10年前にはぐらかしたをよこせと少年は言う。
それに、男はかおをしかめて無視をした。
しかし、少年は引き下がらない。
その男の長い髪をひっつかみ、無理矢理引きよせる。
そして、何十人もの美女を陥落した声で囁いた。
「俺は10年待ったぜ。驚くべき忍耐力だろ。さあ、ディレット、返事はどうした?」
「このカサノーヴァ、口説く相手がまちがってるだろお」
手を払おうとするが、やんわりとそちらの手をとられ防がれる。
さすが10年経っても誰にもマフィア最強を奪われずその座を確固たるものにした少年の手並みは鮮やかなものだった。
軽く握っているようで、男の手は少しも動かない。
ただ、顔だけでも遠ざかろうと身を引くが、掴まれた髪によって阻まれる。
払うことも遠ざかることもできず睨み付ければ、軽い笑みで流された。
そのまま、その手に口付けて更に顔を寄せて耳元で囁く。
「ti amo」
そのくらりとくる低音に、男は顔を赤らめる。
どくどくとうるさい心臓を心の中でうるさいとどなりつけた。
右手を掴む手が撫でるように動き、神経を過敏にしていく。
それでも、必死の虚勢で口を開いた。
「ちっ、そうやって何人陥落したんだ。damerino」
「さあな、10より先は数えてない」
「そりゃ、羨ましいことで……」
髪にも唇を落とされ、瞳を覗きこまれた。
返事を促される。
ひやりっと、男の背に汗が流れた。
逃げられないと考えると、本能的な恐怖が走る。
まるで、蛇に睨まれた蛙だった。
「あんたが望むなら全員と縁をきってやってもかまわないぜ?」
「そりゃ、暗殺されそうな提案だなあ……」
「暗殺部隊が女に暗殺されるなんて笑えるな」
「う゛お゛ぉい、クソガキ、手、離せえ」
「返事したら、離してやるよ」
言わなければなければ離さない。
そう言外に語りながら目をそらさない。
暗い、どこまでも黒い瞳は吸い込まれそうなほどの何かに満ちていた。
男はこの瞳を知っている。ぐつりと蠢く化け物の瞳。肉食獣のように獰猛な瞳。少年の年では本来ならば絶対にできないような瞳。
そう、生まれた時から人を殺し、非情に、冷酷に、残酷に、生きてきたと、そう語っている。
男は目をそらす。
それにつけこむように更に少年は顔を近づけた。
「どうなんだ?」
髪に口付けて問う様は、年齢に不釣合いなほど似合っている。
男は、上ずりながら呟いた。
「10年はええよ、ガキが」
少年は、笑った。
まるで、待っていたかのような表情。
獲物がかかった瞬間のような、してやったりという微笑み。
男は戸惑う。
なぜ、そこまで自信に溢れているのかと。
背筋に冷たい物が走った。
圧倒される。
髪から手を離し、すっと指を男に突きつけた。
小さな痛みから解放された男は身を引く。
「10年だな?」
それからは、本当に鮮やかとしか言いようがない。
少年はどこから出したのかバズーカを自分に向けて歯を剥き出しに笑った。
男は叫ぶ。
「そいつは……!?」
「チャオ」
後は、煙。
男は本能的に逃げた。
とてつもなく怖い。
そう、男の上司が本気で切れた時よりも、あの獰猛な海洋生物に食われかけた時より恐ろしい。
がくがくと震える足に力が入らない。
部屋を出る前に煙が晴れる。
後ろを振り返らなくとも気配でわかった。
そこには、この世で一番人間に遠い存在がいる。
がしりっと何かに足をとられた。
転倒。
思わず見た足の先には、爬虫類の舌らしき物が絡まっていた。
「チャオ」
同じ言葉で、更に低い声。
かつんっと音を立てて靴音が近づく。
煙が晴れた。
そこには、絶世の美形と呼んでもなんら遜色のない青年が立っていた。
肩にはカメレオンを乗せ、倒れているに近づいてくる。
男は、悲鳴を上げかけた。
恥も外聞も捨て去るほど、今心の底から恐怖している。
震える手に力をこめて起き上がった。
じろりと睨めば、そのどんな女も蕩け切るような笑顔で返される。
しかし、男は更に震えた。
全身の細胞という細胞が逃げろと叫んでいる。
こいつはやばい。
やばすぎる。
「10年後だぜ?」
男はずいっと腰を曲げて顔を近づけた。
男の美声は、びりびりと首筋を撫で、そのまなざしはぞくりと背中を撫でる。
「さあ、ディレット、返事はどうした?」
結果から言えば、男は逃げ出した。
震える足を叩いて立たせ、みっともなく背中を見せて逃げる。
ほぼ、男にとって、初めての逃亡だった。
ただ、純粋に、何の策もなく、危険から逃げ惑う為だけの逃亡。
青年は笑った。
「いい判断だ。10分逃げ切れればいいんだからな」
逃がさねえけどな歩き出す。
追い詰める獣のように。
そして、扉を出た瞬間だった。
男が微かに右に寄れば、そこを弾丸が通り抜けていく。
かすりもしなかったが、視線を向けてみれば、そこにはフードで顔を隠した少年が立っていた。
殺気を微塵も隠さず、道を塞ぐように。
「スクアーロは追わせないよ」
「俺に勝てると思ってんのか?」
自信たっぷりに笑う青年は、殺気すらない。
それは、歴然とした差だった。
恐らく、少年と青年が戦えば、決着は一瞬にしてつくだろう。
余裕を感じさせる足取りで少年に近づいた瞬間、少年はばっと手を開いた。
「……悔しいけど、今の君に今の僕が勝てるだなんて思ってないよ」
「ほう」
「そう、今の僕なら、ね」
少年は笑った。
ほとんど絶望的とも言える状況で笑い、青年の目を見開かせた。
「チャオ」
同じセリフ。
構えられるのは、手放してしまっていたバズーカ。
煙。
白く染まった視界が晴れていく。
そして、現れるのは――。
「お前にだけは、渡さない」
「上等だ」
「おかえり、リボーン」
「……」
「その調子じゃ、今回も逃げられたみたいだね」
「うるせえ」
「10年前の君、かわいかったよ」
「…………」
「ま、まだチャンスはあるから気長にやればいいよ」
青年は、舌打ち一つで返事をした。
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