェゴールからアルジェンテオと呼ばれた相手を見て笑う。

「うるさい、おまえにいわれたくない、きおくそうしつでもないのにふらふらしてるじゃねえか」

 それよりもっと、ベルフェゴールを見た。

「こいつ、おれのことしってるみたいなんだ」

 ディーノは、もう一度ベルフェゴールを見た。
 ベルフェゴールを見て、当たり前のようにぽんっと呟いた。

「人違いです」

 ベルフェゴールが何か言う前に、あくまで表情は穏かにそう言った。
 その眼光は、人が殺せそうな程鋭いのに、あくまで穏かに。
 ベルフェゴールは、もう一度、スクアーロだと叫びたかった。
 しかし、ディーノの視線に怯えを感じてまた口を閉じてしまう。
 
「人違いでしょう」

 繰り返す。

「だって、彼はアルジェンテオだ」

 ベルフェゴールは、何もいえなかった。
 何もいえず、うなづいてしまった。
 人違いだと、肯定してしまった。
 スクアーロだと、ベルフェゴールの心が叫ぶ。
 あれはスクアーロで、そう、あの頃の自分がほしがった。目の前のディーノと同じように、ほしかったけど、他人の物だった。決して手に入らなかった。スクアーロだったのだと。
 アルジェンテオが、がっかりと、ひどく失望した表情で俯いていた。
 不安なのだろう。自分の過去がないというのは、想像を絶する不安だろう。  
 それに反して、ディーノは少し驚いているようだったが、晴れやかな顔だった。
 今、ディーノは、アルジェンテオを手に入れたのだ。
 ベルフェゴールが過去にほしくて、手に入れられなかったスクアーロを、手に入れた。ベルフェゴールのコインの裏側。

「アルジェンテオ、帰ろう」
「おう……」

 ベルフェゴールは、その言葉に背を向けて走りだした。
 今、この瞬間、ほんの数分前まで死んだと思っていたスクアーロが生きていて、今、永遠に死んだ。
 帰ろうとディーノは言った。
 そして、アルジェンテオは肯定した。
 そんな光景、見たくはなかった。
 ベルフェゴールの知っている銀色は、帰ろうと促される側ではなく、帰るかと促す側である筈だった。


“帰るぞ”
“帰るぞ、ベル”


 帰ろうとベルフェゴールは思う。
 どこへ?
 そんなことは知らないとばかりに、ベルフェゴールは走っていた。


※「アルジェンテオ」=銀貨


Copyright(c) 2006 all rights reserved. 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system